第14話 後編

 血の匂いが鼻孔を刺し、周囲を赤く染めていく。


 いつの間にか見慣れてしまった光景の中で、真希子は襲い掛かってくるグールたちに自身の抜き手を突き刺す。


 霊力によって変化した腕は、鋼鉄で作られた手甲のように頑丈となり、指先は槍のような鋭さを持ち、容易くグールの腹部を貫いた。


 絶叫しながらグールは腹部から体を溶かしながら、もがき苦しみ、やがてただの液体と化す。


 何度も繰り返し行ってきた戦いの中で見てきた光景だが、いつ見ても嫌悪しか感じない。


 そんな自分に容赦なくグールたちは襲い掛かってくるが、こちらも死ぬわけにはいかず、再び彼女は自身の両腕を振るう。


 一撃必殺の武器、というよりも技を持っているために苦戦することもなく、抜きんでた身体能力が相手の攻撃を容易く見切り、回避し、そして隙ごと貫くように貫き手を繰り出す。


 それを繰り返すだけで、相手は簡単に液状化した死体へと変わる。息をするよりも容易い行為に退屈を感じているが、今度はグールではなく吸血鬼が襲い掛かってくる。


 グールよりも遥かに身体能力が高い吸血鬼であっても、真希子からすれば大した差などなく、繰り出される攻撃を捌き、回避し、グールと同じように腹部へと抜き手を繰り出す。


 はらわたを引き裂く、何とも言えない不快な感覚に慣れることはないが、それでも真希子には死ねない理由があった。


 腕を引き抜き、血に染まった手を眺める。いつか自分もこうなってしまうのではないかと思いつつ、吸血鬼は液体と化していく。


 末期の言葉すら話せないまま、死を迎える吸血鬼の末路だけは看取ろうとしたが、ありえない意外な姿が視界に入ったことで真希子は唐突に叫ぶ。


「お父さん!」


 自分が殺した吸血鬼が父と同じ顔をしていた。慌てて真希子は父を救おうとするが、時すでに遅く、完全に液体となってしまう。


 それでも真希子は液体となった死体を必死にかき集めようとするが、こうなった場合、どうにもならない。


 それを知っているだけに理性のブレーキがかかるが、感情というアクセルがそれを跳ねのけようとする。


 だが、必死にかき集めた父だったはずの液体は虚しく両手からこぼれていく。必死に父である黒崎のことを叫びながらも真希子はそれをやめようとはしなかった。


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 心臓が激しく鼓動し、まともに息すらできない状況の中で、真希子は眠りから覚める。


 べったりとした汗の感触と、嘔吐しそうな気分の悪さに悪夢から現実へと戻ってきたことを真希子は知った。


「最悪……」


 口にした通り最悪の夢であったが、それ以上に不愉快な気持ちでいっぱいになった真希子はトイレへと向かい嘔吐してしまう。


 その気分の悪さを解消するために、真希子はシャワールームへと向かった。


 鏡に映るのはピンクブロンドのロングヘアと、青白く光るほどに白い肌。


 そして何よりも闇夜の中でも怪しく輝く紅に染まった瞳だ。


 決して染めているわけでもなければ、整形手術を受けたわけでも、薬剤やカラーコンタクトを入れているわけでもない。


 全て自然そのものといってもいい自分の体であるが、真希子は思わず鏡に映った自分の顔めがけて右ストレートを叩き込む。


 ひび割れた鏡に映る自分が、まるで切り刻まれているようであるが、いっそのことこうなってしまった方がマシではないかと真希子は思ってしまった。


「私のせいで、こんなことに……」


 彼女は自分の体に怒りを感じていた。かつては全てが自然でありながらも、物珍しい可愛さを持った自分が好きだったが、今となってはそれがとてつもなく恨めしく思えてくる。


 特に紅の瞳、純粋な吸血鬼を始めとする魔族の特徴を見るたびに、彼女はえぐり取りたい衝動に駆られる。


 実際にえぐり出そうと思ったこともあったが、そんなことをしても何の意味もない。


 目をえぐり出したところで、彼女の目は再生してしまう。吸血鬼特有の再生能力を持つ身では、自殺することすら難しい。


 それに、今の彼女には死ねない事情がある。


 体を洗い、タオルで体を拭いて窓を開けると、太陽が燦然と輝いていた。時計はすでに朝8時を示している。


 それに気づいた時、朝食の時間であることを思い出して真希子は普段着へと着替える。そして、朝食を食べるために部屋を移動するが、そこには意外な人物の姿があった。


「おはよう真希子」


 薄気味悪い笑顔に、真希子はゾッとするが、弱みを見せたくない彼女は平然としたままであった。


「おはようございます吾妻さん」


 無表情のまま椅子に腰かけるが、吾妻はそれでも表情を崩さなかった。


「あまりよく眠れなかったのかな? いつも以上に元気がないな」


 まるで全てを見透かしているかのような視線が、眼鏡越しに真希子へと向けられる。


 この目で見られるたびに、真希子は何とも言えない不気味さを感じていたが、弱みを見せたくない真希子は毅然とした態度を維持し続けていた。


「毎日酷使されていれば、嫌な夢ぐらい見ます」


「それは失礼した。何しろ、君は強いからな。クライアント側が情けない連中で困ったものだよ」


「何の御用ですか?」


「朝食を取りに来た。それだけさ」


 吾妻が指をパチンと鳴らすと、朝食とは思えないほどに多い料理が配膳されていった。


「君も食べたまえ」


 分厚く切られたベーコンを口にしながら、吾妻は食事を始めていた。


 悪夢の記憶から、胃が落ち着かない真希子はとりあえずフレッシュオレンジジュースを口にする。


「しっかりと食べなくてはダメだよ」


「言われなくても食べます」


 吾妻に弱みを見せたくない真希子はプレーンオムレツを口に運んだ。


 オムレツは好物だが、正直食欲がない為に今一つの味に思える。


「いつまで、私はこうしていればいいんですか?」


「以前話したじゃないか。研究が終わるまで、だ」


「その研究はどこまで進んでいるんですか?」


 苛立ちを隠さずに真希子は尋ねたが、吾妻は不敵に微笑む。


「現状は80%、だが、残り20%も埋め終わる算段が付いている」


 以前まで吾妻は「もうじきさ」とはぐらかしていたが、具体的な数字を出されたことは初めてだった。


「その20%をどうやって埋めろというんですか?」


 真希子はあえて先出しすることで、吾妻の頼みを聞き入れるつもりでいた。


「話が早い。いつもと場所とシチュエーションは違うが、やることはいつも通りさ」


 吾妻は不敵に笑っていたが、その顔を見るたびに真希子はこんな男の言うことを聞かなくてはいけないことに苛立ちを覚える。


 だが、それ以上に、父を人質に取られ、こんな男の言うことを聞かざるを得ない、自分の弱さがみじめに思えてくる。


 それでも彼女は黙って従うしかない。大切の家族の命がかかっているのだから。

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