第13話 中編
「あれが株式会社エリクシルか」
公用車の座席から荘龍はエリクシル社の本社ビルを眺めていた。
「医療業界のユニコーン企業としてはかなり有名な会社ですからね。資本金百億円、二十階建ての本社ビルと、国内に四つの研究所と五つの支店、おまけに東証プライム上場ですよ」
「日経平均にも入ってますし、時価総額もあとちょっとで一兆達成みたいですね」
のんきに解説してくる宗護と冬を後目に、荘龍はこの会社へのアタック方法を考えていた。
「吸血鬼が発生した場所にあった倉庫や土地が、エリクシル社の代物だとすると、連中が吸血鬼を発生させていることになるわけか」
八回もの発生データを元に、共通するデータからはじき出された答えが、発生した場所の倉庫と土地の所有者が株式会社エリクシルだった。
たまたまにしてはあまりにも多すぎる上に、100%という数値は異常過ぎる。
「ちなみに、あの会社の本業はなんだっけ?」
「医薬品製造が売上の八割占めてますが、収益の柱は再生医療ですね。これだけで収益の七割を占めてます」
再生医療という言葉に荘龍は目の色が変わった。
「再生医療……なんというか、今回の事件と物凄く関連性ありそうだな」
「吸血鬼はウイルスで増殖しますからね」
宗護が言うように、吸血鬼はウイルス感染することで吸血鬼となる。噛みつかれた人間の血液を介して細胞を変質化させ、吸血鬼にしてしまう。
この時に変質化に失敗するとグールになり、成功すると吸血鬼になるわけだが、変質化する時の適合率や肉体の強度、吸血鬼のウイルスの種類によってその確率は変動する。
「再生医療に使うiPS細胞の生産量は国内トップクラスらしいですよ。おまけに、この会社面白い事業もやってるみたいです」
冬がタブレットを荘龍に渡すと、そこには興味深い情報が記載されていた。
「遺伝子治療による、糖尿病の完全治療とか、すげえことやってるな」
荘龍は素直に関心した。糖尿病は生活習慣に関係ない一型糖尿病、生活習慣病により疾患する二型糖尿病に分類されるが、両方とも共通して言えるのは、寛解することはあっても完治することはないことだ。
一度発症した糖尿病は完治することは無い。症状を無くす寛解に持っていくことはできる。
完治とは病の根源そのものを取り除くことであるが、糖尿病はそれが不可能であるために、一度発症した場合、血糖値を測定し、食事制限や運動療法、薬に頼る必要性がある。
「糖尿病で苦しんでる人達から見れば救世主みたいな会社ですよ」
「今の時代、病気っていったら糖尿病かガンだもんな。後は流行性の感染症ぐらいなもんか」
医療技術が発達した現代では、糖尿病とガンによる死亡率は増加の一途をたどっている。
だがこれは、ガンと糖尿病以外の病は治療が可能になってきているからでもあった。
「ガンにしても、重粒子治療や抗がん剤も発達してますしね。糖尿病まで完治できるようになれば、酒も糖質も取り放題になりますね」
「糖尿病になると地獄だぞ。一型糖尿病は食事制限ないし、インスリン注射してれば問題ないが、二型はラーメンもうどんも食えなくなるからな」
「カレーもカツ丼も食えない人生とか、地獄ですね」
荘龍は無論のこと、宗護も冬も身近で糖尿病になった人間を知っている。特に、捜査官や警察官たちは割とストレスが溜まる上に、宴会事が多いために暴飲暴食に走る者が多い。
職務も不規則で、適度な運動すらしない者は糖尿病になってしまう者も多い。
「引退した奴が、現役時代と同じ量で飲み食いしてると糖尿病になるらしい。酷い奴だと失明して、壊疽で両足切断してる」
「僕の知り合いだと、人工透析してる奴がいましたよ」
「俺の知り合いは血栓出来て、そのまま痴呆発症して寝たきりになっちゃったそうで」
「ま、俺たちには縁遠い病ではあるが、コイツを根本的に治療できるならエリクシルがユニコーン企業と呼ばれるのも当然だよな」
完治できない病を、寛解ではなく完治できるとなれば、それは医療革命と言っても差し支えない偉業である。
「すでに臨床試験もクリアしているそうですからね。糖尿病になっている遺伝子情報を、書き換えることで治療に持っていくっていう」
