第32話 ノアルを救え!?

 集会所になっている二階に戻る。

 さっきよりも信者たちの熱気が高まっていた。


「今月は時計台の上から噴水広場に魔塵を撒きました!」

「時計台に潜り込んで内鍵をあけたのは、うちの娘ちゃんなのですよ!」

「たくさんの知り合いに、子どもを魔塵に触れさせることのすばらしさを伝えました!」

「隠された秘密を──」

「うちのほうが頑張りました、帝都図書館に魔塵を──!」


 唾を飛ばしながら、我が割れがと主張を繰り返す人たちの熱烈な視線の先にいるのは、ローブを着た人。っていうか、やっぱり帝都図書館に魔塵をまいたのは、この人たちだったみたいだ。しかも、一般の信者──怖いなあ。


「どうか私に魔塵を! 教主さま!」


 真ん中に立っている1番オーラのある人が、教主さま……拝塵教団の中心人物みたいだ。

 ノアルさんの姿を探して、キョロキョロと周囲を見回す。すると──。


「……ノアル」


 私を抱っこしているアインツさんが、息を呑んだ。

 その視線の先には、ノアルさん。

 でも、様子がおかしい。信者たちの群れに混じって、見たことのないような蕩けるような表情で、前へ前へと手を差し伸べている。その先に佇むのは、拝塵教団の「教主様」だ。


 ……うそ。

 私はちょっとだけ、混乱した。


 あのままじゃ、アインツさんが拝塵教団に洗脳されてしまうと思った。実際、かなり危ないところだったと思う。

 でも、ノアルさんは絶対に大丈夫だと思ってたのに。


「新顔のお母さまも、魔塵が排除された世界がどれだけ不自然なものかをわかってくださったようですね……」


 教団員が微笑んで、ノアルさんの手を取る。


「魔塵症で命を落とす者は、そもそもが不信心なのです。魔塵を素晴らしいものとして受け入れる心があれば、魔塵症は起きません……その証拠に、魔塵症に苦しめられているのは、整えられた環境でのうのうと過ごしている王侯貴族や金持ちに多いでしょう?」


  出ました、それっぽい理屈!

 ノアルさんはうっとりと頷く。

 魔塵の満たされた瓶を持った白いローブの教主様がゆっくりと掲げる。


「さあ、今日は祝福を誰にさずけましょう?」


 とたんに、信者さんたちから歓声が上がった。


 魔塵を崇拝する拝塵教団は、集会のたびに魔塵を市井の信者たちに譲り渡して、あちこちに散布することを求めているらしい。

 あれを貰うことは、彼らにとっては大変な名誉なのだろう。


「教主さま、この活動のすばらしさを広めるために、何をするべきでしょうか」


 と、ノアルさん。


「ああ、あなたは物わかりがよろしいご婦人だ。まずは、あなたのご家族……あの娘さんに魔塵と触れあう機会をさしあげましょう。子どもは柔軟です。成長の過程で、魔塵によってさまざまな力に目覚めるでしょう」

「力に、目覚める?」

「ええ、かつて存在した人を超越した存在に近づけるかもしれません」


 聞いていると、意味もなく納得してしまいそうな柔らかくて説得力のある声。

 さすがは教主様だ。

 アインツさんが、ぼそりと呟く。


「まさか……”魔族”を復活させようというのか……?」


 魔族。

 いわゆる、この世界の敵性存在だ。


「さあ、目覚めましょう。人だけがのざばる世に疑問を持ち……新しい世界を作るのです」


(思ったよりヤバい人たちかも……ノアルさん、しっかりして……!!)


 私は、首元に撒いたスカーフをぎゅっと握りしめる。

 その魔塵を吸い込んだ人たちが、徐々に衰弱していく魔塵症を発症してしまう……そのせいで、私が通うはずの王侯貴族のための学校は、一時閉鎖になってしまっているほどに被害が拡大している。


 ちびっこに転生して、子ども時代をやりなおす──ノアルさんとアインツさんのような、青くて春な学生時代を過ごすという私の夢をかなえるためには、拝塵教のみなさんには大人しくなって貰わないといけないのだ。



