第3話 さっちゃんはお魚が嫌い。でもあーちゃーは大好き!
「へぇぇ、これみよがしにサチに近づこうって、下心見え見えだね」
「幼馴染第二次完全育成計画ってか? 俺好みのの女に育てあげようとか、その発想がキモいね」
さっきから、ボソッボソッと。絶妙に、こちらに聞こえる音量で呟いてくるのワザとでしょ?
本当に酔っ払いは面倒臭いったらありゃしない。普段が誠実で頼りがいのる姿を見ているだけに、その落差にゲンナリしてしまう。
「よちよち」
沙千帆が俺の膝の上に立って、髪を撫でる。それが、なおいっそう
「あーちゃーは、
ニパッと沙千帆は笑う。そう言えば、と思う。沙千帆は最近、友達と【離縁された旦那様は私と花婿修行中です】というラノベを読んでいる。そんな話題でクラスの友達と盛り上がっていたのを休み時間に聞いた気がした。
「サチ、そのお相手は――」
「歩、俺が彼女を紹介してやろう! だから今すぐサッちゃんから離れ――ふぎゃっ」
よせば良いのに、そんなことを言うから。沙千帆が目の前のビール缶を掴んで、投擲を開始した。
「ちょっと、サチ! 待って! 落ち着いて!」
「これもサッちゃんのためで――ブバババッ」
「あーちゃーのお嫁しゃんは、さっちゃんなの! 本当に
「あんた達、少しは静かに待てないのかい?!」
師匠の矛先は、全て
良いから追加でアルコール摂取しないで。一刻も早く酔いを抜いて、この問題に一緒に向き合って欲しいのに。
「あーちゃー」
沙千帆が、俺の耳元で名前を呼ぶ。幼い時はこんな感じだったんだろうか。今の沙千帆と、つい一時間前まで見ていた17歳の沙千帆が重なって見えて。
吐息が、耳朶をくすぐる。
「あーちゃー、好き。好き、大好き」
ぎゅーっと抱きしめられて。何度も何度も、鼓膜が震えて。キッチンからは、師匠が絶賛調理中のハンバーグの匂いが香るのに、全部、沙千帆の匂いで上書きされていく。
「好き、
好意のオンパレード。でも、これはあくまで三歳児が示す、全力の友愛。そんなことを思う俺こそ、
■■■
「お魚キライっ」
ぷいっと、そっぽを向く。釣友同行会の二人のショックな顔たるや。
そりゃ、ね。
お世辞とは言え、それこそ1時間前までは、今日の
「あんた達は本当に……。
師匠が呆れながら、沙千帆の前に皿を置く。それは今できたてのハンバーグだった。
「わぁっ! あーちゃー! はんばーぎゅぅ! はんばーぎゅっ!」
「はいはい、ハンバーグね」
沙千帆が拍手しながら歓声を上げる姿に、思わず苦笑が漏れた。こうしている今もまるで待ち切れんと言わんばかりに、沙千帆はハンバーグに釘付けになっていた。
「……あーちゃー?」
くいくい、沙千帆が俺の裾を掴む。
「
くりんくりんとした瞳で見上げられる。一緒に――何度そう思ったことだろう。でも、その言葉を口にする勇気は全くなくて。
コクリと頷いた俺は――数分後、後悔することになる。
「くっくっくっ――」
「ぷっぷっぷ――」
オヤジと碇さんの笑いが恨めしい。用意された箸は上手く使えず「むー!」と癇癪を起こした沙千帆は、ハンバーグを手づかみしようとして、その熱さに驚いてしまう。
そして今度は大泣きである。幸い、火傷するレベルでなかったのは師匠の絶妙な火加減のおかげと言うべきか。
「……昔は上手く食べられなくて、癇癪を起こしていたんだよね。あゆ君、悪かったね」
今は師匠の言葉だけに救われる。
なだめすかしているうちに、俺はケチャップと肉汁だらけ。見るも無惨な姿になってしまった。俺は三歳児を舐めていたのだ。
――可愛いだけじゃないんだよ、保育園児は。
保育園でボランティアをしているクラスメートの言葉をもっと真摯に聞いてやるべきだった。可愛い顔しながらも、容赦ない悪魔がここにいた。
着替えても、きっと同じ運命が待ち構えているのは分かっているので、とっとと食べて風呂に行こう。そう決める。
――さくっ、さくっ。
冷めてしまったけれど、和Rながら鰺の天ぷらが美味い。
と、じーっと沙千帆が俺を見ていた。
「あーちゃー? それ美味しいの?」
「ん? 美味いけど、でも魚だよ? 沙千帆は苦手なんでしょ?」
「じー」
いや、言葉で言わなくても。
そして、沙千帆は食い入るように天ぷらを見やる。
「なんだ、サチ? 天ぷらが食べたいのか?」
碇さんが、食いかけの天ぷらをチラつかせた。なんだかんだ言って、自分達の釣った魚に興味を持ってもらえるのは嬉しいらしい。でも食いかけを差し出すのは、流石にどうよ?
