第41話 聖女の紋章

「間違いねーよ、これは『聖女の紋章』だろう。いくつかの文献と一致する」


 私の右手に刻まれた紋章を見て、リリィが即答した。

 帝都大聖域から帰ってすぐに、私の身に起きたことを明らかにしようと宮廷魔導師であるリリィが呼び出されたのだ。

 この城にやってきた日以降、私の存在はなるべく外に漏れないようにしてくれているので、必然的に対応する人材は限られてくるというわけだ。


「う、うそ……なんでいまさら……」


 優秀すぎるバフ捲きスキルと回復スキルを保有している聖女キャラに転生してからこちら、過労死ルートを回避するために生きてきたつもりだ。

 今まで、それなりに上手にやってきたつもりだけれど──なんでこんな刻印が!

 デジタル・タトゥーだ、いや、デジタルではないから純粋なタトゥーだ。


「これじゃ、おんせんにもはいれない!」


 刺青やタトゥーをしたかたのご入浴は遠慮願います。

 おわりだ。

 いや、温泉に行く予定もないのだけれど……っていうか、この世界に温泉ってあるのだろうか。普段、庶民はたらいに張ったぬるま湯で身体を生活に保つくらい。

 さすがに王城には浴室もあるけれど、いわゆるデッカい温泉はない……たぶん、そういう文化がないんだろう。


「オンセン?」

「こっちのはなしですぅ」


 私はすっかり意気消沈してしまった。

 こんなものが手に刻まれていたら、見る人が見たら私が聖女だとわかってしまう。


「わ、わたしのおだかやな……がっこうせいかつが……」


 心配そうに見ていたお母様が、たまらずに声を上げる。


「あ、あの……リリィちゃん。サクラちゃんの身体は大丈夫ということかしら?」

「ん、それは心配ないはずだ。『秘密の薔薇園』でいえば、ラ・マンチャの背中から羽根生えたみたいなことだ」

「ああ! なるほど、そういうことなら、ひとまず安心です」


 わ、わかんない! 全然、わかんない!

 『秘密の薔薇園』というのは、リリィとお母様の共通の趣味である、人気ボーイズラブ小説だ。ちなみに、そのシリーズの著者が侍女メアリーだったということがわかって、二人は大興奮だった。

 メアリーのほうは、最初はやりにくそうだったけれど、今は読者の生の反応が貰えることが張り合いになっているようで、執筆のペースもあがっているとか。


「アルバスが切り落とした羽根の痕を撫でるシーン……いいですよね……」

「そうなんだよ、ラ・マンチャが背を向けるのって信頼の証でもあり、撫でてほしいっていうおねだりの気持ちでもあり!」

「そう、そうなのよリリィちゃん!」


 オタクふたりが、固く握手をしている。

 なんだか、疎外感!


「とにかく、サクラちゃんの身体に害がないならよかったけれど……本当におどろいたわ」


 ふぅ、とお母様が溜息をついた。

 学校生活のことは少し心配だけれど、のろいの刻印とか淫紋とかじゃなくて本当によかった……。


「とにかく、もう遅いわね。サクラちゃん、ひとりで眠れそう?」

「もちろん! わたし、もう──」


 もう子どもじゃない、と言おうとして思いとどまる。

 私、まだまだ子どもだわ。



 その日の夜。

 図書館から借りてきた本を読んで、枕元の灯りを消した。


 ぬくぬくと羽毛布団に潜り込んで眠りにおちる。

 普段ならば、私は夢も見ないで朝までぐっすりと眠り通してしまう。

 けれど、その日は違った。


(ここは……?)


 もやのかかった、神社の境内だった。

 そこに、小さな女の子が立っていた。

 巫女服のようなものを着た、不思議な子どもだ。


 私に小さく手を振って、呆れたように言った。


「まったく……『おしるし』の発現なんて本当だったら、もっと小さいうちに済ましておくつもりだったのに」


 ほわほわとエコーのかかったように響く声。

 ここが夢の中なのか、それとも女の子が特殊な存在だからなのか。


「おしるしって……この手の紋章のこと?」


 あれ、舌が回る。

 気がつくと、私は幼い聖女ではなくて、成長した『過労死聖女』になっていた。

 うわあ、ナイスバディ!


