第13話 後編

「お招きいただきありがとうございます」


 座敷の一室にて、やや上から目線に吾妻幹久は目の前にいる男に頭を下げる。


「いや、こちらこそ時間を作ってもらい感謝する」


 言いなれない礼を口にし、皇征士郎は吾妻が手にしている盃に日本酒を注いだ。


「ところで、本日はどういった御用件で?」


 吾妻は本日、征士郎より相談があるということで高級料亭の一室に呼び出されていた。


「君にはいろいろと苦労をかけているからな。その労いだ」


 余裕を見せながら征士郎は日本酒と共に八寸を口にしていた。


「ほう、それはそれは。では特にお困りごとなどがないようでしたら、本日は酒と料理を楽しませていただきますが」


 吾妻も酒をたしなみながら、料理を楽しんでいたが、征士郎の顔色は酒を飲んでいるにもかかわらず悪いままであった。


「まあ、全く問題がないというわけではないのだがな」


「ですが、現在霊安室は大活躍聞いておりますよ。鬼道隊も奮闘されているそうじゃないですか。こちらの計画もまた順調に進んでおります。このままいけば、お約束の物は今月中にはお渡し可能です」


「そ、そうかね」


 吾妻の余裕ぶりとは対照的に、征士郎は明らかに虚勢を張っていたことが露呈し始めていた。


「しかし、鬼道隊は大したものですな。超常系能力者は戦闘に向かないなどという話がありますが、彼らの戦闘能力は元素系や念動系能力者にも劣らない。我々の発明品も、盛大に生かしてもらえるでしょうな」


 吾妻はそう言うと、アマダイとホンシメジの椀を口にしていた。旨そうに料理を堪能している吾妻の余裕さに、征士郎は完全にじらされていた。


「まどろっこしい話はやめようじゃないか」


「はて、どうされたのです?」


 とぼけた口調で、椀を持ちながら吾妻は尋ねるが、征士郎の顔色は先ほどよりもよくなっていた。


「単刀直入に言おう。例のものだが、今提供してもらうことは可能かね?」


「あれをですか?」


「そうだ、だからこそ今日君とこうして話し合いの場を作らせてもらった」


 顔色はよくなったが、代わりに征士郎からは切迫した感情が伝わってくる。


「無理難題をおっしゃりますな」


 食事の途中ではあるが、吾妻は箸を置いた。


「あなたもご存じのはずですよ。例のものは、まだ完成などしていないことを」


「分かっている。だからこそ君たちとの取引を行っていた。君たちが吸血鬼を発生させ、我々が吸血鬼を駆除する。我々は手柄と権限を、君たちはデータと研究成果を得られる。そういう取引だったはずだ」


「ですが、完成していないものをお渡しするわけにはいきませんよ」


 再び吾妻は食事を再開する。椀物を食べ終えて、造りの剣先イカとカツオに箸をつけた。


「どのくらいだ?」


「はい?」


「現状どのくらいの完成度まで進んでいる?」


 必死さを込めながら尋ねる征士郎は、かなり切羽詰まっているのを隠せずにいた。


「現状、数字上では80%というところでしょうな」


「なるほど、そこまで進んでいるのか」


 やや満足気に征士郎はそう言った。


「ですが、何故これが必要なのですか? 霊安室はこれが不要なほどに大活躍されているではありませんか」


「活躍しているのは我々ではない。鬼道隊だ」


「鬼道隊は霊安室の所属では?」


「建前上はな。だが、鬼道隊を指揮しているのは征一郎であり、実質的には父上の直属部隊だ。奴らが活躍した所で、私の功績にはならない」


 吾妻は内心にやりと笑った。鬼道隊と霊安室の関係はあらかじめ調べていたが、その内情はかなりドロドロとしたものであるようだ。


「鬼道隊は確かに精鋭だ。我が皇家の一門の中から優れた霊力者を集めているのだからな。一切の身分を問わずにな」


「実力主義の精鋭ということですな」


「だが、それに不満を持つ者も少なくない。特に、我が家に近い一門であるほどにな」


 一番不満を持っているのは、誰でもない征士郎だろうと思いながら、吾妻は黙って話を聞いていた。


 鬼道隊は一門や序列にうるさい霊安室の中でもかなり異質な部隊でもある。


 選別されるのは家紋よりも霊力の強さだけであり、それを基に英才教育と特別訓練を行うことで精鋭無比の部隊として活躍している。


 だが、本来皇一門は序列と血筋に拘る一族である。霊力の強さも、遺伝による要素が高いことから、皇家に近い一門ほど強い力を有し、その一門たちを統括する立場にある皇家はさらに強い霊力を有している。


 ということになっているが、近年では血筋と霊力の強さが必ずしも比例しないことから、実力主義の鬼道隊の発言力が上がり、血筋と序列に拘る霊安室の捜査官たちとの間で対立が発生しつつあった。


「そこで、例の物を使いたい」


「ですから、現状の完成度は80%程度ですよ。流石にそんなものを提供するわけには……」


「分かっている。だが、これ以上鬼道隊だけに活躍させるわけにはいかんのだ」


「弟さんが活躍されているのだから、誉れではありませんか」


 征一郎の話題に、征士郎は押し黙る。


 二人は兄弟ではあるが、実は母親が違っていた。征士郎は先妻の子、征一郎は後妻が産んだ子であり、正確には異母兄弟の関係にあった。


 万能タイプの征士郎と違い、征一郎は戦闘特化型ではあるが、それだけに器用貧乏となりつつあり、最新機器に敗北しつつある霊安室においては明らかに征一郎が優位な状態になっている。


 このままでは、征士郎は当主になったとしても単なる飾り、下手をすれば後継者の座から転落する可能性もあるのだ。


「弟ばかりに負担をかけるつもりはない。我々も力を発揮できることを父上に見せつける必要性がある」


「それで、例の物を使うと?」


「そうだ。実際、吸血鬼となった八並は霊力を自在に使いこなし、アーマード・デルタとも戦えるほどの戦闘能力が備わった。あの八並がな」


 霊能力者としては半端者に過ぎなかった八並が、吸血鬼になった途端に膨大な霊力を持ち、驚異的な戦闘能力を発揮したことに征士郎は注目していた。


「あの八並ですら、あそこまで戦えるようになるのなら、より強い霊力を持った者ならばどうなるか、君も興味があるのではないか?」


 その言葉に吾妻も好奇心を持った。確かに強い霊力者を吸血鬼にすることができれば、更なる霊力を持たせることが出来るだろう。


 これまで、吸血鬼への実験はあくまで一般人を目的にしている。ここで、霊力者を使えば、より研究が進むのもまた事実だろう。


「なるほど、それは確かに面白そうですな」


「提供してくれるかね」


「ええ、あなたと私の仲ですからね。喜んで提供させていただきます」


 吾妻の承諾に征士郎は分かりやすくひざを叩いて歓喜の表情を見せる。


「そうでなくてはな。ご協力感謝する」


「いえいえ、これで研究が我々も進むと思いますよ。完成した暁には、是非、あなた方優先で提供させていただきましょう」


 征士郎はさらに喜びを見せるが、吾妻もまた喜びを隠せずにいた。


 思わぬ話ではあったが、これで自分たちの研究は間違いなく完成する。


 どんな人間でも完璧な吸血鬼を生み出せる吸血鬼の因子ヴァンパイア・ベクターが。

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