「一型も二型もそれで治療するわけね。治療が上手くいけば、医療負担も減るだろうし、透析や失明、壊疽のリスクもなくなる。多少金がかかっても、糖尿病患者なら喜んで金払うだろうな」
荘龍が言うように、糖尿病が進行した場合、腎不全による腎臓の機能低下から起こりえる人工透析、血糖値の上昇により起こりえる失明、そして血行不良によって生じる壊疽といった恐ろしい副作用が発生する。
人工透析になれば水を飲むことすら制限され、失明すれば何も見えず、壊疽になった場合、満足に歩くことすらできず、死に至る。
そうした地獄のような苦難から逃れられるのであれば、どれほどか細い糸であっても頼ろうとする者はいるだろう。
「糖尿病すら治せるんだったら、肝硬変や腎不全そのものにも応用できそうですね。実際、経済誌じゃそういう記事が結構転がってます」
宗護がスマホでエリクシル社の記事を見せてきたが、そこにはざっと30件ほどの特集記事が掲載されていた。
「後で読んでおくわ。とりあえず、メシ食いに行くぞ」
せっかく本社まで来ておきながら、荘龍はそう言った。
「ここまで来て乗りこまないんですか?」
「今の段階で乗り込んでどうする?」
宗護の質問に荘龍は淡々と答えた。
「オタクの倉庫で吸血鬼が発生したんですけど、調べさせてもらえませんか? とか言ったところでああそうですかで返答されて終わりだ。今日ここに来たのは、この会社の雰囲気と下調べするためだけだ。今は乗り込むタイミングじゃねえ」
エリクシル社の倉庫で吸血鬼が発生したことと、エリクシル社が吸血鬼を発生させている因果関係は今のところ皆無である。
疑わしきは罰せず。というよりも、罰する理由すらない。むしろ、この場合エリクシル社の方が被害者なのだから、強行捜査したところで空振りになるのが目に見えている。
「だが、結構黒に近い感じはするけどな」
エリクシル社の本社ビルを眺めながら荘龍はつぶやく。
「新興の医療ベンチャーが一応東京23区内に地上二十階建ての本社ビルを建てられるんだ。いくら売ってる製品が画期的で、株価爆上がりとはいえ、出来過ぎだろ」
エリクシル社は設立からほんの二十年ほどしか経過していない。無論、同じ期間かそれよりも短い期間で大企業となった会社が存在しなかったわけではないのだが、派手に本社ビルを建てているところに荘龍は何とも言えない違和感を抱いていた。
「隊長、メシ食う口実でここまで来たんじゃないですよね?」
冬の指摘に「お前も分かってきたじゃないか」と荘龍は悪い笑顔を見せた。
「豊洲もだいぶ発展してきたが、まだまだ旨い飯屋が少なくてよ。たまには旨い物を食わないとメンタルヘルス上よろしくない」
「体のいいサボりじゃないですか」
「あ、今の言い方なんか腹立つ。せっかくお前らに旨い天丼食わせる店に連れて行ってやろうと思ったのに。しゃあない、冬、お前だけ連れてくわ。もちろん俺のおごりな」
おごりという言葉に弱い冬は目の色が変わった。
「嬉しいなあ、僕、隊長のそういう部下思いで後輩思いなところ大好きですよ」
「ちょっとひどくないですか! 隊長、俺も常日頃隊長を尊敬してやまないのに!」
一人だけハブられることに抗議する宗護に、荘龍は少々冷めた視線を向けた。
「ほう、んじゃそれはちゃんと形にして見せろよな」
「何すればいいですか?」
「決まってんだろ。お前の恋愛がどこまでいるかの経過報告したら一番高い天丼奢ってやるよ。お替りも可」
宗護に彼女ができたことを荘龍は知っていた。それが現在どこまで進んでいるのかを本人から直接聞くことを荘龍は娯楽にしている。
「……分かりました。こうなったら聞かせてやろうじゃないですか」
一瞬考えこんだ宗護は開き直っていたが、荘龍はさらに悪い笑顔を見せている。
「そうかい、それはそれは楽しみだ。君の恋愛について赤裸々に語ってもらおう。がっつり聞かせてもらうからな」
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