第2話 さっちゃんは「あーちゃー」が好きすぎる
リビングの座卓に、困惑した顔で沙千帆の母、
そして、面食らった表情を隠せない、
まるで能面――いやあれは、明らかに現実逃避している。
(むしろ俺が現実逃避をしたいっ――)
膝の上で、その視線を避けるように俺に抱きつく沙千帆(
「……とりあえず状況を整理したいのだが……その子は……」
オヤジの言葉に合わせて、ゴクリと碇さんが唾を飲む。
「……歩と沙千帆ちゃんの子ども……?」
「は……?」
時が凍りつくとは、こういうことを言うのか。
「何言ってんだ、クソオヤジ!」
「お、おま、お前! 父親にクソって、なんてことを――」
魚釣りの後は、飲んだくれ。結局、片付けは全て俺。それをクソと言わずさてなんて言う。師匠がいなかったら、とっくの昔にグレているわ。
「くそ?」
沙千帆、首を傾げながらオヤジ達を純粋な目で見るのやめなさい。
「さっちゃん、あーちゃーの子どもじゃないよ?」
俺の膝の上。さらに抱っこをせがみながら、沙千帆がそんなことを言う。
「さっちゃんは、あーちゃーのお嫁しゃんだよ?」
――私ね、あーちゃんのお嫁さんになる!
そんなことを沙千帆が言ったのは、いつたったんだろう。いつの頃か「さっちゃん」と言う呼び方が「沙千帆」になって。
――恥ずかしいから、ちゃん付けで呼ぶの、もうやめよう?
沙千帆も、俺のことを「あーちゃん」から「歩君」に呼び方が変わるのに、そんなに時間はかからなかった。
「歩……お前、ロリコンかっ」
そうオヤジが言った瞬間、師匠が容赦なく、その頭を叩く。
「もう、あんたら口を出すな。はっきり言って話が進まない」
いや、師匠? オヤジが泡を吹いていますけれど?
「まとめると……信じがたいけれど、サチがその子ってことで間違いはないんだろうね」
「信じるの?」
俺は目を丸くした。自分自身、よく分かっていない。ただ、この子が沙千帆で間違いないと、本能がそう囁く。そんな錯覚を憶える。
「あーちゃー?」
「うん、大丈夫だから」
ぎゅっと、ミニ沙千帆を抱きしめる。沙千帆は安堵したように息を漏らした。
「うん。さっちゃんもあーちゃー、だいしゅき」
これまでの沙千帆なら絶対に出てこないだろう、そんな言葉が立て続けに紡がれて、目を丸くするのは俺の方で。
そんな沙千帆を守るように、俺は彼女を抱きしめる。と、師匠がクスリと笑う。
「あゆ君、そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。あゆ君に、そんな言い方をするのは、サチだけだし。何より、私はサチの母だよ? 三歳の時のサチとまるで同じ反応だからね、疑いようがないよ。もっとも、あの時、サチの対象は旦那だったけれどね」
そんな師匠の言葉を聞いて、沙千帆・父――碇さんが、水を得た魚のように、両手を広げた。
「サチ、お父さんだぞ? 僕のところにおいで?」
「……お
断固、拒否だった。
「ヒゲなら俺も……」
自分の顎をさすってみる。と、沙千帆が小さな手で顎に触れる。
「あーちゃーのオヒゲは、ちっくんちっくんで、気持ち良いよ」
にぱっと笑う。
「「なんで?!」」
オヤジと碇さんが仲良く吠えるが、それを俺に訴えないで。本当に酒臭いから。と、沙千帆が露骨に鼻を摘まんでみせる。
「ねぇ?」
師匠が、そんな
「名前は言える?」
「うんっ! さっちゃん!」
沙千帆が、勢いよく手をあげて答えた。
「さっちゃんは今、何歳?」
「
両手を広げてみせる。どうやら、それ以上の数字は言えないらしい。これは、18歳の沙千帆の記憶があるってことなのだろうか?
「好きな人は?」
「あーちゃー!」
「パパのことは好き?」
性懲りも無く、碇さんが前のめりで聞いてきた。沙千帆は、露骨にイヤそうな表情を見せる。
「……これをさっちゃんだと思って、たくましく生きて」
渡されたのはビール缶だった。絶望に打ちひしがれる碇さんの顔を、俺はとても正視できない。
師匠はそんなダメンズにゲンナリしつつ、気を取り直して、沙千帆への質問を再開する。
「さっちゃんは、お姉ちゃんだもんね。もう一人で寝られる?」
沙千帆は真剣な眼差しで、師匠――稲穂さんと俺のことを見やった。
その瞬間、空気が張り詰める。
「イヤッ」
ぎゅーっと、沙千帆が俺のことをさらに抱きしめる。絶対に離れないと、そう言わんばかりに。
と師匠が、ぽんと俺の肩を叩いた。
「は?」
「決まりだね。今晩のサチの世話は、あゆ君に任せたから」
「「「は?」」」
俺もオヤジも碇さんも、目を丸くして――そして、思考が追いつかない。
「あの、流石にそれはムリなんじゃ……」
「いやいや姐御? この非常事態、歩に丸投げは――」
「そうだよ、もしもサチに何かあったら――」
「やかましいっ!」
師匠の一喝に、
「あゆ君とサチがぎこちないのは知っていたよ。思春期だったら、そんなこともあると思うよ? でも、あんた達は、そこを利用してサチに何をしようとしていたのさ?!」
「……いや、僕達は【沙千帆の純潔を守る会】として、だね。当たり前の活動を――」
「つまり、
「きちょい」
師匠も沙千帆も、まるで容赦がない。
それだけ、沙千帆を町内の有志が可愛がっていたってことに他ならないわけだけれど。
何より、碇さんの沙千帆に対しての愛が重いのは、一人娘だから仕方がない――と思うのだが、見事に当の沙千帆にトドメを刺されて、両家の父親達は虫の息だった。
と、くいっと沙千帆の両手が、俺の頬に触れる。視線が移動して、満面の笑顔の沙千帆に、思わず釘づけになった。
「……沙千帆?」
「あーちゃー、よそ見は
満面の笑顔で、そう言ってくる。
学校で、凜とした沙千帆の横顔ばかり伺っていた俺には、その沙千帆の笑顔が、眩し過ぎた。
今の沙千帆があまりにもツヨ
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