第24話 触手の弱点

「メアリー! ごめんなさい、しんぱいかけて」

「いえ、いいのです。リリィ様とご一緒なのはわかっておりましたので。むしろ、本の返却のためにおそばを離れたのは、私の不徳のいたすところです」


 なんでこの侍女は、こんなに落ち着いているのか。

 触手が暴れる図書館だ。

 もう少し狼狽えてもいいのに、クールにも程がある侍女であった。


「リリィ・フラム様、恐れながらこの場所は危険なようですので……サクラ様をお引き取りしても?」

「そ、そりゃかまわないが! こんな状況で、他に言うことはないのかよ!?」

「特には……サクラ様の子守が私の職務ですので」


 しれっと言い放つメアリーに、リリィが大きく溜息をつく。


「な、なんなんだよこいつらぁ……」


 リリィが頭を抱えてしゃがみ込む。その間にも、触手の餌食になった魔導師たちが、あんな目やこんな目にあっている。

 メアリーがサクラを抱っこする。


「参りましょう、サクラ様」

「あ、あの……みなさん、困ってるのだけど……?」

「あなたの身に何かがあった場合は、わたくしが困ります」

「うっ」


 板挟みだ。どうしたものか。

 

(わ、わたしはただ、調べ物を……この世界のあれこれについて知りたかっただけなのに……)


「……あのバケモノを退治されたいのですね」

「そうだよ、どう考えてもそうだろ、この状況は!」

「こう、魔導で焼き払うのはダメなので?」

「できるさ! でも、そうなったら本が……とにかく、あいつの弱点を突かないといけないんだ──くそぉ、あいつ本編でも結局は倒せなくて」

「…………ふむ」


 メアリーが少し躊躇したように、顎に手を当てる。


「その、恐れながら……あの本は焼かれても問題ないかと」

「や、焼かれて問題ない本があるか!! ばか!!」

「あのバケモノがどの書から出てきているのか、ご存じなのでしょうか。宮廷魔導師殿?」

「そ、れは……そのー、まあ、そうだ」


 リリィの返答に、メアリーは少し目を見開いた。


「なんと」


 むぅ……と考え込むメアリー。

 何か葛藤があるようだ。

 抱っこされているサクラにだけ、メアリーの呟きが聞こえた。


「……何故あの本がこの図書館に置かれているのか。恥ずかしい……」


 ん? と思ったのも束の間、メアリーが端的な言葉を発した。


「あの触手の弱点は、心臓です。そこを破壊したら動きが止まります」

「え? 今、なんて」

「心臓です。心臓を狙ってください」


 メアリがきっぱりと言い放つ。

 リリィは困惑して、赤と金の瞳を揺らめかせた。


「なんであんたが知ってるんだよ、えっと」

「メアリーです」

「信じるとして……あいつに心臓なんかあるのか?」

「はい。場所は『根元近くにある割れ目の右から二番目の生えかけの触手』です」

「は?」

「『根元近くにある割れ目の右から二番目の生えかけの触手』です、覚えてください」


 覚えにくい。

 根元近くにある、割れ目の右から、二番目の、生えかけの触手……。


「ええい、もう細かいことはツッコミ疲れた!」


 リリィが叫んだ。

 手にしていたハタキを、ずいっとサクラに差し出してくる。


「おい、ガキんちょ! こいつにありったけの祓魔の魔力を込めろ」

「わ、わかった」


 さきほどのように魔導具に手をかざして、力を込める。


(んっ、息を止めて、ぐっとりきむ感じ……コツが掴めてきたかも)


 ありったけ。

 ありったけって、どれくらい?

