第12話 【小さな神様】

 おかしいな、と「それ」は首をかしげた。


 「それ」は少年の姿をしていた。口角のきゅっと跳ね上がった小生意気な口元に、勝ち気な瞳。白く輝く銀髪はウェーブがかかってあちこち跳ねている。

 なかなかにキュートだ。


 日本の某所。団地の片隅に忘れ去られた、小さな祠。

 その中で「それ」はくつろいだポーズで両足を投げ出していた。

 「それ」の見つめる先には、大きな鏡がある。


 大きな鏡に映し出されているのは、ピンク色の髪に若草色の瞳をした幼女の姿……サクラだ。

 

「すんごい力を授けて異界へと導けば、その力を使ってウハウハのニコニコではっぴぃな暮らしをするのではなかったのか……?」


 うーん?と不満顔の「それ」は、要するに少年の姿をしている。

 少年 in 小学校の片隅の百葉箱より小さい祠だ。

 そう。少年が見つめているのは大きな鏡、ではなく。

 少年が、とても小さいのだ。

 シル●ニアファミリーサイズなのだ。


「せっかく話をつけて転生させたのに……何か気に入らなかったのだろうか?」


 「それ」の名前は、もうとうに失われてしまっている。

 仮に、道ばたの神とでもしようか。

 道ばたの神の小さな祠。

 祠とともに誰にも手を合わせられることなく朽ち果てていくかと思っていた矢先に、ある男が祠を修理した。物好きな人間だと思った。


 その人間の孫が、毎日欠かさずに祠の手入れをしてくれた。


 泣いている日も。

 眠れなかったのであろう日も。

 げっそりとやつれてうつろな目をしている日も。


「毎日手を合わせてたのが、現世利益を授けられるほどのえらい神様じゃなかったのが運の尽きだったよな」


 道ばたの神は、死んでしまったその人間を哀れんだ。

 そうして、神様組合のツテをたどって「サクラ」を転生させるに至ったわけだ。

 彼女の積み上げた小さな「徳」を、ありったけ現地で役立つという「魔力」に変換して。


「……っていうか、気づいてないのか?」


 3年前にサクラがあちらで生まれてから、道ばたの神は彼女の成長を観測していた。もうこの世界には、道ばたの神をかえりみてくれる者もいない。あとは消えゆくだけだし、余生はサクラの様子を見守ることにしたわけだ。


「あの子、生まれてから何度もケガレというか……こっちの世界でいう「邪気」を浄化してるよな。飛んでくる虫でも払うみたいに」


 そういうわけでサクラの育った村は、疫病が流行ることもなければ、モンスターが出現することもなく平穏無事に過ごしていたわけである。


「あの家も造りはいいけれど、古くてけっこう邪気がこもってたからなあ……サクラがいなければ、あの両親も今頃、病気のひとつでもしてただろう」


 小さな神様は、ちょいちょいっと鏡の表面を指先でなぞる。

 ちょうど、タブレットを操作する要領だ。


「……あー、やっぱり」


 鏡の中には、かつてサクラたち一家が暮らしていた村が映っていた。

 古いながらもよく手入れをされていたはずの家は、今は見る影もない。

 かつては家族の温かい食卓だったはずのテーブルには、げっそりと痩せた男がテーブルに突っ伏している。


「こいつが借金をふっかけた悪党か。こりゃあ、長くないだろうなー」


 男の肌にあやしげな紫色の斑点が浮かんでいる。咳き込むたびに、紫色の粉塵が肺から吐き出されている。魔塵症まじんしょうと現地で呼ばれている症状である。


「ははー、この病になると周囲の悪鬼も寄ってくるのか。厄介だなー」


 けらけら笑う道端の神様。


「サクラがいれば、虫をぺちぺち叩くみたいに追い払ってくれただろうに」


 事実、サクラがこの家に住んでいる頃、赤ん坊がでたらめに手足を振り回しているように見えた動きで払われた邪気もあったのだ。

 しかし、もうサクラはいない。この家を追い出されてしまったから。

 鏡の中で、サクラ一家を陥れた男が呻く。


『うぅ……なんで……俺が何したってんだ……』

「いやいや、しただろ。小悪党に限って被害者ぶるんだよな、人間ってのは!」


 やれやれ、と道端の神様は苦笑した。

 じっと黙って我慢する者ばかりがワリを食うのだ。


「小ずるいやつほど良い奴のフリをするし、たいした能力もないやつほどデッカい態度をしたがるんだ……まったくもって、嫌になるね」


 長いこと道端から眺めてきた、人間たちの人生を思い返す。

 そうして、鏡の中に映る風景を切り替えた。

 ブツクサ文句を垂れながら滅んでいく人間に、もう興味はない。


「この子はほんとうに、妙な人間だなぁ」


 再び鏡に映し出されたサクラを眺めて、道端の神様は懐かしげに目を細めた。

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