第8話 さっちゃんによる幼馴染完全育成計画
「「高邑様、神薙様! この度は姫が犯した愚行、本当に申し訳ありませんでした!」」
「別にあーしは、悪いと思ってないけど?」
「「姫ーっ! 五穀豊穣の土地神様としての振る舞い、ご自覚くださいませっ!」」
「でもあーしは、縁結びと安産、七夕様らしいよ?」
「「それは姫が軽はずみに介入するからで御座いましょう!」」
「チッチッッチ。コーさんもマーさんも分かっておりませんな。情報が溢れる現代社会だからこそ、今の時代に合わせたイノベー? マスター? いや、インテリジェンス?」
神様は目を細めて眺めるが、むしろこっちが呆れたい。
「……それにしても、希有な子よね。ボウズの父君のように『幼馴染第二次完全育成計画』と鼻息を荒くするかと思ったのに、つまんないの」
「やっぱり、あんた面白がって――」
「まぁ、飲みなって」
すっと盃を手渡された。徳利から、透明な液体が注がれていく。差し込む月の光が反射して、桜の花びらが舞ったり、鯉が跳ねて消えるのが見えて、自分の目を疑う。
「お、俺は未成年で――」
「夢の中で、そんなことは関係ないよ。あーしは、歩と晩酌がしたいだけだしっ」
渡された盃を眺めて、それから意を決して飲んだ。
息ができないと思うほど喉が焼けるのを感じ、むせ込んだ。
「なかなか、良い飲みっぷり。なかなかクセになる味でしょ?」
「「当神社秘蔵の【恋する乙女の
狛犬達が恭しく
「……世の乙女達の一方通行の恋心を凝縮させた、酒だからね。味も格別でしょ?」
ぐわんぐわん、視界が回る。
何を言っているのか、まるで頭に入ってこなかった。
――あーちゃー?
――歩君?
そんな沙千帆の声ばかり、耳元で響く。
――好きなの。
――大好きなの。
――どうして、他の人に優しくするの?
――どうして『さっちゃん』って、また言ってくれないの? だって、ちょっと恥ずかしかっただもん。二人の時は、昔のように言ってくれたら良いのに。
――他の人に、そうやって笑わないで。優しくしないで!
――近いのに、こんなに近いのに。
――違うの、他の人の「好き」って言葉が欲しいんじゃないの!
――あーちゃー
――あーちゃん!
――歩君。
――好きなの、好きだよ。ずっと、好きだったんだよ?
ぴちょん。
徳利から、盃に酒が注がれる。
まるで悪酔いしたかのような感情が注ぎ込まれて。
桜の花びらが舞う。
盃の中で、鯉が狂ったかのように泳ぎ回って――そして、跳ねた。
■■■
頭が、痛い。
意識が重くて。目を開けてようとしても、焦点があわない。
と、妙に重さを感じた。
そして、最近よく感じた甘い匂いが漂う。
鼻がくすぐったい。
ゆっくり目を開ければ、沙千帆と目が合った。
長くて艶やかな髪が今は少し乱れて、俺の鼻腔をくすぐる。
この状況が理解できない。
脳が片側痺れるような感覚で見回せばば、沙千帆の部屋だった。
「あーちゃー?」
違うのは、18歳の沙千帆が、顔を真っ赤にしながらも、耳元で艶やかに囁いていることで。
「ゆ、夢……いや、これ夢じゃ、ない?」
「……」
聞いても、沙千帆はフルフルと体を小さく振るわすのみで。でも、目は逸らさない。そんな強い意志を感じた。
「……沙千帆、まさかこれまでのことを憶えていたりしないよね?」
軽いノリで聞いてみた。だってあれは神様が仕組んだ夢物語で。もっといえば、これまでのことは、きっと全て夢オチ。ラノベだったら、読者から批判殺到。コメント欄大荒れ間違いな……い?
