第4話 幼馴染みの関係にラッキースケベを期待することは間違っている!
――なぁ、歩と神薙さんって、幼馴染みなんだろう?
――そうだけど?
――じゃぁ、ラッキースケベ的なことの一つや二つ……。
――あるわけないだろ。
だいたい、一緒にいる時間そのものが少ないのだ。幼少期、過ごす時間が多かっただけの他人。そんな言葉が、今の沙千帆と俺にはピッタリだった。
――男子、またそういう話をして。
――本当にサイテー。
最後の沙千帆の声が、やけに突き刺さった。そんなに耳まで真っ赤にして怒らなくても――。
■■■
ちゃぷん。
沙千帆が指で弄んで、お湯が跳ねた。
ちゃぷん。
ちゃ、ぷん。
そんな音が、浴室に響く。
――最低。
――
なぜか、
ぱしゃん。
理性を保とうと、俺は自分の顔にお湯をかけた。
■■■
時間をほんの少しだけ巻き戻す。
――夏草や兵どもが夢の跡
思わず、そんな句を詠みたくなって、芭蕉大先生に失礼すぎると、口を噤む。むしろ酔っ払いどもの後の祭りである。
いつものなら、ここから俺のお仕事タイム。現状復帰は当たり前。使用前より美しくがモットーだったワケなのだけれど――。
「あーちゃー」
「あゆ君」
とろんと眠たそうな沙千帆。そして悩ましそうな師匠と視線が合う。
「……あゆ君にお願いしても良いかな?」
「え? 片付けならいつも俺が――」
「そっちじゃない」
本当は分かっているんでしょう? そう言わんばかりに、師匠がニッと笑む。
「……へ?」
「沙千帆がべったりじゃない。この状況で、片付けなんて無理でしょう?」
「あーちゃー、お片付け? さっちゃんも手伝う!」
欠伸をしながらも、ぐっと握り拳を作る姿が可愛い――じゃない。この状況に、流されている自分がいた。そして
精神攻撃をもろに受けた男性陣は、酒の力を借りて泥酔中。彼らは何の役にも立たない。
今の沙千帆にお手伝いされるようものなら、皿が何枚も割られてしまうのは必至。むしろ、怪我をしないか、そちらの方が心配だ。
「あゆ君にしかできない任務を依頼したいの」
「へ?」
「沙千帆のお風呂、お願いね?」
「は?」
「だって、あゆ君もだけれど。沙千帆、ベタベタでしょ? 流石にこのままじゃ寝かせられないわ。そのために、あいつらにストロボ
不穏なワードはあえて聞き流す。ただ、アルコール度数9%のストロボ零を煽るように飲んだら、それはもう……お察しである。
「あーちゃーとお風呂?」
沙千帆が顔をあげる。それこそ、眠気なんか、すっ飛んでしまったかのような、満面の笑顔を浮かべて。
「やったーっ! あーちゃーとお風呂! おっふっろっ〜!」
嬉しいの舞。名付けるとすれば沙千帆ダンス。クラスで凛として、クールな佇まいな沙千帆を思い出して――でも、そうだったと嘆息を漏らす。
小学校の時は、むしろムードメーカーで。二人でバカをやっていた記憶がある。大きくなって、それぞれ変わったとそう思っていた。お互いのコミュニティーに埋没して。結局は一歩進んで、踏み込むことを躊躇って。迷ってばかり、結局はその距離感に留まって。
俺は一番狡くて、一番安全な方法を選択してたんだ――。
ちゃぷん。
お湯が跳ねて。
俺は現実に引き戻された。
■■■
ぶくぶくぶくぶくぶく。
これは妙案だ。
潜っていれば、沙千帆を正視することはない。そして3歳児だ、熱めのお湯に耐えきれず、ギブアップするに違いない。
体を洗うのは仕方がない。たかが3歳児を洗身するのみ、その程度。だからそこに、
――歩君?
と、お湯が揺れた。
沙千帆が俺の首に両腕を回し、抱きしめてきたのだ。
「んんっ――ぶぼぼっ」
思わず、お湯を飲んでしまう。
俺は油断していた。
パーソナルスペース無視で、距離を埋めてくる
そして何より幼児体型で胸が断崖絶壁とは言え、俺からしてみたら、やっぱり沙千帆は沙千帆で。
――歩君?
分かった、分かったから。
「ゲホゲホゲホゲホっ――」
慌てて顔を上げて俺は、つい飲み込んでしまったお湯でムセこんでしまう。
「あーちゃー、だいじょーぶ?」
心配そうに覗きこむが、沙千帆の距離は近いやら、その肌の感触を意識してしまい、ドギマギしてしまう。
「あーちゃー、喉かわいたの?」
「ち、ちが――」
「お風呂のお湯は、めーよ? お腹痛くしちゃうよ」
お腹をさすって。それから、優しく背中をさすってくる。
「あーちゃー、大きいね」
「はいっ?!」
いきなり何を言い出すの、この子は。
「あーちゃーの背中、大きいよ?」
「あ、うん……」
そういうことね。そりゃ、そうか。沙千帆から見れば、俺は大人に分類されるはずだ。いったい、今の沙千帆の目には、俺はどんな風に映っているんだろう。
「あーちゃー、パパよりおっきい」
「は?」
釣りが趣味の碇さんは、一人称こそ【僕】だが、筋肉質で言うなれば熊。釣友同好会の
(でも沙千帆は何を言って――)
「んがっ?!」
むぎゅーっと、いきなり両手で掴まれる。何が、とは言いたくない。
「あーちゃーのゾウしゃん、おっきいねぇ。あ……もっと大きくなった?」
「さ、さ、さ、さ、沙千帆?!」
「どうして、さっちゃんにはないのかな?」
「さ、沙千帆! もう上がろう! のぼせる! 体に悪い! 精神的に悪い!」
「熱くないよ? お風呂、きもちいーね」
そうだった。沙千帆は長風呂派で。俺はカラスの行水タイプ。両家で温泉に行っても、沙千帆の風呂上がりを待たされたことが、しばしばだった。
「あーちゃー? ちゃんと肩までつかって、10数えなきゃ、めーよ?」
そう言いながら、沙千帆は俺の首に腕を回し、小さな顎を肩に乗せる。だから、近い! 近い! 近いんだって!
「いーち」
10まで数えたらこの苦行は終わる。それまでの辛抱だ。何事にも終わりはあるものだ。だって明けない夜はないのだから――。
「にーぃ。さーん。しーぃ。ごーぉ。にー。にー。さん、しー、いーちっ、にぃ――」
戻っている、戻ってる! カウントが振り出しに戻っているから! 明らかにソレ巻き戻し!
「あり?」
沙千帆は指で数えながら、首をひねる。
「……んー。もういっかい、最初から!」
「マジかっ?!」
ちゃぷん。
お湯が跳ねて。
「あーちゃー?」
「……なに?」
「だいしゅき」
唐突なその声が、やけに浴室に反響して。鼓膜がじんじんするくらい、体の奥底に響いた。
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