ちびっこ大聖女はのんびり暮らしたい

蛙田アメコ

ちびっこ聖女は隠れたい

第1話 生まれなおしました

 生まれなおしたい。

 ずっと、そう思っていた。


 中学生の頃からずっと、家事と祖父の介護をしていた。

 忙しい両親は、家のことにあまり感心を示さなかった。

 やっとのことで入社したのはブラック企業。

 介護と会社の二重生活で慢性的な睡眠不足。

 そんな日々に辟易していた。

 

 生まれなおしたい、と何度かゴーグルで検索しては『今すぐ相談する』という余計なお世話としかいいようがないメッセージに舌打ちをしていた。

 その矢先に、祖父が亡くなった。

 眠っている間に、苦しまずに逝ってしまった。大往生だった。

 

 祖父のことは大好きだったから介護生活も耐えられていた。その反動で、祖父が亡くなってからぷっつりと緊張の糸が切れてしまった。社会人6年目の春だった。

 私はいったい、なんのために生きているのだろう。


 生まれなおしたい。

 そうして友達みたいに部活や受験に打ち込める青春をやりなおしたい。

 というか、ハワイ在住の石油王の娘にでも生まれて、南国でのんびり過ごしたい。


 生まれなおしたい。

 両親は私の養育に無関心だった。そのかわりに、小さい頃に私を世話してくれたのが祖父だ。このご時世、親も生活費を稼ぐのに忙しかったことも理解しているつもりだ。忙しさのあまりにコミュニケーションが成り立っていない両親の仲がよくないことも、ありふれた話だ。事故で身体が不自由になった祖父の介護や家事を私が請け負ったことも、仕方のないこと。


 祖父のことは好きだったし、両親のことは恨まないようにしようとした。


 だが、いつもキレ気味の課長と課長のお気に入りのお局様。

 お前らはダメだ。

 彼らからのセクハラやパワハラ、スーツに染みついた煙草とどぎつい香水の臭いは耐えがたかった。お局様が溜め込んだ書類のせいで、いつも私の業務はカツカツだった。世の中はとんでもない不景気だから、私のような能力も資格も乏しい人間は転職することもままならない。


 生まれなおしたい。

 ハワイの石油王の愛娘じゃなくても、アラブのIT長者の御曹司でなくてもいいから、景気のいい時代の仲睦まじい家庭に生まれて、人生を謳歌してみたかった。


 そんな、ある日のことだった。

 終電で帰宅して数時間の仮眠をとった。朝一番の会議で課長が使う資料を整えるために出勤しようと起き出して、祖父が昔から手入れをしている団地の片隅にあるおいなりさん的な祠のお掃除を猛スピードで終えた。小さい頃からの日課だし、祖父が大切にしていた習慣だから、祠のお掃除はどんなに疲れていても欠かしたことがなかった。

 駅の階段を上りきった瞬間に意識を失って──。


「で、あっけなく死んじゃう人生は嫌だなぁ」


 というわけで、私、中村櫻なかむらさくらは今、謎空間にいる。

 星々の海。光の奔流。流れる虹の雲。お魚の形をした未確認飛行部隊。

 たいへん幻想的な光景である。ネオ・夢カワという感じだ。


 なるほどね。

 こりゃ、死後の世界ってやつですわ。


 おそらく、過労による心不全か何かで私は死んだのだ。

 生まれなおしたい……そう思っていたのは、生きていたころの話だ。

 ああやって過労死してまで、また生きたいとも思えない。


「死後の世界くらい、ゆっくりしたいなぁ」


 謎空間を流れる、サイケデリックな虹色の大河に流されながら呟いた。

 そうはいかないですよ、と透明感のある声が囁く声が聞こえた気がした。



「サクラ、サクラ」


 柔らかい声で、名前を呼ばれた。女の人の声だ。

 瞼を持ち上げると、やたらと眩しい。声の主である女の人が、私の顔を覗き込んでいた。髪色はかなり白っぽい金髪だが、それに反して顔立ちや身なりは地味だ。整った顔立ちをしている。


「まぁ、サクラ。なんてかわいいのかしら」


 なんだ、なんだ。

 こんなナチュラル美人に「かわいい」だなんて言われるようなビジュアルではないはずだけれど。


「おぎゃ」


 おぎゃ?

