第2話 夜逃げ
さて。
私が生まれなおしてから3年の月日が流れてたある日の夕食時、お父さまから爆弾発言が飛び出した。
「サクラ、我が家は今から……夜逃げする」
「ふぁ?」
ぽとん、と食べていたパンをテーブルの上に落としてしまう。
この世界のパンは、固いしすっぱいし美味しくはないのだけれど、そんな風に粗末に扱ったことはない。もったいないし。
そんな私が、パンを落っことしてしまうくらいの衝撃だったのだ。
なんて?
夜逃げって言った?
超大金持ちではないながらも、温かい家庭に生まれ育ったことは、かなりのラッキーだと思っていた。
大人にとっての3年は体感5秒だけれど、赤ん坊にとっての3年はだいたい10年くらいに感じられた。異世界だもの、当然だ。プレイ動画程度の知識では、「経験」の代わりにはならない。
魔法が実在するとか、頭上を見たことのないでっかい生物が飛んでいるとか。頭が追いつかないこともたくさんあった。
(いやいや、今のほうがもっと頭が追いつかないよ……夜逃げ……?)
両親は優しいし、村でも頼られている。それがどうして、夜逃げなんて?
ぽかんとしている私に、お父さまが沈痛な面持ちで切り出した。
私に話しているっていうよりも、どちらかというと自分の置かれている状況を整理しているような口ぶりだ。
「実はな、父さん……友達の借金の連帯保証人になってしまってな……あんな金額は返せないし、友達も連絡がつかなくて……といっても、サクラに言ってもわからんだろうが」
(うわぁ……連帯保証人って、そんなコテコテな……! っていうか、この世界にも連帯保証人ってあるんだぁ……)
そういえば、最近イカついおじさんたちが家の周りをウロウロしていた。
あれは借金取りだったのか。
私は黙ったまま、両親を見つめていた。だって、3歳児は連帯保証人についてコメントしようがないのだもの。
「大丈夫よ。サクラは心配しないでね」
お母さまが、私の頭を撫でる。
3年間育ててもらった感想として、私の両親はほんとうにいい人だ。
善良な村人を絵に描いたような人。
そのぶん、ちょっと心配になるようなことがあった。頼まれごとは断れないし、人を頭から信用しすぎる。牧歌的な村とはいえ、大人として生活するには大変なことも多いだろうなと思う。
この家も母の実家の持ち物だったのだという。母は実家と縁が薄い(というか、母の口から生まれ育ちについて聞いたことがない)ので、詳しいことはわからないけれど。
(村の人が優しいのも、お金持ち相手だったからっていうのもあるかもなぁ……)
思わず、遠い目をする。
お父さまとお母さまが、私を愛情たっぷりに育ててくれたのは疑いようがない。前世では感じたことのないような満たされた気持ちだ。
スプーンですりつぶしたお野菜をたべさせてもらって、絵本を読んでもらって、お母さまの胸で眠って、お父さまに肩車をして貰って、立派な3歳児になりました。
正直、感謝しかない。
けれど、社会の荒波のなかで沈没船になった前世の記憶が「この人たち、大丈夫かなぁ」と頭の片隅で囁いていた。ビンゴである。
「町に逃げて、父さんは新しい仕事を探すつもりだ。なるべく遠くの町でね」
「あわ……」
大丈夫かなぁ、と私は唸った。
その晩遅くに、私たち一家はこっそりと家を抜け出した。
◆
(村から出るの、はじめてだな……まさか、こんな展開とは思わなかったけど)
少し前までは、「サクラの6歳の誕生日には、王都に家族旅行に行こう」だなんてほっこりした話をしていたのに。
今は絶賛、夜逃げ中だ。
お父さまが手配したというボロ馬車の荷台に座り込んだ私たち家族の間に、重苦しい空気が漂っている。
「……はぁ」
「ダン、溜息なんてやめて。サクラが不安そうな顔をしているわ」
「そうだな。すまない、アマンダ」
ダンはお父さまのお名前、アマンダはお母さまのお名前だ。
私の前で名前で呼び合っているのなんて、ほぼ初めてだ。夜逃げという事態で、いわゆる吊り橋効果的なやつが発生しているのかもしれない。
がっしりと、手と手を取り合っているし。
まあ、私の前世は恋愛とは無縁だったから、知らんけれど。
ちなみに私は不安そうな顔をしているつもりはない。たぶん、2人の不安な気持ちがそう見せているのだと思う。
どちらかというと……私も、わくわくしてるっていうか……!
