第7話 シュヴァルツさん①

 シュヴァルツさんの家は、帝都王城の片隅にあった。

 片隅といっても王城はかなり広い敷地があり、王城の背後を守っている険しい山の奥深くにあった。


 外からはまったく見えないし、こんな場所に人が住んでいるとは思わないだろう。 

黒ずくめのシュヴァルツさんは、私を抱っこしたままで険しい山道をひょいひょいと登っていった。途中、小型のモンスターに襲われたけれど、シュヴァルツさんはノールックで倒していった。

 ノールックって。

 まあ、あの大きな泥蛙竜トード・フロッグを一刀両断するのだから、今更驚かないけれど。気がつけば、私はシュヴァルツさんにぎゅっとしがみついていた。

 体温の低い、感情も読み取りにくいシュヴァルツさんだけれど、ちょっと信頼っていうか、安心みたいなものを感じてしまうのだった。お人好しすぎなのかな、と思わなくはないけれど。


 シュヴァルツさんの家に着いたころには、もう夕暮れになっていた。


「狭い家だが、貴殿も小さいし問題ないだろう」


 シュヴァルツさんの家は、小さなアパートみたいなかんじの集合住宅だった。

 ベッドがひとつに、小さなテーブルセットがひとつのワンルームには、キッチンと呼ぶには粗末な作業台がひとつ……とはいえ、この世界ではかまどで火を扱うので、集合住宅にキッチンがあるほうが驚きだけれど。


 というか、アパートがあるんだな。


「ここは様々な事情で居住地を知られたくない人間が住んでいる寮だ。帝国に力を貸すことを条件に、な」


 シュヴァルツさんはそっと私をベッドにおろす。固いマットレスだ。

 金だらいやタオルを用意しながら、シュヴァルツさんがぽつりぽつりと独り言。


「住人同士の交流はないから安心しろ。ただし、夜泣きは勘弁してくれよ」


 夜泣き。

 ほとんどしたことがないです、はい。

 温かい家庭で育てられて、子供らしい日々を送っていたことは泣くほど嬉しくはあったけれども。たまには夜泣きとかしたほうがいいかな、と思ったけれど、結局照れくさくでできなかった。一応中身は、大の大人なので。


「言っておくが……ベビーベッドなんてないからな。承知しておけ」


 3歳児にむけるような言葉使いではない。

 でも、たぶん私が怯えないように気を遣っているのであろうことはわかった。

 ふと、シュヴァルツさんの動きがとまる。


「おまえ、おむつは取れているのか?」

「あい」


 こくん、と頷く。


「食えないものはあるか? 好き嫌いは勘弁してほしいが、食うと具合が悪くなるなら問題だ」


 アレルギーのことか。

 この世界で食べた、かたくて酸っぱいパンや、えぐみの強い野菜や泥臭いお魚たちを思い出す。美味しくはなかった。美味しくは、なかったけれど。


「ない、れす」

「わかった」


 シュヴァルツさんが頷く。

 自分の頭の中の言葉に、舌や口の筋肉が追いついていなくて甘ったれた発音になってしまうのがちょっと恥ずかしいけれど、たぶんあと数年の辛抱だろう。


「少し出てくる」

「おこいぅのれすか?」

「ん?」

「どこ、いくの、でしゅか?」


 ああ、もう!

 お母さまやお父さま、村のおばちゃまやおじちゃま相手なら気にならない幼児っぽい喋り方だけれど、なまじシュヴァルツさんが大人にするように喋りかけてくるので困る。


「ああ、湯をもらってくる。心配しなくていい。長旅だったから寝る前に汚れを落としておくほうがいいだろう」


 お湯!

 真冬はともかく、この春先の時期は村ではすでに水浴びになってしまっていたからありがたい。

 ベッドにちょこんと座って待っていると、シュヴァルツさんが戻ってきた。

 大きな金だらいに、湯気の立つお湯がたっぷりはられていた。この世界、金属加工の技術はけっこう高いんだよなぁ。武器の開発に熱心だからかも。


「ほら、湯だ」


 シュヴァルツさんは床に金だらいをドスンと置いて、全身を覆っていた黒ずくめの衣装をとっていく。

 グローブに、黒塗りのレザーの胸当てと、体のラインを隠していたベルトにブーツ……。


 ガタン、ガタン、ドスン!


 次々に、色々な場所から隠し武器が床に落ちていく。

 そんなとこにも隠してるの!? という量の暗器だ。

 ようやく、口元を覆っていたスカーフと頭巾が取り去られる。


「……ふぅ」


 はらり、と長い黒髪がこぼれ落ちた。

 薔薇のように赤い唇が、とても大人っぽい。

 だっこしてもらっているときの感触から、そうじゃないかと思っていたけれど。


(やっぱり、女の人だったんだ……しかも、美人!)