「おどろいているな。ここは夢とうつつの境だ。私のような消えかけの神もどきも、こうしておまえと話ができる」

「か、神!?」

「気がつかなかったのか? 毎朝、あんなによくしてくれていたのに」


 境内の奥にある、神社の本殿をよく見る。

 ……あの小さな祠だ。

 サイズが大きくなっているけれど、帝都大聖域にあったあの祠──つまり、サクラが前世で毎日


「そう。おしるしがあれば、もっと色々すごいことができるようになる」

「できなくていいんですが……」

「それじゃ、見てておもしろくない」


 小さな神様は「何、当たり前のこと言わせとんねん」という表情で言った

 おもしろくない、とな。


「おまえには恩がある。我らのような小さな神は、敬ってくれる人間がいなければ存在を続けられない……お前がいたから、あのボロ祠の主である私がこうして長らえているわけだ」

「は、はぁ」


 それはよかった。私はお祖父ちゃんの言いつけを守っていただけだけど。


「だが、そんなお前が死んだだろ? こっちももう長くない……というわけで、色々と裏技を使って、お前を異世界こっちに送ったわけ」

「ほ、ほおお?」

「おまえの活躍を眺めながら、消えるまでの暇つぶしをしようと思ってたわけ。で、うまくすれば、我ごとこっちに引っ越そうと思っていたのだよ……異世界こっちでうまいこと人の信仰を得てな」


 なるほど、神様の考えることはわからない。

 とにかく、この小さな神様は私の活躍を、団地の片隅の祠から配信者の実況動画よろしく鑑賞していたらしい。


「でな、その紋章は我からもぷれぜんとだったわけだ」

「プレゼント? どういうこと?」

「莫大な力を操るには、そういう『なかだち』が必要だ。ほりゃ、巫女は幣をふりまわすし、まほーつかいは杖をにぎってるだろ」


 なるほど。

 私は右手の紋章を眺める。デザインがそこそこカッコいいのだけが救いだ。


「というわけで、今後のさらなる活躍を期待しているよ」

「ええ、ちょっと……使い方とか」

「それを見つけるのに、あたふたしてるのを見るのも面白いんだって」

「ええええ~!」


 なんて神様だ!

 いや、こんなセカンドライフをくれたのは、ご親切極まりないけど。


「……それじゃ、そろそろ目覚める時間だ。サクラ」


 小さな神様は言った。

 周囲がキラキラと、朝日のように輝き始める。


「ちょっと待ってって!」

「なんだ、しつこいな」

「あの祠、昔みたいにお掃除してもいいですか!」

「……え?」


 私の提案に、小さな神様はポカンと口をあけた。


「もう、そんなことしなくてもいいのだぞ」

「したいから、するの!」


 この神様が、私を転生させてくれたらしい。

 それにあの祠がなかったら、私の前世はもっと早くに終わっていた気がする。

 毎日、日常から切り離された作業をすることは大事だ。


 たとえば丁寧にコーヒーを淹れる時間を持つことはできなかったけれど、私にとってのそういう時間は、団地の片隅の祠を掃除する瞬間だったのだ──お祖父ちゃんとの絆を、ちょっとは感じられたし。


 だから、そのちょっとした御礼だ。


「……そりゃ、好きにしたらいいが」

「ありがとう!」


 私は、小さな神様に手を振った。

 身体が大人のサイズなので、思ったよりもブンブン手を振りまわす馬鹿みたいな動きになってしまったけれど……。


 ◆


 目が覚める。

 今日は晴れだ、とっても晴れている。

 右手には、やっぱり紋章が刻まれているけれど……まあ、爽やかな朝だろう。


「おはようございます、サクラ様」

「おはよう、メアリー」


 侍女のメアリーが、朝の洗顔セットを持ってきてくれる。

 お湯と水をいいかんじにブレンドして、いい感じの温度で朝の支度をさせてくれるのだ。だが、今はそれはどうでもいい。


「ていとだいせーいきの、おそうじしていい?」

「……熱でもあります?」

「ちがうー!」


 思い立ったはいいものの。

 状況の説明が、なかなかに大変だったのである。


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