第十五話 想い人
エントランスからホールまで並べられた氷の彫像が、夕陽に煌めいている。
たとえ魔法による部分が大きいにしろ、夏場にこれだけのものを揃えられる、リューベン辺境伯の権威を見せつけるには充分な演出だろう。
エドワード・グレン子爵に寄り添い、シャンパン色のドレスを纏ったベアトリーチェは、感動の表情を取り繕う。
妻を伴い、女性同士の社交を密にしようとする者。令嬢、令息を伴い、良縁を得ようと画策する者。若い愛人を伴い、アクセサリーのように見せびらかす者。
伴う者により、求める物が露骨なほど窺える。
ボールルームの楽団も、まだ息を潜めたBGMに徹している状態。
エドワードは会場内を見渡し、横切るように足を早めた。
「やあ、クリス。もうこちらに来ていたんだね。……彼は、私の同僚のクリス・ヘイウッド子爵と、愛妻のパティ。この女性は、私のパートナーのベアトリーチェ・バンビーノ嬢だ」
同僚と紹介されたが、エドよりは年長に見える。上司とまではいかないが、職場の先輩という関係だろう。
エドが妻を伴っていないことに驚いた風だが、懐妊中であることを思い出したのか、納得するように何度か頷いて笑顔を作る。パティは社交辞令の笑顔を浮かべ、挨拶を交わすだけで、意識から外した様子だ。
「リズは実家で出産準備か……。エドは寂しいと思いきや、意外に楽しんでいるようだな」
「体裁を繕っているだけです。リズも承知のことで」
「妻の手前、大きな声では言えないが……。羨ましいものだ」
不躾な視線が躰に這わされ、僅かに恥じらってみせる。露出の多いデザインのドレスとのギャップに、一瞬クリスの目に淫蕩な光が浮かぶ。
すぐにそれは、妻の咳払いに掻き消さてしまったが。
通りすがりのボーイのトレイから、エドがオンザロックのグラスを取る。カクテルグラスのトレイを持ったボーイから、ひとつ受けとる。赤い甘口の……ブラッド・アンド・サンドなら悪くない。唇を湿らせて、聞き役に徹する。
簡単な挨拶と僅かな会話だけで、エドは次々と相手を替えてゆく。
よほど職場とやらの人間関係が難しいのか、思わず同情したくなった。
「大変ですのね……」
「関係部署の人間が多くてね……。拗らせてしまうと、僕の件案だけ全く回らなくなってしまうから、面倒でも……ね」
思わず漏らしてしまった労いに、エドは苦笑しながら肩を竦める。
妻帯し、まだ初子が生まれる前のエドにとっては、社交は挨拶回りの儀礼のようなものだろう。それは、居丈高なリューベン辺境伯の登場まで続いた。
リズミカルな音楽に切り替わると、ベアトリーチェはエドの腕を引いてホールに進み出た。
「踊りましょう、エド。挨拶回りばかりじゃ、老け込んじゃうわよ」
「……少しはビーチェの機嫌も取らないとな」
「そういう所が、若さを失くす原因っ」
男女別の列に並び、コントルダンスの輪に加わる。
軽快なリズムに乗って踊り、列に沿ってパートナーを替えながら踊る。決まったステップなど無いから、踊り手のセンスの差が出てしまう。
メヌエットで踊りに誘う相手を物色すべく、目を光らせる男もいれば、単純に踊りを楽しむ者、平静を装いつつもステップを踏むのに賢明な者。
エドは、あまり得意ではないようだ。
早めに踊ったパートナーはエドより格下の者たち。より、上位貴族に食い込まねばならぬベアトリーチェは、高嶺の花を気取って見下しておく。
エドとの契約はひと夏。その後は、都に伴ってくれるパートナーを得なければならないのだ。【魅了】の魔法や、吸血は最終手段にせねばならない。
身分順の最上位。リューベン辺境伯と踊る瞬間から、触れれば落ちそうな花へ変わる。
好色な視線に恥じらうように、控えめなステップ。それが有効であろうというジュスティーヌ様と、セシル様からの情報を信じよう。
身を寄せた時、グイと腰を抱かれ身体が押し付けられる。熱い胸板に、ドレスの中の乳房が潰れた。
「初めて見る顔だな……誰の手引だ?」
「マダム・サリヴァンの紹介で、グレン子爵のパートナーとして参りました。ベアトリーチェ・バンビーノと申します」
「グレン……あの朴念仁では物足りないだろう?」
露骨に欲を隠さぬ物言いに、可憐な笑みを返しておく。
デビュタントとして正式に社交界デビューをしていない娘の素性など、誤魔化す必要はない。あのマダムなら、手広く同じような娘たちを集めていることだろう。
いただいた情報通りの人物のようです。さすが私の主です。
それだけの会話で、パートナーがまた変わってしまう。
印象を残せたのなら、良いのですが……。
数人と踊って、次のお相手は……まだ少年という印象。
列次から、辺境伯の直子の最年少……社交界に出られる年齢では、でしょうか。
パートナーとなった時に、恥ずかしげに向けられた視線に憧れを乗せてみましょう。この少年とは、繋いだ手を離さぬまま踊ってみます。
姉のような心持ちで、控えめな少年のステップをリードしましょう。少年らしい、はにかんだ笑みをくださったお礼に、そっと肩口にドレスの胸元を滑らせてあげます。
その蕩けるような感触に、耳まで朱く染まるのが可愛らしい。
パートナーチェンジの際の切なげな表情に、胸が少し騒ぎました。
その後はエドの同僚のクリスに、執拗に身体を抱き寄せられるのをいなしたりしながら、元のエドの所に戻った所で曲が終わります。
正直、まだ全然踊り足りないのですが、エドは疲れた顔で輪を離れていきます。
寄り添うようにして私も離れ、シャンパンで喉を潤しました。
「コントルダンスは決まりが無いから楽だけど、辺境伯の夫人やら、雲の上の女性と踊るだけで気疲れしてしまうよ」
あまりエドを老けさせるのも気が引けます。
ほとんどが踊りの輪に加わっている間に、料理を摘んで小腹を満たすことにしましょう。
実直だが、それだけの男。
パーティーの人間模様の中で、私のエドに対する評価は確定しました。
コントルダンスの輪が解け、しっとりとしたワルツに変わります。
私の元にも、殿方のお誘いがかかりました。秋からのパトロンを探さねばならぬ私の事情を承知しているエドは、黙認します。もちろん誘う側も、私がどういう存在であるかは(まさかリャナンシーであるとは思わないでしょうが)解っているのでしょう。露骨な口説きが入る方もいらっしゃいます。
領主が領主ですと、臣も臣なのでしょうか?
