ひとりふたりの夜一会

煮込みメロン

ひとりふたりの夜一会

 特に何の変哲も無かった夜の通学路で、


「お姉さん……。うち、来ますか?」


 私は、泣いているスーツ姿のお姉さんを拾いました。


 一人暮らしをしている1DKのマンションに帰りつき、早々にお風呂の準備をしてお姉さんを浴室に放り込む。

 着替えとバスタオルを脱衣所の籠に置いて、シャワーの水音を確認して私は息を吐き出す。

 拾ってきたけれど、結局のところ特に考えがあるわけじゃない。

 ただ、道の隅で泣いている彼女が放っておけなかっただけだ。


「どうしたものかな……」


 冷蔵庫を開けて中身を確認して、碌なものが無いと肩を落とす。使いかけだったラップに包まれたニンジンを取り出す。狭いキッチンでIHクッキングヒーターのスイッチを入れて、水を注いだ鍋を置いてからコンソメキューブを一つ棚のケースから摘まみ出して投入し、塩と胡椒を少々。沸騰するまでの間にニンジンを千切りにしておいて、水が煮だしたら投入する。

 そうしているうちに、脱衣所の扉が開いてお姉さんが出てきた。

 私の寝間着のTシャツを置いておいたけれど、サイズは合ったようで良かった。

 眼鏡を掛けて、湯上りの上気した赤い顔と下ろされた長い黒髪の美人さん。


「あの、お風呂、ありがとうございます」


 私に向かって彼女は頭を下げた。


「気にしないでください。私が放っておけなくて勝手にやったことだから。そんなことよりも、狭いですけど、適当に座っていてください。もうすぐできますから」


 IHクッキングヒーターのスイッチを切って、ダイニングの足が折りたためる小さな丸テーブルを指し示す。

 彼女がそこへ向かうのを確認して、私は食器棚からカップを取り出す。

 友達が来た時の為の二つ買っておいてよかった。

 しばらく使っていなかったそれを流しで軽く洗って拭いてから、鍋のスープを注ぐ。

 スプーンを添えてお姉さんに渡すと、彼女はありがとう、と小さく言って受け取った。


「……おいしい」

「悲しい時は、何かを食べれば少しは気がまぎれるよ」


 ちびちびとスープを飲む彼女に、ウサギみたい、と益体のない事を思いながら私もカップに口を付ける。即興で作ったコンソメスープだけどよくできたんじゃないかと思う。パンも焼いておけばよかった。

 そうして、少しの間名も知らないお姉さんとテーブルを囲ってスープを飲む。


「……部屋まで上げていただいた上にお風呂に食事までいただいて、ありがとうございます。自己紹介が遅くなり、大変申し訳ございません。私は、ミノカミ アヤメと申します」

「私は、小坂 優希。高校二年生です」


 彼女が差し出した名刺を見ると、『三ノ上 彩夢』と書かれていた。一緒に書かれている会社名は、私でも知っている大きな会社だった。


「ふわぁ」


 思わず言葉が漏れる。


「あ、いや、それよりも少しは落ち着きましたか?」

「はい、ご迷惑をおかけいたしました」

「いや、迷惑だなんて」


 頭を下げる三ノ上さんに私は手を振る。


「あんなところで泣いていたんですから。何かよほど悲しい事でもあったんでしょう。見ちゃったからには、素通りなんて出来そうになかったですから。私の自己満足です」


 言って、チラリと視線を下げると、彼女の左手の薬指には薄っすらと指輪の跡が見えた。

 自身とは関係がないはずなのに、それが少しだけ胸の内側をチクリと刺激する。


「それに、他人事にも思えなくて……。あ、詳しい詮索はしないので、今日一日くらいならいてくださって大丈夫ですよ」

「……ありがとうございます」


 私の言葉に、三ノ上さんが泣きそうな顔をして、頭を下げた。


「……小坂さんは、誰かを好きになったことはありますか?」


 スープを食べ終わって、食器を片付けると、三ノ上さんがぽつりと溢した。


「……そうですね。ありましたよ」


 胸の奥が少しだけ痛む。


「そうですか……。私も、好きな人がいました。彼女が好きで好きで付き合って。でも、すれ違いばかりで喧嘩になってしまって……今日、別れちゃいました」


 三ノ上さんは悲しそうに笑い、指の付け根を擦る。


「それは……なんて言えばいいのか」

「いえ、気にしないでください。私のただの愚痴です。えっと、今日はありがとうございました。私はもうこれで帰ります」


 そう言って立ち上がろうとする三ノ上さんの腕を私は掴んだ。


「……今日は、泊まっていきませんか?」


 それは、私の願いだった。

 本当は、誰でもよかった。

 ただ、誰かの温もりが欲しかった。

 掴んだ手の温もりを逃したくなくて、つい力が籠る。

 私の手に三ノ上さんの手が重なる。


「……それじゃ、お言葉に甘えます」


 ゆっくりとほぐすようにして開かれた手の平を包む掌が暖かくて、涙が零れ落ちた。


「ありがとうございます」


 それから、私は三ノ上さんとたくさん話をした。

 私も三年間付き合っていた彼女とひどい別れ方をしたこと。それから半月が経ってもまだ彼女の事が忘れられないこと。

 一つのベッドに互いに身を寄せ合って泣いて、互いに眠るまで話をした。

 つい数時間前までまったく知らない人だったのに、話終わったら、なんだかお姉ちゃんが出来たみたいで嬉しかったのはナイショ。

 翌朝二人で背中合わせで寝ていたはずなのに、目を覚ましたら、お互いに抱きしめ合って眠っていたのは少し気恥ずかしかった。

 ついでだからと、彩夢さんと一緒に朝食にジャムを塗ったパンを食べて、コーヒーを淹れて、一緒に飲んだ。

 皺にならないようにと、ハンガーに掛けておいたスーツを着て、髪をまとめた彩夢さんはとても格好良かった。


「これ、私のプライベートの連絡先。優希さん、今日は本当にありがとう」


 靴を履いてから一度私の方へ振り向くと、彩夢さんは私にメールアドレスと電話番号が書かれた紙を差し出して、私が受け取ると、玄関ドアを開いた。そして最後に一度だけ小さく手を振ると、完全に扉は閉められた。

 そして、私は制服に着替えて登校の準備を整えると、スマホに彩夢さんの電話番号とメールアドレスを登録して、お気に入りに設定した。


END

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