第十二話 メアリージェンの微笑

「月蝕城の様子はどうだね?」


 御父様の問いかけに、私は愛らしく首を傾げます。

 伝えるべきことはたくさんあるのですが、何からどの様に伝えれば、正しく伝わるのでしょう?

 私……メアリージェンは、少し迷いながら赤ワインで唇を湿らせます。ジュスティーヌ様のお好みはホットチョコレートですので、ワインを嗜むのは久しぶり。それを察してか、御父様も秘蔵のワインを準備してくださったようです。

 私がいなくても、この黄昏城は上手く回っているようですね。

 その様に後進を躾けた自分の仕事に満足するとともに、少しだけ寂しさもあります。


「お城は、もう落ち着いています。……おそらく、姉妹たちの城の中では最も活気があるように思えます」

「活気……? この永遠の時に倦む、黄昏の王国で……かい?」


 御父様は少し驚いたように、眉を上げます。このように感情を示すのも、珍しいことですのに。


「ジュスティーヌ様は、生命に限りある者たちに何の強制も致しませんから。彼ら、彼女らがここが不死の国であることすら忘れるくらい自由に過ごすことを、楽しんでおられます」

「まだ、不死の実感が無いのではないか?」

「それもございましょうね……。ですが、身体が弱く、長くベッドに伏していらっしゃった方です。退屈のやるせなさは、良くご存知でいらっしゃる」

「この城のメイドたちもざわめいているのは、その余波か……」


 扉の向こうに控えたメイドを透視するかのように見つめ、その口角を上げる。しばらくお目にかからぬ内に、再び感情表現が豊かになられたのでしょうか?

 もう遠い昔、この御父様の私室に招かれ、夕食を共にした頃を思い出します。……もうその時の華やいだ気持ちの記憶だけで、微細な記憶は残っていないのが悔しいです。


「何を企む、メアリージェン?」

「企むだなんて……ジュスティーヌ様が無邪気でらっしゃるから、セシル様と私が代わりに戦略を練っているだけです。もっとも、武器を用意してくださるのは、ジュスティーヌ様なのですが……」

「……武器?」

「ええ……このような」


 私は持参した写本を空間から取り出し、テーブルに重ねます。御父様への献上用とあって装丁にも工夫を凝らしたため、十冊が限度でした。


「ほう……『黄昏王国物語』の続きか。いったい、月蝕城には何冊あるのやら」

「十八巻が写本中で、十九巻が先日、ジュスティーヌ様に献上されました」


 御父様の意外な食いつきに驚きつつも、平静を保って答えます。じっと見つめる私の視線に苦笑しながら、御父様は言い訳をなさいました。


「メイドたちが楽しげに語らっているのでな……。戯れに借りてみたのだ」


 私は呆れ顔で、バトラーズベルを鳴らします。

 緊張した表情のコンスタンチェが静かに現れました。いくら前任者で上司であった私がいるとはいえ、緊張を笑みで隠せぬようでは、まだまだですね。

 その視線が、テーブルに積まれた本に吸い寄せられているのが、未熟というか、微笑ましいというか……。


「メアリージェン様……それは、もしや」

「ええ……『黄昏王国物語』の続刊です。月蝕城の外には、まだ三巻までしか出してませんから。とりあえずの十三巻までを、御父様に献上するつもりで持参いたしました」

「はぅっ!」


 射抜かれたように胸を押さえ、コンスタンチェが蹌踉めきます。

 そ、そんなに……ですか?


「黄昏城にいらっしゃる、メアリージェン様にはお解りにならないのです。あの場面で終わり、続刊があるのを確認していながら入手できず、先の展開を想像するしか無い苦しみ……。他の城のメイドたちと連絡を取っても、どこにもない。頼みの月蝕城では、城外への持ち出しを禁止されているなんて……」

「それは……大変でしたね」

「御父様を巻き込めば、献上していただけるのでは……との切な願いがようやく……」


 涙ぐまんばかりのコンスタンチェの早口に、御父様も頷いてらっしゃる。

 なるほど……それで今夜のお茶会なのですね。

 私はため息をワインとともに飲み込みます。……御父様、何をしてらっしゃるのですか? まったく!

