第十三話 リューベン辺境伯領の侵入者

 白々とした朝の光が、絹のシーツを煌めかせる。

 腕の中で眠る端正な横顔を愛おしく見つめ、夕べの情事の余韻に浸ります。

 この街で、医師として知られるこの男の好みに合わせ、恥じらいながら乱れてゆく私を、慈しむように導いてくれる繊細な指先。

 昨夜の情熱に感謝を込めて、私は無防備な首筋に口づけます。そして……。

 犬歯の突き破った皮膚の奥から、生命そのものの熱さの血液が迸る。私は彼の生き血を啜り、私の中にある魔力を注ぎ込む。この逞しい腕が、永遠に私の虜であるようにと……。


 ええ……リャナンシーとは、そういう魔物です。


 完璧に近い美と、性的魅力を与えられた肉体。相手の好みに合わせて、処女でも娼婦でも演じることのできる卓越した性技。望むのであれば聖女の顔で、娼婦ですら拒むような淫靡な行為すらしてみせる。

 もっとも……今の私は、高級娼婦として務まる程の教養や芸術的なセンスを身に着けた存在。それを安売りするような真似は致しません。

 ジュスティーヌ様の信頼に、応える為にも……。


 ベッドで身を起こすと、目が覚めてしまったのでしょう。アンドリューの腕が絡みついてくる。豊かな乳房を愛おしげに掬って……。


「ベアトリーチェ、僕の宝石。もう朝になってしまったのかい……」

「ええ……お支度を。患者様が待ってます……」


 ゆっくりと抱き起こしながら、重ねるだけのキス。彼の視線から、胸と下腹を隠す恥じらいも忘れてはいけません。

 彼にとっての私は、町外れで馬車が故障し、立ち往生していた所を救われた男爵令嬢なのですから。そして、一夜の過ちで、彼に乙女を捧げてしまった娘。愛しさと恥じらいのバランスが大切。

 今は彼との夜を重ねる毎に、少しづつ乙女から女に変わってゆく途中です。


 サイドテーブルの呼び鈴を鳴らすと、二人のメイドが身支度を手伝いに参ります。

 ジュスティーヌ様からお借りした、人族メイドたち。実の母娘であるそうな。

 情事の名残を色濃く残した部屋に動じない母と、頬を真っ赤に染めた娘。代々男爵家に仕えるメイドの家系に相応しい取り合わせです。

 私は娘のジョゼに任せて、楚々とした夏のドレスを纏います。

 湖畔の保養地となるこのハイハットの街は、リューベン辺境伯領の夏の社交の場。まだ少し早いとはいえ、いくつかの別荘地には、もう馬車が出入りを始めています。

 遅めの朝食を摂り、アンドリューを診察室に送り出してしまえば、自由な時間。

 メイド二人を伴って、街を散歩します。

 日傘を差して、優雅に……なるべく貴族の目にとまるように。

 この街に暮らす信頼を得るには、医師のアンドリューの名は有用でした。しかしこの先、社交の場に出るには、貴族や大商人に近づいて招待される必要があります。土地の者に顔を覚えられた今は、乗り換えの時でしょう。


 避暑に集まり始めた貴族たちを、アテにしてでしょう。店を開いたばかりの画商のギャラリーを覗きます。芸術センスをアピールするには、ちょうど良い。見てくれだけの令嬢では、食指の動かぬ方こそ、私の希望です。


 ギャラリーに掛けられた絵は、どれも華美なだけで鑑賞に値しません。唯一、楽しめたのはレターサイズの小さな、色彩に乏しい絵のみ。雨の湖畔を描いたその絵だけは、私の感情を揺さぶってくれます。


