婚約破棄された死に戻り公女、二度目は両片思いな騎士さまに邁進します

枢 呂紅

第1話


「クラリス・リシュテール! 君の婚約を破棄させてもらう!」


 高らかに響く宣言に、リシュテール公国の公女、クラリスはくらりと眩暈を覚えた。


 清らかな朝の光を閉じ込めたような金の髪に、澄んだ大空のような青の瞳、完璧に整った美しい面差し。十人が見れば十人が褒めたたえる容姿をしているが、クラリスのきめ細やかな頬は気の毒なほど蒼ざめている。


 それもそのはず。クラリスはいま騎士二人に押さえつけられている。その視線の先では、隣国ラース帝国のアルク皇子が、憎々しげにクラリスを睨みつけている。


 うら若き乙女にこの仕打ちはいかがなものか。というか、なぜ皇子は婚約者というものがありながら、その腕に栗色の髪の少女を抱えているのか。ツッコミたいことは絶えないが、アルク皇子の糾弾・・は偉そうに続く。


「クラリス。君は友好国であるリシュテール公国の公女であり、私の婚約者だ。だから最大限の敬意をはらってきた。だが、ここにいる伯爵令嬢フィーネ・レノアを階段から突き落とし、その命を奪おうとした。いくら君でも、この罪は許されないぞ!」


「誤解ですわ。私は、フィーネさまを突き落としたりしていません」


「見苦しいぞ、クラリス。フィーネが階段から落ちる直前、君たちが言い争う声がしたと報告がある。なにより、君が女官であるフィーネを日頃から害していたと、フィーネが涙ながらに告発した。それでもまだしらを切る気か」


 濡れ衣である。


フィーネが階段を落ちたとき、たしかにクラリスは隣にいた。しかし彼女は、クラリスの後ろでいきなり「やめてください、クラリス様!」と三文芝居をしたのち、勝手にひとりで落ちていった。完璧な貴婦人と称えられるクラリスも、さすがに唖然とした。


真実を知っていれば「どの面下げて」と鼻で笑いたくなるもの。加えて今この瞬間にも、フィーネ嬢は耳につく甘い声で、下手な芝居を続けている。


「やめてください、アルク様……っ。クラリスさまは、ちょっと魔が差しただけなのです。いじわるだって、私が我慢すればいいことなのに……」


「いいや。フィーネは勇気ある告発をしてくれただけだ。君は何にも悪くない」


「いけませんわ。クラリス様は精霊の加護をお持ちの方……。私なんかのためにクラリス様を糾弾しては、アルク様のお立場が悪くなってしまいます……っ」


「ああ、フィーネ! こんなときまで、私を案じてくれるのか。君はなんて清らかな心の持ち主なんだ……!」


(清らかの言葉の意味、アルク様はご存知かしら)


 両側から男たちに押さえつけられたまま、クラリスは鼻白む。


 伯爵令嬢フィーネ・レノア。彼女は女官だが、同時にアルクの禁断の恋人だ。クラリスがそれを知ったのは、つい数日前のこと。夜半、アルクとフィーネが柱の陰で、口にするのもはばかられる熱烈な口付けを交わしているのを偶然見てしまったのだ。


 まさかと思って調べたら、フィーネとの関係はふたりが王立学園にいた頃から続いている。口付けどころか、もっと深い関係までいっているらしい。


 そしてクラリスが事の次第を知った途端、この騒動だ。間違いなくフィーネは、クラリスが禁断の関係に気付いたことを察して、こちらが何か仕掛ける前に動いたのだ。


なんたる悪女。なんたる悪意。清らかな乙女とは、これいかに。


 正直なところ、クラリスもアルク皇子との婚姻は乗り気ではない。皇子の山よりも高く海よりも深い自尊心は話していて疲れたし、クラリスが持つ精霊の加護も、皇子は時々我慢がならないという顔をした。


未来の妻が自分より目立つのが嫌らしい。そんなことを言われても困る。


 婚約破棄は喜んで。だけどはめられたうえでの断罪ともなると話は別だ。幸い、アルクとフィーネの不貞の証拠は押さえてある。なんなら、来るXデーに備えて、ぶちかます用意だってしてあった。