「わ、おつきさま!」
馬車の荷台から見える夜空に、私は思わず声を上げた。
別に月が珍しいわけではなかったけれど、村の外で見上げる月夜はとっても綺麗だった。
今までの私が蓄えてきたのは、お父さまとお母さまの会話や、村人たちの噂話、そして時折盗み読みしていた本……そして、前世でながら聴きしていたゲーム配信の知識だけだ。
でも、今は違う。
木々のざわめきが聞こえて、風が含んだ夜の匂いがする。
夜空に浮かんだ二つの月も、普段より大きく見える。
現実離れした発光体が夜空を漂っている。
平原をちらついている蛍のような光は、妖精の鱗粉なのだとお父さまが教えてくれた。とても綺麗だ。状況が
(やっぱり、「知ってる」のと「体験してる」のは全然ちがう)
ゲーム配信を見ながら、いつもどこかに感じていた疎外感。貧乏で時間もお金もない自分は、プレイヤーにはなれないのだという寂しさ。
ボロ馬車に揺られながら、そんな寂寥感が溶けていくのを感じた。
なんといっても、魔法や精霊の素材する世界を体験するのだから。
最初からなぜか言葉を理解できたのはよかった。
周囲の大人は、「赤ん坊にはわからない」と思い込んで、色々と世間話をしてくれる。おかげで私は3歳になる頃には世間のことが大体わかるようになった。
「……?」
馬車の揺れはひどかったけれど、季節は春。
お母さまにだっこされて、うとうとしていたときだった。
ぞわぞわ、と背筋に震えが走った。
「何……?」
がたん、と馬車が止まった。お母さまが悲鳴を上げる。
どうしたのだろう。
もしかして借金取りだろうか、やばい。
「どうしたんだ、夜通し走ってくれるって約束だっただろう」
お父さまが焦った様子で御者に話しかける。
馬車を止めた御者は、お父さまの言葉に応えない。
「お、おい……? その、金はたしかに前払いで渡しているし」
(あちゃ~)
私は察した。
これの馬車は、夜逃げのためにお父さまが手配したらしい。
(騙されたんだな、これ……)
周囲の森から、敵意と悪意を感じる。
ぞろぞろと、怪しい身なりの大人たちがでてきた。
錆びた鎧をまとった大男や、両手にナイフを持ったいかにもイッちゃっている半裸の男、ボロいローブのフードをふかく被っていて顔も背格好もわからないような人たちが、ぞろぞろ出てきた。
やばい、やばすぎる。
夜逃げ、ハードモードにもほどがある。
じり、じり、と馬車に近寄ってくる怪しい一団。
馬車から降りた御者が軽く片手をあげると、彼らの動きが止まった。
「……や、やめろ! 連帯保証人は私だけだ、妻と娘に手を出さないでくれ!」
お父さまが、お母さまと私をかばうように身を割り込ませる。
「ダン……!」
お母さま、すっかり乙女の表情をしている。
それでも、私のことを強く抱いて守ろうとしてくれているのが伝わってくる。
「守るだと?」
男とも女ともつかない声で、御者が言った。
御者は、全身が黒ずくめだ。
実際、黒髪をうしろで束ねた姿からは男女の判別はつかないし、その声色や表情からは年齢もよくわからなかった。
ただものじゃない、ということだけがわかる。
黒ずくめの影をじっと見ていると、肌がピリピリする感覚がする。
「守るもなにも、とっとと返せ」
「返すって……! わ、わかった。借金なら、働きながら返済するつもりで」
「そうじゃない、その娘だ」
黒ずくめさんが指を差されて、私は思わず目をぱちくりさせる。
「わたし……?」
「その子どもは3年前に帝都大聖域から連れ去られた赤子で間違いないな?」
「そ、それは……!」
お母さまが目に見えて狼狽えた。
連れ去られたって、何だ。
私はお父さまとお母さまの子じゃないってこと?
「まさか、あのような村で普通の赤ん坊として育てているとは……探してもみつからなかったわけだ」
ツカツカ、と黒ずくめが私たちのほうに歩いてくる。
怖い大人たちも、包囲網をジリジリと狭めてくる。
「せ、聖域って……?」
たしか、帝都にあるという神聖な霊力が渦巻くパワースポットだ。
外界からの勇者や英雄を呼び寄せるための特殊な場所……ようするに、ゲームでいうところのガチャ画面にあたるのが『帝都大聖域』だったはず。
「サクラは、私たちの子です!」
お母さまが私を抱きしめて悲鳴をあげる。
黒ずくめが近づいてくる。
その手には、綺麗にカットされた水晶みたいなものがぶら下がっている。
「簡易的な魔力測定のための水晶だ。普通の幼子ならば、隠す必要もないだろう?」
「まりょくそくてい!」
子どもたちは3歳になったら町の教会で初めての魔力測定に行く……と村の人たちが話しているのを聞いたことがある。3歳になっても、お父さまとお母さまが何も言ってくれないのを不思議に思っていたけれど、納得である。
お父さまとお母さまは、あえて魔力測定に連れていってくれなかったのだ。こういう人たちから、私を隠すために。
「ま、待ってくれ」
「邪魔をするな」
「うわぁ!」
黒ずくめを止めようとしたお父さまが、森から出てきた一団に取り押さえられる。
それをちらっと見て、黒ずくめさんは肩をすくめる。
「傭兵くずれとはいえ、少しは使えるな」
なるほど、あの服装のバラバラの怖い人たちは傭兵なのか。
「ダン……!」
私を守ろうとするお母さまを軽く押しのける。
「こあい!」
思わず泣きそうになる。
だって、まじの修羅場をくぐってきたタイプの迫力なのだ。
涙目の私と目が合った黒ずくめさんが、一瞬怯んだ。
「……かわいいな、おい」
ぼそ、と呟いた戸惑うような声。
一応、情みたいなものはあるみたいだ。
ぶんぶんと首を横に振って雑念を取り払って、ゆるんだ表情を引き締めた黒ずくめさんが水晶を私に押しつける。
その瞬間だった。
ビカッと何かが目の前で光った。
「あ、まぶちっ」
まばゆい光に、思わず両手で目を覆う。
カメラのフラッシュを何倍も強くしたような閃光だった。
魔力測定って、こんなに派手なエフェクトなの……?
「あっづぅ!!!」
「……?」
悲鳴をあげたのは、黒ずくめさんだった。
大げさにのけぞって、魔力測定水晶を持っていた手をぶんぶん振り回している。
よく見ると、水晶が粉々に砕け散っていた。
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