「なんて、すばらしい理念でしょう!」


 恍惚とした表情のノアルさんが叫ぶ。

 嬉しげな声で、教主様とかいう白ローブの人が朗々と宣言した。


「ここに一人、あらたに目覚めた同志が誕生しました!」


 拍手が起きる。

 誰もが幸せそうで善良そうな笑顔を浮かべている。怖い。


「あ、あの」


 ふと、顔色の悪い子どもを抱えた女の人が声を上げた。

 集会場の片隅で、ずっと下を向いて黙っていたのだろう。女の人の膝でグッタリと横たわり、咳を繰り返している男の子──図書館に撒かれていたのと同じ、禍々しいオーラが肺のあたりに停滞している。

 あれが、魔塵症というやつだ。私は確信した。


 男の子の母親が、蚊の泣くような声で訴える。


「教主様、わ、わたしは……ずっと教えを守ってきました。それなのに、この子の病気が……治るどころか、重くなる一方で……」


 さっきまで笑顔だった信者の人たちが、無表情で女の人と咳をする男の子を見つめている。顔からは、あらゆる感情が抜け落ちているみたいで不気味だ。

 例えるのなら、満員電車でスマホを見つめる社畜の表情のまま、窮状を訴える母子を見ているかんじ。


 教主様が、呆れた声で女の人を切り捨てる。


「恐れる必要はありません。魔塵を吸い込んだとしても……魔塵をあがめ、我々に心身を捧げる覚悟さえあれば、病に倒れることはないでしょう」

「で、でも……」


 ……そのとき。

 アインツさんが、私を抱っこしたままでノアルさんに駆け寄った。


「ノアル!!」


 明らかに場を乱す、鋭い声。

 けれどノアルさんは、振り向かない。


「すまない、僕が席を外した間に何かがあったんだな? 大丈夫かい?」

「…………」

「ノアル、目を覚ましてくれ! 任務はたしかに重要だ。でも、君に危害が加わるんなら話は別だ……撤退しよう」

「…………」


 うつろな目で、私たちを見上げてくるノアルさん。

 沈黙と、周囲からの視線が突き刺さる。


「任務、とはどういうことですか?」


 教主の言葉に、ノアルさんは「はーぁ」と溜息をついた。 

 そして。

 ノーモーションで、アインツさんに詰め寄っていた武装した信者に鋭い蹴りを叩き込んだ。


「ぐほっ!」

「……まったく、上手くいきそうだったのに。心配しすぎだよ、アインツ」

「ノアル!?」


 しなやかに身を翻して信者たちを次々に倒していくノアルさん。

 信者たちが、悲鳴をあげながら逃げていく。

 口々に「やばい、ガサ入れだ!」みたいなことを口走っていたので、後ろめたいことをしている自覚はあったみたいだ。


「き、きみ……すっかり洗脳されてしまったんじゃ……?」

「は? 演技に決まっているだろう」


 突然の大立ち回りにあっけにとられているアインツさんに、ノアルさんが呆れ顔をする。


「あのまま、彼らの話を聞いていたらお前の方が参ってしまいそうだったから……私が、陥落したフリをしたんだよ」


 な、なるほどー!

 やっぱり、ノアルさんは隠密隊の精鋭だ。


「じゃ、じゃあ……君は、僕のために……?」

「なっ!」


 こんなときに、とノアルさんが恥ずかしがっているような怒っているような顔をして、ぷいっと顔をそむけた。


「そういうわけじゃない! 任務のためだ!」


 でも、とノアルさんが呟くと同時に、背後から大きなツボでノアルさんの頭をかち割ろうと襲いかかってきた信者の攻撃をかわして、腕をひねりあげる。一応は一般人相手だから、キックやパンチは慎んでいるらしい。


「でも……お前が本当に、いいやつだってことはわかったよ」

「僕が?」

「どんな主張であれ、耳を傾けようとするから混乱するんだろ──それは、アインツの美点だよ」


 言いながら、ノアルさんは教主ににじり寄る。


「さて、大人しくしてもらおうか」


 潜入、制圧、確保。

 予想外のアインツさんの乱入にも動じないノアルさんは、とってもかっこよかった。色々と心配事があったけれど、私は本当にちびっこを演じていればよかったので、ちょっと拍子抜けだ。


「……何者だ」


 教主様が問う。


「答える義理はない。王命により、お前たちを捕らえる。それだけで十分だ」


 ノアルさんが答える。

 か、かっこよすぎる。

 ほら、アインツさんもちょっとぽーっとしちゃってるし。


 教主様が、チッと小さく舌打ちをした。

 そして──。


「貴様らに、魔塵の祝福を」


 手にしていた瓶を、床にたたきつけた!

 え、嘘でしょ。

 それ、まき散らしたらヤバいやつじゃないの……!?

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