 しかしクラリスは、捕えられたまま内心溜息を吐いた。


(…………いえ。ここは自重しましょう)


 先に騒ぎを起こされた以上、無駄だ。フィーネとアルクの仲を追及しても、「だからクラリス嬢はフィーネ嬢を憎んだのか」と、いらぬ動機・・を勘ぐらせてしまう。


それにリシュテール公国は精霊や妖精の加護が強い魔術大国だが、帝国にくらべたら小国だ。下手に事を荒立てて、逆恨みでもされたら大変だ。心優しい両親にも迷惑をかけるかもしれない。


どうせ泥を被るのは自分だけだ。あちらさんの思い通りになるのは癪だが、自分ひとり、貧乏くじを引いて事を納めよう。


 クラリスは目を閉じて、そのように心を決める。だけどその時、この世でクラリスが誰よりも慕う声が響いた。


「これは何かの間違いです。リシュテール公国は、事件の再調査を求めます!」


「アルフォンス……」


 目を瞬かせて、クラリスは広間に飛び込んできた騎士を見た。


 柔らかな金髪に、甘く整った精悍な横顔。その緑の瞳は新緑のように穏やかでありながら、敵対するものには容赦なく鋭さを帯びる。そのギャップがいい。鍛え上げられた身体も、剣を持つ大きな手も、少し不器用な笑い方も、全部ぐっとくる。


 クラリス付きの騎士、アルフォンス。何を隠そう、クラリスの想い人である。


 アルフォンスとの出会いは、クラリスが10歳の頃に遡る。彼は、もとは市井の生まれだ。裏路地で死にかけていた彼を、ひょんなことからクラリスが拾い、護衛騎士として雇った。いまや彼は右に出る者はいないと言われるほどの剣の腕前であり、名実共にクラリスの一の騎士として仕える。


「我が君、クラリス公女は気高きお方です。激情に任せてご令嬢を虐げるなど、ましてや階段から突き落とすなどありえません!」


 クラリスの横で、アルフォンスは騎士としての忠節は保ちつつも、強い眼差しでアルク皇子を射抜く。その凛々しい横顔に、ほれぼれしてしまう。


 いつの頃からか忘れたが、クラリスの心にはアルフォンスがいる。剣の腕がよく、仲間からの信頼も高い。そして誰よりも誠実にクラリスのそばにいてくれる。当然、惹かれた。アルフォンスほどの美丈夫に心からの忠誠を捧げられて、落ちない人間がいるだろうか。


(言えない。実はアルフォンスが好きだから、皇子と結婚したくなかったなんて)


 なおも「クラリス姫君は淑女の中の淑女だ」「自分の婚約者を疑うのか」と皇子に食って掛かるアルフォンスの横で、クラリスはもじもじした。


 別の令嬢にお手付きしながらクラリスと婚約したアルクも大概だが、クラリスも別の男に心を奪われながらアルクに嫁ごうとした負い目がある。そういう意味では、クラリスもどっこいどっこいである。


 けれどもアルフォンスの決死の嘆願の甲斐あって、クラリスの名誉はいくばくか回復した。というより、アルフォンスがアルクたちに「フィーネ嬢との秘密の関係の証拠をつかんでいる」と匂わせると、思いのほかほかアルクたちがタジタジになって矛を収めた。クラリスが自重して使えなかった武器を、アルフォンスがきっちり使ってくれたのである。


 だからクラリスは満足だった。


結果的に婚約破棄となり、引き分け・・・・として賠償金をふんだくれなくたって、アルフォンスがクラリスを信じて味方してくれただけで嬉しかった。公国に戻ってから、婚約破棄の衝撃が収まるまではと地方の古城に引っ込むことが決まった時なんて、アルフォンスが一緒に来てくれることをこっそり喜んだくらいだ。