 なんだその鳴き声は。

 驚いていると、私の名前を呼んでいた女の人の後ろから、優しげな男が現れた。


「もう返事ができるのか。賢い子だ」

「はい。さすが、聖なる日に生まれた赤子なだけありますね……もしかしたら、この子が『女神の子』かも」

「ははは。聖なる日なんてのは、ただの言い伝えだろう。今日生まれた赤ん坊は何十、何百人もいるんだ」

「ふふ、そうですね。親馬鹿がすぎました」

「まあ、女神様から生まれたってところだけは同感だな」

「え……?」

「そうだろう、私の女神様?」

「あ、やだ! あなたったら!」


 いちゃついている。

 美男美女である。絵になっているのが、うらやまけしからん。

 私は思わず、「おぎゃあ……」と呟いた。

 だって。目の前で、両親がいちゃついているのだ。


「あら、どうしたのサクラ」


 金髪のナチュラル美人……暫定・私の母が、慌てて私を抱き上げた。

 そう。彼女はたぶん、私の母だ。

 だって、私は見てしまった。


 暫定母の深緑色の瞳に、とってもかわいい赤ちゃんが映っているのを。

 とってもかわいい赤ちゃんは、もちもちほっぺで、薄いピンク色の髪の毛に若葉色の瞳をしている。もみじのような小さくてキュートなおてては、私が手を握ったり閉じたりするのにあわせて、にぎにぎと動いている。

 状況証拠が揃いすぎている。

 これって、つまり。


(転生だ……これ。しかも『聖なる日』に『女神の子』、このビジュアルでサクラって……)


 聞き覚えがあった。

 残業中、耳が寂しくてよく流していたゲーム解説動画で見た。大人気のオープンワールドゲーム『FFG』において、チート級の性能を持つキャラの設定そっくりだ。

 味方に超強力なバフをかけたり、自らの強大な魔力を分け与えたり、とにかく大聖女の名に恥じないステータス。サクラを持っているかどうかで、ゲームの難易度すら変わってくると評価され、人権キャラなんて呼ばれていた。

 そんな大聖女サクラ。ファンの間で呼ばれている二つ名は、『過労死聖女』だ。

 経験値稼ぎや素材あつめを目的とした、周回プレイに絶対に駆り出されることからついた、かわいそうすぎる愛称である。

 ゲームの設定上でも、大聖女というのは世界の安定のために休むことなく働いている献身の象徴だとか。


(い、い、嫌だぁぁあぁ~~~!!)


 めちゃくちゃかわいい赤子に転生したのはいい。

 たぶんとっても優秀なステータスを持っているっぽいのもいい。

 でも、どんなにルックスがよくて能力が高くても、転生してまで過労死なんてまっぴらごめんだ。


 っていうか。

 普通はやりこんだゲームとか、めっちゃ詳しいゲームとか、そういう世界に転生するものではないのか。私にとって『FFG』は、なんとなく聞き流していた解説動画のおかげでなんとなく知っているかも?程度のゲームなのだ。

 そりゃ、たしかに生まれなおしたいとは願っていたが、こんなのあんまりだ……と思ったところで、私には「やりこんだゲーム」なんてないのだと思い出す。というか、中学時代から現実に忙殺されて、何かに熱中するヒマなんてなかったのだ。

 ああ、ほんとに、あんまりだ。


「おぎゃー! おぎゃあああ!」


 泣いてやる。

 もう、思いっきり泣いてやるんだから。

 暫定母が、私を抱きしめて優しい声で子守歌をうたってくれる。

 私のぷにぷにのほっぺを、暫定父が微笑みながらつつく。

 ああ、泣いたのなんて何年ぶりだろう。

 暫定とはいえ父と母に、こんなに優しくしてもらえるなんて生まれて初めてだ……まあ、生まれて間もない赤子だけれど。


「あう?」


 ぷにぷにとほっぺをつつく暫定父の手に、生々しい切り傷があるのを発見した。

 働く人の手だ。仕事で作ってしまった傷だろうか。

 傷に触れる。痛そうだ。早く治るといいね。

 そう願うと、私のもみじみたいなおててが、ぽわっと光った。

 次の瞬間に、とんでもない眠気に襲われた。


「ほぎゃ……ふわーあ」

「あら、もう眠いのね」

「泣いたり眠くなったり、赤ちゃんは忙しいな」


 暫定両親の声を聴きながら、私は大あくびをする。


「……あれ?」

「どうしたの、あなた」

「いや。手を、狩りのときに怪我をしたと思ったんだが」

「怪我? どこを?」

「気のせい……のはずはないのだが」


 不思議そうに、暫定父が首をかしげて自分の手の甲を眺めている。

 よかった。もう怪我が治ったんだ。

 私は安心して、ぐっすりと眠った。

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