 力を込める強さなのか、時間なのか。


「ん、むむっ……」 


 ぐぐぐ、と力を込め続ける。

 ハタキの帯びる光が、どんどん強くなる。


「くぅ……ふむうう……!」

「サクラ様、顔が真っ赤です。大丈夫ですか?」


 メアリーが心配そうに覗き込んでくる。

 力みすぎだろうか。


「よし、いいぞ!」


 リリィの声に、サクラは力を込めるのをやめる。

 すでに魔導具が強い光を帯びている。見るからに、強そう。


「とにかく、その二番目の触手を、こいつで払えばいいわけだな?」

「魔導には疎いですが、おそらくは」


 リリィがハタキを掲げて、叫ぶ。

 すでに図書館にいた男の魔導師たちは、ほとんど触手の餌食になっている。


「よっしゃ! 了解、OK。そうすれば、本は無事……!! あたしも、続きを読める……っ!」


 うぉおおおぉ、と雄叫びをあげながら触手に突っ込んでいく。

 その背中は、とても頼もしかった。








──数分後。


「う、ううぅ……気持ち悪ぅ……」


 べちょべちょの粘液まみれになったリリィが、床に転がっていた。

 触手のほうからは、相変わらず男たちの悲鳴が聞こえ続けている。

 どうやらこの触手、リリィのような年端もいかない少女は「対象外」のようだ。なんとも倫理的……いや、本当にそうかしら?


「だ、だいじょうぶっ?」

「問題ない……くそ、あたしとしたことが! つーか、構造がフクザツすぎて、どこが生えかけの根元の右にある二番目の……?」

「『根元近くにある割れ目の右から二番目の生えかけの触手』です」

「とにかく、見てもわかんねー……」


 はぁ、とメアリーが溜息をついて、リリィの手からハタキを取り上げた。


「わかりました、この用具をお借りしますね」

「お、おい!」

「ご心配なく。掃除は侍女の勤めですから」


 やっぱりそうだ、とサクラは確信した。


「まって、あたしもいく!」

「ですが、サクラ様」

「あたしもいれば、おそわれないからっ」

「……たしかに、アレは実際にこちらを襲ってはきませんね」


 ふむ、とメアリーは唸る。


「メアリーはあたしの子守りだから、ほんとは目をはなしちゃダメなんでしょ?」


 サクラはメアリーに駆け寄って、抱っこをせがむ。

 ひとつ息をついて、メアリーは「失礼いたします」とこの数日と同じような調子でサクラを抱き上げる。


「わかりました……そのお言葉、信じさせていただきます」


 左腕にサクラを、右腕にハタキを持ったメアリーは、迷いなく歩く。

 結果として。

 侍女メアリーは宮廷魔導師たちが手こずっていた名状しがたきバケモノ祓い、いや、払いを完璧にやってのけた。

 リリィや開放された魔導師たちが、ざわめいた。


「あんた、一体なにものだよ!」

「ただの侍女です」

「ぜってぇ嘘だろ……報告書作成する身にもなってくれ」


 リリィが今日いちばんの、大きな溜息をついた。


「サクラ様がいらしたおかげです。アレは私どもに危害を加えられそうもありませんでしたので」

「そうか。で、例のブツは?」

「はい?」

「あの怪物を出しやがった本だよ、その、例の!!」

「これですか」


 メアリーが差し出した本を、リリィがひったくった。


 ──『秘密の薔薇園、深淵の薫香』


「よかった、シリーズ最新作……!」


 ふぅ、と安堵の吐息を漏らしたリリィが、「いったいどんな邪書なのか」と書名を覗き込もうとする年上の魔導師たちを追い払う。

 サクラの母……今やこの国の王女様として返り咲いたアマンダが、熱心に貸本屋から取り寄せて(夫に黙ってこっそり)愛読していたシリーズだ。まさか赤ん坊だったサクラに字が読めていると思わなかったのだろう。

 見たことのないタイトルだ。最近刊行されたらしい。


「……つーか、あんたもこの本を読んでるんだな」


 声を抑えて、リリィがメアリーに囁く。

 同類を見つけた喜びが表情から溢れているが──たぶん、そうじゃない。

 いつも冷静沈着に見えるメアリーが、なんともいえないモゴモゴとした表情で、返答に詰まっている。


「いえ、私は」

「……さくしゃ」

「え?」

「作者……これ書いたの、メアリーなんじゃない……?」


 さくしゃ。

 その言葉を咀嚼したリリィが、あんぐりと口を開けて……叫んだ。


「さくしゃーーーー!?」

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