 しかしアルフォンスは、北の古城に向かう間、綺麗な顔に苦汁の色を浮かべていた。


「申し訳ございません、クラリス様。俺があの時、アルク皇子とフィーネ嬢をもっと追い詰めていたら、貴女が好奇の目にさらされることはなかった。貴女は純然たる被害者として、堂々と我が国に帰ってくることができましたのに」


「何を言うの、アルフォンス。帝国を相手にしても、あなたは恐れずに私を守ってくれた。それだけで十分です」


「ああ、クラリス様……。我が剣にかけて、必ず俺が、貴女を光差す場所へお連れします」


 膝をつき、クラリスの手を取って真摯に告げたアルフォンスに、クラリスはくらくらした。


 好き!大好き!一生愛してる!! 真剣なアルフォンスの手前、淑やかな姫君としての顔は崩せなかったが、心の中では小躍りした。


 成り行きはどうであれ、これでクラリスは、小田舎の美しい古城でしばらくアルフォンスと過ごす権利を得た。


 これを機に、アルフォンスともっとお近づきになれないだろうか。ひょっとしたら、彼と恋仲になれたりして。


 いやしかし。あくまでアルフォンスは主君としてクラリスに仕えてくれているだけ。いきなりクラリスが好き好き大好きアピールをしたら、「そんなつもりじゃなかったのに」と引いてしまわないだろうか。ここはやっぱり、自重すべきか……。


 ――そんなふうに浮かれていたから、バチが当たったのかもしれない。


 古城に渡ってほどなくして、クラリスは倒れた。なんとクラリスは到着するのとほぼ同じくして、北の森で古の邪竜が復活し、瘴気の毒をまき散らした。その毒が未知の病気を人里に蔓延させ、クラリスもその毒牙にかかってしまった。


 病に侵されたクラリスには皮肉に感じるほど、空は青く、晴れている。澄んだ空をぼんやりと眺めながら、クラリスは痩せ衰えた体でベッドの上で横たわっていた。


(ああ。もうすぐ終わりなのね)


 小鳥が枝から飛び立っていくのが、視界の端に映る。食事は喉を通らず、漠然とした喉の渇きにも、もはやなれた。起き上がる力もないクラリスを、アルフォンスは懸命に看病した。


「クラリス様。邪竜は無事に倒されました。もう大丈夫ですよ」


「クラリス様。今日は顔色が少しだけよくなりましたね」


「クラリス様。春になったら、サクラという花がこの辺りでは咲くようです。季節を越えたら、一緒に見に行きましょう」


「クラリス様……。俺は…………っ」


(…………もう、このひとを解放してあげなければね)


 笑顔を絶やさず――けれども憔悴していくアルフォンスを見て、クラリスは決意した。どのみち、自分の命はもうすぐ燃え尽きようとしている。


 祈るように固く結ばれた手に、ここに来た時より随分細くなってしまった手を重ねて、クラリスは掠れた声で語り掛けた。


「アルフォンス。私はもういいのです。あなたは私に縛られず、自由に生きてください」


「おやめください!」


 彼らしくもない悲壮な声で、アルフォンスが叫んだ。大好きな美しい新緑の色をした瞳が、悲しげに揺れている。そのことを喜んでしまう自分を恥じながら、クラリスはのろのろと首を振った。


「もう十分。十分なのです。私だけが主君じゃない。私だけが、あなたの生き方じゃない。私はあなたに、幸せになって欲しいのです」


「クラリス様、違います。俺は」


「行きなさい、アルフォンス。私からあなたの、最後の命令です」


 クラリスが告げると、アルフォンスが大きく目を見開いた。その瞳から、涙が零れるのをクラリスは見た。


 ああ。泣かないで。私はあなたを悲しませたいわけではない。好きだけれども。そばにいて欲しいけれども。あなたはその大きな手で、これからもたくさんの人を救うのだから。


 アルフォンスは迷っていた。主君の最後の命を受けるべきか、はねのけるべきか、彼が悩んでいるのが手に取るようにわかる。


 だけどクラリスにはわかる。アルフォンスはクラリスの一の騎士であり、そのことを誇りに思っている。そんな彼が、クラリスの最後の命をはねつけることができるわけもない。それがどんなにか残酷な命だろうと、アルフォンスには完遂することしかできない。