「その絵がお気に入りかしら?」


 声をかけてきたのは、三十路を超えたくらいの年齢の巻き髪をアップにした貴婦人。薄緑色の瞳に、図るような光が感じられます。


「オーナーの方ですか?」

「まさか……私がオーナーなら、もっとマシな絵を集めるわ」


 声を潜めて、笑い合う。

 確かに、このギャラリーのセンスは酷い。これでは、派手好きな成金くらいしか客にならないだろう。


「あなたは……あの医者の所で暮らしてる御令嬢ね?」

「……は、はい」

「この街へは、何をしに?」

「……社交の場に出られたら、と」

「医者と暮らしていても、社交の場には遠いわよ?」

「…………っ」


 ギュッと唇を噛み、上目遣いで貴婦人を睨む。

 立ち振舞いから、男爵令嬢であることまでは疑ってはいないだろう。だが、金銭的な余裕は少ないと判断したはずだ。

 そんな娘が社交の場に出たがる理由など、ひとつしかない。


「あの医者に、まだ未練はある?」

「………………いいえ」


 ギリギリまで長く逡巡を見せながら、言葉を捨てるように答える。

 その様子がお気に召したのか、貴婦人は艶やかに微笑んだ。


「では、私といらっしゃい……。社交界への道を作ってあげる」


 画廊の前に止められた黒塗の馬車に、誘われるままに乗り込む。メイドたちは御者の隣に座らされての移動となる。


「あなた……お名前は?」

「ベアトリーチェ……ベアトリーチェ・バンビーノです」

「バンビーノ男爵……聞かぬ名ね。もっとも、家名が知られている場所では、あなたも動きづらいでしょうから……。私は、マダム・サリヴァン……とでも呼びなさい」


 バンビーノ男爵の名を知っていたら、驚いてしまう。実在するが、ノスフェラトゥ不死の者の王国の話なのだから。当の男爵様、バンパイアリレイティヴのバンビーノは、まだ街に入らずに森の古びた屋敷に隠れている。


 マダム・サリヴァンの屋敷は、別荘地の奥まった所。カラ松に囲まれた目立たぬ場所にあった。馬車はメイドたちを乗せたまま、アンドリューの家へと走り去る。荷物と、ベアトリーチェの馬車を移動し、ここで暮らすために。

 広くはないが、センスの良い家具の揃えられたリビングに招くと、マダム・サリヴァンは煙管に火をつけて命じた。


「まずは、そのドレスをお脱ぎなさい。下着も全て、ね。お顔は綺麗でも、肌に傷や痣があると商品価値が下がってしまうから」

「こ、ここで裸になれと……?」

「いくら未通娘おぼこいあなたでも、伝手もなく社交の場に出ることの意味くらい、解って行動してるのでしょう? まずは、ベアトリーチェ・バンビーノという娘の商品価値を示しなさい」


 大きく目を見開いて、唇を震わせる。ガックリと肩の力を抜いてから、おずおずとドレスに手をかけた。身支度を整えるメイドのいない不自由さを垣間見せながら、ドレスを脱ぎ、コルセットを外してゆく。

 その様子をじっと見つめるマダムの前で、私は全裸になった。


「肌には染みひとつ無いね……。その髪も、生まれつきの金髪のようだし……何よりも、お道具の初々しさが魅力だね。医者に乙女を捧げたばかりで、面倒な純潔もない」

「もう服を着てよろしいですか……」


 身体の奥まで調べられた貴族令嬢として、大きな目に涙をいっぱいに溜めて、消え入りたげな風情で訴える。だがマダムは、紫煙を吐いて拒絶し卓上のベルを鳴らした。

 呼ばれてリビングに現れたのは、野卑な大男と、厭らしげな細身の男だ。

 二人は全裸のベアトリーチェに相好を崩した。


「いやぁぁぁっ! 出て行って下さい!」

「マダム、この娘はひょっとして……」

「そうさ……噂になっていたろう? あの医者の所に転がり込んだ御令嬢さ」

「ちらっと見かけたことがあったが、あの優男にはもったいねえ、べっぴんだと思ってたんだぜ……。真っ白い肌しちゃって」


 絨毯に屈み込んだままの貴族令嬢の裸身を、舐めるように左右から覗き込む。

 身を固くして怯える少女に、マダムは冷酷な指示を出した。


「べアトリーチェ。立って、男たちに裸を見せなさい。あなたはもう男爵令嬢ではなく、その身体を商品として行きていく女ですよ」

「無理です! そんな事……できない!」

「……仕方ないねぇ。ついこの間まで生娘じゃあ、厳しいか。……あなた達」


 マダムの合図で、男たちが娘の細腕を掴んで、無理矢理身体を引き伸ばしてゆく。少女の悲鳴と、号泣。そして、男たちの笑い声が交錯した。


「あのべっぴんさんの、素っ裸を拝めるとは思わなかったぜ! お上品な顔に似合わぬ、大きなおっぱいしちゃってよ……こっちのお道具も見せろよ!」

「いやぁ! やめて……誰か助けてぇ!」


 膝を割られて覗き込まれる。

 恥辱に泣き叫ぶ令嬢を演じながら、私は醒めた頭で、確定したルートからの次のステップを考えていました。

 高級娼婦としての自分の見せ方と、より高い地位の男に買わせる方法を……。

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