「ばっちぃのはいらない。あーちゃーからもらうの。だから良いっ!」
もうこの展開、読めていたよ。
俺は天ぷらを頬張りつつ――咀嚼し切れないので、口で咥えて。行儀は悪いと自分でも思いながら、箸をのばした。
食べ終わるまで待ってくれるほど、沙千帆は大人じゃないと、つい今し方、俺は学習したばかりだ。この
「ありがとう、あーちゃー!」
どうやら正解だったらし――い?
「もぐん、もぐもぐ、んん?!(ちょ、ちょっと、沙千帆?!)」
止める隙もなかった。
沙千帆が背伸びして、口に咥えていた天ぷらに食いつく。それだけじゃ足りなくて――小さな唇が、俺の唇に触れる。
「サチ?!」
「沙千帆ちゃん!?」
碇さんは卒倒しそうな勢いだ。え? これ、俺が悪いの? そんなに睨まれても、俺は正直、どうしようもないんだけれど?
「あーちゃー」
ニコニコ笑う沙千帆が、本当に小悪魔にしか思えない。
「本当においしいっ」
「そりゃ、そうでしょ。あゆ君が作った天ぷらだもんね」
「ちょ、ちょっと?! 師匠?!」
今、そんな助け船はいらない!
恐る恐る視線を向ければ――これでもかと言うくらい、満面の笑顔を見せる沙千帆に、つい言葉を失い見惚れてしまう。
――歩君の作るご飯、本当に美味しいよね。
――師匠には負けるけどね。
――そう? 私は歩君の作るご飯、好きだけどね?
そう何気なく交わした言葉が、今さら脳裏に再生される、その瞬間――。
「さっちゃんね! あーちゃーとご飯を毎日食べたい!」
ぽふっ。
食事中だと言うのに、沙千帆に抱きしめられた。
ベタベタの手が気にならないくらい、頬が熱くて。
心臓がやかましいくらい、胸を打つ。
今の沙千帆のように、素直に気持ちを言えたら何かが違ったのだろうか。
「……あーちゃー? どうしたの?」
「だ、大丈夫。大丈夫だよ、沙千帆」
「……そうなの?」
沙千帆の小さな手が、俺の髪を撫でる。
「あーちゃー、よしよし」
沙千帆に自分の感情を見透かされた。そう思う。
耳元で優しく囁く、沙千帆の声が心地よくて。
それなのに――。
(会いたい――)
沙千帆に会いたい。
満足に言葉も交わせなかったくせに。
近くにいたのに、声をかける勇気もなかったくせに。
それなのに、それなのに――。
無性に、沙千帆に会いたい。
そう思ってしまう。
「あーちゃー?」
沙千帆のそんな甘い声に、酩酊しそうで。
(でも――)
きっと、色々なことが、もう――遅い。
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