 クラリスの予想通り、アルフォンスは俯き、手を震わせつつも、騎士として跪いた。だけど最後の時、アルフォンスは精一杯の抵抗と言わんばかりに、こう絞り出した。


「最後に騎士としてでなく、一人の男として告げます。――お慕いしておりました、クラリス様。貴女だけを、心の底から」


 クラリスが目を見開いたとき、アルフォンスは既に騎士のマントを翻して部屋を後にしていた。残されたクラリスは、もう力なんか出ないと思っていたのに、両手で顔を覆って声を震わせて泣いた。


 これでよかったのだと。聞き分けのよい自分が胸をなでおろす一方で、真実の心は引き裂かれんばかりの痛みに震えている。


 もっと早く素直になっていたら。もっと自分に正直になれていたら。この結末は違ったのだろうか。アルフォンスと二人、手を取り合う未来はあったのだろうか。


 だけど、わからない。どこからだろう。どこから自分は、この結末を引き当ててしまったのだろう。


 古城に向かう馬車の中で、想いを封じようと決めたとき? 隣国の皇子に糾弾されたとき、無実の罪を甘んじて受け入れようと諦めたとき? それとももっと前?


 わからない。わからないけど、願ってしまう。


 もしも、もう一度、やり直すことができるなら――――。




『おっけー! そのねがい、叶えよう!』




「……は?」


 突然、目の前でくるりと回った小さなネコに、クラリスは文字通りぽかんとした。


 ネコ……の形をしている。だけど、よく見たら体は半透明でキラキラしているし、なにより喋っている。


精霊の加護――小さい頃から精霊を見ることができ、『精霊に愛されし者』の称号を持つクラリスですら、初めて見る。愛らしい子ネコだなんて、とんでもない。ネコ風のコレは、人里に降りてくるなんてありえない高位精霊だ。


『ふむふむ。理解が早くて助かるよ。さっすが、精霊女神さまに選ばれた御子だね。ぼくの魔力との馴染みもいいみたいでホッとしたよ』


「あの……精霊さま? 私に、なにかお求めなのですか……?」


『それ、人間くんって言っているようなものだからね? ぼくはチャム! 君に失われた過去と未来をプレゼントする大精霊さ』


 ぱちくりと瞬きするクラリスに、チャムはくゆりと尻尾を揺らした。


『ぼくにも助けてやりたい友達がいてさ。そこに、おあつらえ向きに精霊女神さまの祝福を受けた君がいたってわけ。利用させてもらうけど、君もやり直したいんだからウィンウィンだよね。ってわけで、いってらっしゃーい!』


 くるん、と視界が回った。



* *  *



 気づいたとき、クラリスは懐かしいリシュテール公国の王城にいた。


「……というわけなのだよ、クラリス。君に、隣国から縁談の誘いがある」


 目を白黒させるクラリスの耳に、聞きなれた声が響く。顔を上げたクラリスは、ますます仰天した。


「お、お父様!? 髪の毛がふさふさだわ!?」


「うむ? いかにも、君のパパである。あと、髪の話はセンシティブだからやめようね」


 玉座に座る父は、不思議そうに首を傾げる。その頭に豊かな白髪が乗っているのを見て、クラリスは困惑した。仙人や魔法使いを思わせる父の白髪は、クラリスの婚約破棄騒動により、心労でいくらか生え際が後退してしまったはずなのに。


 そこまで考えて、クラリスはふと引っ掛かりを覚えた。


「待って。お父様、いま、アルク皇子から縁談のお誘いが来たって言った?」


「うむ。クラリスをアルク皇子の……って、余、アルク皇子の名前まで言ったっけ?」


「そんなのおかしいわ。アルク皇子は、私との婚約を破棄したはずなのに」


「婚約破棄!? うちの可愛いクラリスに、そんなこと許さないぞ!」


 ぷりぷり怒り出した父に、クラリスは困惑しながらも徐々に理解した。


(私、過去に戻ってる!)