「――てる」
ボソリと沙千帆が呟いた。
「へ?」
「憶えてる! 全部、憶えてる! 歩君のことをずっと、あーちゃーと言っていたことも。抱っこされたことも、お風呂でのことも、歩君が大きかったことも! ぜんぶ、全部おぼえてるっ!」
捲し立てられて俺は唖然とするしかない。沙千帆もオーバーヒートしているのが分かる。そんな沙千帆に圧倒されながら、俺は口をパクパクさせながら、なんとか言葉を絞り出した。
「大きい?」
「あーちゃーのばかぁぁぁぁっっっ!!」
なぜか容赦なく、両頬を抓られて怒られた。それでも、沙千帆は俺から離れようとしない。むしろ、ぐぃっと沙千帆は俺との距離を埋めてくる。鼻先と鼻先が触れそうなくらい、距離を埋めてくる。
「……あ、あの沙千帆?」
「……歩君は、私のことをどう思っているの?」
「え――」
言い訳なんか許さない。そう、その言葉には込められていた気がした。
「歩君にとって、私は家が隣のだけの他人? 幼馴染みっていう名の腐れ縁? 興味も関心もない人? どうでも良いって思っている、そんな人なの?」
この短い期間に、言いたかった言葉が溢れた。その言葉を紡ぐことすら許されないと、ついさっきまで思っていたのに。思わず、その頬に手で触れた。
沙千帆だって思う。
小さい、3歳児じゃなくて。
遠いままの彼女じゃなくて。
もっと、話がしたいと思った。もっと、近くにいきたいと思った。もっと触れたいと思った沙千帆が、今、俺の目の前にいる。
「沙千帆のことは、誰よりも大切だから」
とくん、とくん。心臓の脈動が沙千帆にまで聞こえそうで。言葉が溢れて、止まらなくなりそうで。でも、あまりの緊張に耐えられない。だから――。
「沙千帆は、俺の大切な幼馴染みだから」
口から出たのは、そんな言葉で。その刹那、沙千帆の目からハイライトが消えた。
『『高邑様がこれほどまでにヘタレとは……神薙様、おいたわしや』』
狛犬達の丁寧なディスりに、俺は思わず頬が引きつる。
(だって仕方ないじゃないか!)
まだ、心の準備ができていなかったんだ。
こんな、なし崩し的に想いを紡ぐのはイヤだって思ってしまったんだ。どっかの神様の掌で踊らされた感覚のまま、大切なしてきた言葉を無造作に紡ぎたくない。
『仕方ないボウズよね。あーしの手をここまで、煩わせるなんてさ』
神様が呆れて――むしろ、楽し気に笑みを零す。
ぴちょん。
盃から、雫が滴り落ちて。
俺の唇を湿らせた。
「へ?」
酒精が唇から、まるでしみこむような感覚で。熱をもつ。
「歩君?!」
ぎゅっと、沙千帆に抱きしめられた。
(あれ、沙千帆ってこんなに大きかったっけ?)
包み込まれるようで。
遠くなるようで。
それでいて、沙千帆の甘い香りが、より強くなる。
――幼馴染第三次完全育成計画、始めようじゃないの?
にしし、と神様が笑うのが聞こえた。
(あれ?)
俺の手って、こんなに小さかったっけ?
掌を見つめながら思う。
沙千帆を見上げるように見て、溶けかけた理性を前に、思考がぐるんんぐるん回る。
(沙千帆が大きくなったんじゃなくて、俺が小さくなったんだ――)
そんな思索すら溶けていって。沙千帆しか見えなくなる。そうだった、昔はこんなに、さっちゃんのことを大好きって、素直に言えたのに。
でも、それはおかしい、今だって言える。この気持ちは、誰にも負けない。その自信があるから。
目の前で、さっちゃんが、その唇を開く。
甘い匂いに抱かれながら。
遠くで笹の葉が揺れるのを聞きながら。
ぴちょん、ぴちょん、と。雫が唇を濡らす度に、躰が熱くなって。
疼くこの感情を、なんて言ったら良いんだろう。
酸素を求めるように。
貪るように。
――あーちゃーは、悪い子だね。
ツンと、指先で鼻頭を弾かれた。それで飲み込めるような感情では、とてもなくて。
糸を引いて、なお。
息が乱れて、それでもなお。
どうしても、離したくなくて。
だから、素直に気持ちを伝えたんだ。
何回も、何回も。何度でも、何度でも。
■■■
「あーちゃー? 私も大好きよ。ずっとずっと大好きだったんだよ?」
そんな、さっちゃんの言葉が何度も何度も、鼓膜の奥底で響いたんだ。
【幼馴染第二次完全育成計画 了】
幼馴染第二次完全育成計画 尾岡れき@猫部 @okazakireo
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