気を惹かれる方もおらず、げんなりとしてきた頃に辿々しいお誘いがありました。
「あの……一曲、踊っていただけますか?」
「私で、よろしいのですか?」
少年の背後から、こちらに向けられる社交界デビューをしたばかりの少女たちの、嫉妬の視線がチクチク刺さるのですが……。
あまりに初々しいので、リューベン辺境伯の直子らしき少年に、驚いたような笑顔で応えます。
ゆったりとしたワルツ。今度は少年のリードに身を任せましょう。
「ご令嬢方に、恨まれてしまいそうです……」
「僕は、踊りたい方と踊ります」
「私が、どんな女かご承知ではないでしょう?」
「まだ、お名前すらお伺いしてません」
ダンス同様、会話の呼吸を合わせているだけで、可愛い娘になってしまいそう。
辺境伯の前に、この少年が釣れてしまったようです。
「ベアトリーチェ……ベアトリーチェ・バンビーノ。それが私の名です」
「異郷の方なのですね。僕は……ウィリアム・ファルス・リューベン。辺境伯の……四男です」
家名が邪魔であるように言い捨てる。
こうして踊るのも憚られるほど、身分差があるのを承知してるのでしょうか。
踊りながら、わざと胸を擦り寄せ……思い切って下腹の丸みを彼の腿に掠めます。
ビクッと、電気が奔ったように竦んだウィリアムの耳に、悲しげに囁く。
「ご推察の通り、私は娼婦です。グレン子爵とは、ひと夏の契約ですので、その後のパトロンを物色している下賤な女ですわ……」
「でも……とても魅力的な
「いけません……。相応しい御令嬢をお探し下さい」
名残惜しいと、もう一度乳房を押し付けてウィリアムから離れる。
切ない視線を振り切って、別の男性の腕に身を寄せる姿を見せつけました。
この日は、それだけ。
でも、パーティーに招かれる度に、ウィリアムから踊りの誘いがあります。
胸が苦しくなるような一曲だけのメヌエット。
もう、社交界でも噂になっているのでしょう。グレン子爵がパーティーに招かれることが増えてきました。そして、そこには必ずウィリアムも出席していて……。
「こんな事をしていたら、ウィリアム様に恨まれてしまいそうだ……」
「妬ましげに睨まれてますものね」
エドの上に四つん這いになり、互いの股間に顔を埋めて高めあっていると、そんな事を言って笑う。
領主の直子が想いを寄せる女に口腔奉仕をさせつつ、そのベアトリーチェの官能を炙り、滲ませた蜜を味わう。そんな倒錯した状況が、妙なプライドを刺激するのだろう。パーティーでも、エドに抱き寄せられることが増えてきた。
ウィリアムと噂になっているベアトリーチェの評判が上がるにつれ、そのベアトリーチェのパトロンであるエドワード・グレン子爵の名も、やっかみと共に囁かれている。
領主の令息の想い人をベッドで楽しむ、羨ましさよ。
ベアトリーチェを求める回数も増え、より情熱的になった。
もう身重の妻への遠慮も見られない。
調子に乗ったバチが当たったのでしょうか?。
ある夜、都から早馬の知らせが来た。奥様の早産の可能性が高まったと……。
取るもとりあえず、荷物をまとめたエドは都に戻ります。
おそらくは、このハイハットへ戻ることはないでしょう……。
ひと夏分のお金は受け取っていますから、その意味では問題がないのですが。
状況を綴り、マダム・サリヴァンへ手紙を書きました。
その返事が届く前に、私が逗留するグレン子爵の別荘に迎えの馬車が参りました。
馬車に刻まれた紋章は、リューベン辺境伯家のものでした。
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