 あんなに体に力が入らなかったのに、すっかり元気になっていることにも、確信を深める。


 その時、大理石の床を蹴るあわただしい足音が聞こえて、愛しい人――アルフォンスが広間に飛び込んできた。


「クラリス様!」


「アルフォンス……!」


 胸がいっぱいになって、クラリスは涙が滲んだ。やっぱりだ。先ほど最後の別れをしたときよりも、アルフォンスが少しだけ若い。クラリスは隣国に渡る前、つまり二年ほどの時間を飛び越えて、過去に戻ってきている。


 癖のある柔らかな金髪。温かな新緑の色をした眼差し。大好きな彼が、また目の前にいる。そう感激するクラリスをよそに、アルフォンスはリシュテール大公がいることに気付くと、恐縮して膝をついた。


「ご無礼、申し訳ございません。しかし、大公閣下。誠でありましょうか。クラリス姫君に、隣国のアルク皇子より縁談の申し入れがあったというのは……」


「うむ。本当だよ。ちょうど、クラリスにその話をしていたところだ」


「左様、ですか……」


 深く頭を垂れているから表情は見えないが、アルフォンスは苦しげな声を漏らす。


 それを聞いたクラリスは、はっとした。


(なるほど。ここ・・なのね!)


 古城に向かう馬車の中で心を押し殺したときでもない。隣国の大広間で、いらぬ冤罪を甘んじて受け入れたときでもない。


 未来を変えるための分岐点は、このときだったのだ!