 シュヴァルツさんの引き締まった体は、まだ十代の生娘のようにも、熟した妙齢のお姉様のようにも見える。お湯に浸したタオルで、旅の疲れと汚れを落としていく様子に、思わず見とれてしまった。

 シュヴァルツさんは私の視線に気づいてか、気づかずか、あらかた自分の体を拭き終えたところで部屋着に着替えて、たらいのお湯をとりかえに出て行った。


「サクラ殿、貴殿の番だ」

「えぁっ」

「さっきより湯をすこし温くしてあるから、火傷の心配はないだろうが……さあ、服を脱いで」

「あわ……えっと」


 この美人の前で、脱ぐ!

 ぽんぽこのお腹に、むちむちの手足なのですよ、こちらは。幼児としては正しいプロポーションだけれど、出会って間もなくこれは恥ずかしすぎます!


「……自分でできる、と?」

「あいっ」


 もじもじしている私の意図を組んでくれたシュヴァルツさんに、こくこくと頷いて意思表示。シュヴァルツさんがそっぽを向いてくれている間に、自分でお湯を使わせてもらった。

 金だらいがかなり大きい……というか、私がちびっこなので湯船がわりにさせてもらった。ああ~……生き返る……。この世界にもお風呂があればいいのになぁ。


 村から出てくるときはほぼ着の身着のまま。手荷物は王城に保管されているとのことだったので、シュヴァルツさんが用意してくれた服に着替えた。


「寮でいちばんのチビに服を借りてきたが……デカいな」


 他の住人のものだという服は、刺繍やフリルがたっぷりのガーリーな一品だった。かなりお値段のする物なのではないだろうか。サイズが合っていなくて、なんだか赤ちゃんの産着みたいだ。


「まあ、寝るだけだからいいだろう」


 肩をすくめるシュヴァルツさん。


「しゅう゛ぁるつさん? これ」


 シュヴァルツさんが私に貸してくれていたネックレスを差し出す。


「ああ、隠遁水晶ハーミット・ストーンか……役に立ったようでよかった。貴殿のように幼い者が聖女だなんだと役割を押しつけられるのは理不尽だからな」


 受け取った水晶をじっと見つめて、シュヴァルツさんは微笑んだ。

 思っていたよりもずっと表情豊かな人みたいだ。

 隠遁水晶ハーミット・ストーンというのは、たしか魔力を隠蔽してくれるアイテムのはず。生物の魔力を感知して起動する罠や、襲ってくるモンスターもいるはずだ。シュヴァルツさんのような隠密にとっては、ありがたい代物だろう。

 返却し忘れなくてよかった。


「こいつがあったとて、だ。よくあの強大な魔力を隠して、水晶の目をごまかしたな……サクラ殿、やはり貴殿はただものではないのだろうな」

「んえっ!?」


 いやいやいやいや。

 私は首を横にぶんぶん振って否定する。只者です、只者!

 どうにかこの状況を逃れて、普通の子供としてすこやかに生きていくんです!


「ほら、そっちに詰めろ。ベッドはコレしかないんだ、私が床で寝るとか勘弁だぞ」

「あ、あい」

「今夜は狭いが我慢しろよ。明日以降に、貴殿の寝床を手配する」


 この美人と一晩一緒に寝るのですか。女同士とはいえ、ちょっと緊張します。なんだかいい匂いがするし……お湯で体を拭いていただけじゃなかったのかしら。

 ともあれ、やっとベッドで眠れる。

 ほっと一息ついたところで、眠気が訪れた。


──コンコン! コンコン!

 眠気以外も、訪れた。


「……誰だ?」


 夜中の訪問者。

 怖い人かしら?


 少し警戒しながらシュヴァルツさんがドアを開けると、そこに立っていたのは──皇帝陛下だった。

 深くフードを被ったローブの魔術師っぽい人と、冷たくはりつめた表情の騎士を連れている。皇帝陛下の護衛をしているくらいだから、きっとものすごく強いんだろうな。


「わっ……!?」

「……陛下。このような場所に何用ですか」


 皇帝陛下はシュヴァルツさんの質問に答えずに、私が座っているベッドの方へとツカツカ歩み寄ってきた。


 緊張が、走る。

 私、後ずさる。


「…………」


 じーっと私を見つめていた皇帝陛下が、突然。

 にっぱぁっと笑った。


「なっははは、怖がらずともよい。ほーら、じぃじですよぉ」


 それはもう、初孫を前にしたおじいちゃんそのものの表情で。


「じ、じーじ……?」


 思わずオウム返しをした私の言葉に、皇帝陛下は大歓喜。


「ほっほほほ、こりゃ賢い!」


 後ろでシュヴァルツさんが「やれやれ」という表情をしている。

 ……これ、どういう状況ですか?

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