 温度の下がった私の視線に、コンスタンチェはともかく、御父様まで俯かないで下さいませ。


「コンスタンチェ、御父様を巻き込むのは戦略として正しいです。しかし、私の前とはいえ、それを口に出してはなりません」

「は……はい」

「御父様も、ノスフェラトゥ不死の者の王としての威厳をお持ち下さい。私のご機嫌を伺うような行動ではなく、王としてご命令下さい」

「だが……このような他愛のないものだけに……」

「ええ。物語自体は、他愛のない恋愛小説です。ですが……まだ領地としての体裁のない月蝕城においては、貴重な情報兵器でしてよ」

「情報兵器……それほどのものか?」

「ええ……御父様が欲しがるものなんて、他領にいくつあるかしら?」


 ちくんと刺されて、御父様は微妙な顔をなさいました。

 クスクス笑いながら、私はコンスタンチェに向き直ります。


「ねえ、コンスタンチェ。御父様の薔薇園にも、クラウディア姉様御自慢の黒薔薇を咲かせたいと思いません?」

「思います。……思いますが、あればかりはクラウディア様が手放すとは……」

「交渉してみてはいかが? その際に世間話で構いません。『黄昏王国物語』の四巻を入手した話を伝えなさい」

「クラウディア様も、お読みでしょうか?」

「さあ、どうでしょう? ……でもね、コンスタンチェ。実際に折衝するのは、クラウディア姉様ではなく文官たちです。そして、その折衝の場には側使いとして、メイドたちもいるのですよ。……黄昏城のメイドたちが、四巻以降も入手していると知ったら、どんな反応をするのやら……」


 水を向けてやれば、コンスタンチェのことです。次第に口元が緩み、良からぬ笑みを浮かべます。


「カトリーヌのことですから、私同様に主を巻き込もうと図りますね。……ふふふっ。あの黒薔薇を一株でもいただければ、いくらでも増やせますわ」

「……なるほど、情報兵器か」


 新旧家令の悪巧みを前にして、御父様が肩を竦めて苦笑い。

 今最も、王国内で困窮している物の価値を、ご理解いただけたようです。


「御父様には、なるべく早く読み終えていただいて、写本にかかるのが良いでしょう。この十冊で、他の城からどれだけのものを引き出せるか? ……コンスタンチェ、あなたの腕次第です」

「よろしいのですか? 月蝕城こそ、足りないものが多いはずでは」

「下から上よりも、上から下で先に実績を作って欲しいのです。ジュスティーヌ様の望みよりも、御父様の望みの方が、お姉様方も叶え易いでしょう?」

「代価としての価値を作れと?」

「今はあなたの方が上の立場です。命ずることなんてできませんから、お願いです。前例ができ、代価としての価値が決まれば、ウチも交渉しやすくなります」


 私の笑みに、コンスタンチェはげんなりと肩を落とします。

 それは、互いをよく知るからこそ……なのですが。


「メアリージェン様のご様子からも、十三巻のラストは、きっとはらわたも千切れんばかりのシーンで次巻に続くのでしょうね……」

「さあ? 読んで見ればわかるのではないですか?」

「意地悪を仰る……」


 もちろん、そういうシーンで終わるからこそ、そこまでを献上したのですけどね。ウチのメイドたちの「ここで終わるなんて、残酷です!」投票ニ位ですから。

 ジュスティーヌ様の戯れも、地味に役に立ちますね。

 クスクスと楽しそうに笑う私を、コンスタンチェが恨めしげに見ています。


「まだ、代価としての価値の定まっていない武器ですよ? あなたが上手に価値を高めてくれたなら、お礼に続刊の写本の提供量が増えるとお考えなさい。……この言葉、他のメイドたちにも聞こえているでしょうから、圧の大きさに振り回されないようにね」

「あまりコンスタンチェを虐めてやるな……」


 堪りかねたように、御父様がコンスタンチェに助け舟を出します。

 仕事の大きさがわかるからこそ、でしょう。

 交渉次第では、ドロレス姉様の火薬技術や、十六夜姉様の秘蔵の香でさえ引き出すことができる、滅多に無い情報兵器なのですから。


「……で、コンスタンチェにこの件を一任して、メアリージェン。お前はその間に何を企んでいる?」

「人聞きが悪いですわ、御父様。……リャナンシーを二人、準備できました。私は、その潜入の糸を引く必要がありますの」

「そういった戦略は、ジュスティーヌはもちろん、セシルにも荷が重いか……」

「適材適所です。……ジュスティーヌ様のおかげで、こんなに早く情報兵器になるものを手にできたことが、予定外でしたから」

「月蝕城は、殊の外上手く回っているようだな……」

「ええ……御父様の表情が豊かになるくらいに」


 御父様とこんなに楽しい会話を交わしたのは、何百年ぶりでしょう!

 それだけでも、ジュスティーヌ様に抱きついてお礼を言いたいほどです。

 あの方は今、何をして楽しんでいらっしゃるのでしょう?

 こちらで残っている細々とした仕事が、とても煩わしく思えて、早く帰りたいとすら思ってしまう私です。

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