「お父様! その縁談、謹んでお断りくださいませ」


「う、うむ? だけどクラリス、この縁談は君にとってもいい話だと……」


「なぜなら私は、ここにいる我が騎士、アルフォンスを心から愛しているからです!」


「は……は!?」


 アルフォンスの腕を掴んで、クラリスは高らかに宣言する。それに、アルフォンスは一瞬ぽかんとしたあと、瞬時に仰天して目を剥いた。


 梃子でも動かぬぞと不動の構えのクラリスと、何がなにやらわからずに立ち尽くすアルフォンス。そんな二人を前に、父である大公はオロオロした。


「え……う、うむ……? 本当なのかね? その、クラリスがアルフォンスを好きっていうのは……?」


「はい! 私はアルフォンスを、騎士ではなくひとりの男性として愛しています!」


「お、お待ちください、姫君!」


 ようやく頭が追いついたのか、アルフォンスが目を彷徨わせて首を振った。


「いけません。クラリス様は、リシュテール公国の姫君。対して俺は、もとは市井の裏で死にかけていたような男です。尊き御身が、俺なんかに心を傾けてくださるなど……」


「ダメですか、アルフォンス?」


「ぐぅっ……!」


 クラリスが上目遣いに縋ると、アルフォンスは声にならない呻きを上げた。見たことがないほど狼狽するアルフォンスに、クラリスはぐいぐいと迫る。


「姫だからダメなのですか。主君だからいけないのですか。ならば喜んで、こんな立場は捨てましょう。あなたの心を得るためなら、私は何を捨てても恐くありません」


「な、なりません! クラリス様が、俺などのためにそのようなこと……!」


「それくらい、あなたを愛しているということです。アルフォンスは違うのですか? 私にこのようなことを言われても、あなたを困らせてしまうだけですか……?」


 クラリスが空色の瞳に涙を浮かべると、アルフォンスはカッと目を見開いた。勢いよくクラリスの手を両手でつかんだ彼は、頬を染めて叫んだ。


「クラリス様のためなら、たとえ火の中、水の中! いや。たとえ地獄の業火に焼かれようとも、この身を尽くして貴女だけを愛すると誓いましょう!」


「アルフォンス!」


 ヒシ!とクラリスとアルフォンスが抱きあう。ぽやぽやとまるで新婚さんのような初々しい空気が流れる中、大公は眩暈をこらえるように眉間を押さえた。


「う、うむ……。クラリスが幸せで、パパ嬉しいよ。ちょっと寂しいけど……。だけど、どうしたもんかな。帝国からの縁談なんて、断り方がわからないよ」


「そのことだけれど。アルク皇子は、フィーネ・レノア伯爵令嬢と恋仲なのよ」


「え!? なんだって!?」


「お二人が王立学園からの関係で、とっくに純潔も散らしているわ」


「な、な、な~~~~! 許さん! そんな軽い男に、うちのクラリスはやらないぞ!」


 怒り狂った大公は、伝手を使って全力でアルク皇子の近辺を洗い、クラリスの告発が真実である証拠をつかんだ。それをもとに隣国に詰め寄ると、事実を知らなかった皇帝に平謝りされ、クラリスへの婚約打診も白紙に撤回された。ちなみにアルク皇子とフィーネ嬢は、謹慎処分として別々の国に留学させられたらしい。


 未来は変わった。新しい日常が築かれていることを、他でもないクラリスが実感している。


 そんな中、クラリスはある意味で懐かしの古城に、出立を決めた。


「よろしいのですか? 隣国のアルク皇子からの誘いが立ち消えたいま、クラリス様には数多の殿方から誘いが絶えません。そんな時に、王城を離れてしまって……」


「いいのよ。これは約束を果たすためだもの」


 困惑して首を傾げるアルフォンスに、馬車の隣に座るクラリスは笑顔で首を振る。


 時が巻き戻る刹那、クラリスには視えた光景がある。


 それはやり直しの機会を授けてくれた精霊、チャムの記憶。チャムは北の森で討伐された邪竜――そうなる前は北の森の守り主であった竜の古い友達だった。


 長い眠りの中で瘴気に毒されてしまった友達を、チャムは救いたがっている。だからチャムは、友達が邪竜として目を覚ますより二年も前に、クラリスの時間を巻き戻した。


(ひとり寂しく死ぬところだったのを、助けてもらったんだもの。今度は私が、チャムの大事なひとを助けなくちゃね)


 日増しに強くなる精霊の加護に想いを馳せて、クラリスは強く頷く。チャムが北の森で待っているのを感じる。その願いに、全力で応えよう。


 固く決意をしてから、クラリスは悪戯っぽくアルフォンスに身を寄せた。


「それに……まだ、そんなことを言ってるの? 私はあなたを愛していると言ったのに?」


「うっ……」


「どうしましょう。私はこんなにもあなたを愛しているけれど、アルフォンスは他の男に目を向けろというのだもの。私は心を殺して、他の男の腕に抱かれるしかないのかしら」


 クラリスがわざと悲しげに溜息を吐くと、アルフォンスに強く腕を引かれる。熱い吐息が頬を掠めて、そのままクラリスはアルフォンスに唇を奪われた。


 しばらくして唇を離したアルフォンスは呼吸を乱れさせたまま、クラリスの上気した頬を慈しむように撫でた。


「許しません。――心を決めた以上、俺はあなたのものであり、あなたの俺のものです。指の先、髪の毛の一本でさえ、他の男になどくれてはやりません」


 いつもは穏やかなアルフォンスの緑の瞳に男の欲の熱を見て、クラリスはくらくらと眩暈がするほどの幸せを覚えた。


 こてんと身を預けて、クラリスはふふっと笑みを漏らした。


「変なアルフォンス。嫉妬するくらいなら、初めからそう言えばいいのに」


「すみません……。まだ、貴女と想いを通じ合わせることができたと、実感ができなくて」


「わからないなら、わからせてあげましょうか。幸い、古城につくまでは馬車の中で二人きりなのだし」


「い、いけません! そのように煽られては……暴走した俺が何をしでかすか、自分で自分が恐ろしい」


「アルフォンスは真面目ね。けどね。過ぎた我慢は後悔しか残らないわ。これは信ぴょう性の高いアドバイスよ。私の経験則上ね」




 カタコトと馬車が揺れる中、クラリスは愛しいひとの温もりを噛みしめながら、改めて胸に刻む。


 今度こそ自分に正直に。最愛の騎士さまとの幸せ人生に全力で邁進します!



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婚約破棄された死に戻り公女、二度目は両片思いな騎士さまに邁進します 枢 呂紅 @kaname_roku

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