第11話 前編

「最後のキスは奥さんのフレイバーがした……と」


 フレイバーどころか味そのものを堪能している上杉荘龍は、上機嫌で国家保安局本部ビルにある執務室の扉を開けた。


「あ、おはようございます」


「なんだよ涼子、お前だけか?」


 執務室にいたのは涼子ただ一人だけであり、圭佑達をおちょくるつもりでいた荘龍は肩透かしを食らった気分になる。


「私、昨日は非番でしたらね。副長が気を使ってくれたんです」


 腰まで伸ばした青いロングヘアをなびかせながら答える涼子に、荘龍は思わずにやけてしまった。


「気を使ってくれたねえ。んで、あいつらは?」


「あの後、一課が来て引継ぎとお手伝いしてましたよ。武藤くんと冬くんも残ってました。今日は休暇を取るから朝まで残ると」


「あいつらも災難だな」


 仕事しているフリが上手い圭祐らしくない勤勉ぶりではあるが、おそらくは宗護と冬が生贄になってしまったのだろう。


「圭祐の野郎、前に朝から酒が飲める旨い店を見つけたとか自慢してたが、どうせそこで飲むために朝まで残ったんだろうな。あいつ、仕事上がりの酒好きだから。それにあいつら付き合わされたわけか」


「それは違うと思います!」


 ムキになって、レイよりも大きいバストを揺らしながら、涼子はハッキリと否定した。


「副長は隊長よりもずっと真面目な人ですよ! 隊長なんて気づいたらどっか行っていたり、休暇中だったりするじゃないですか」


「有給は労働者の権利だぞ」


 ニヤニヤとしながら荘龍はそう言い切った。というか、あの圭祐をと答える当たり、涼子はかなり洗脳されているようだ。


「それに、あの圭祐が真面目ね。お前さ、あいつに弱みでも握られてるの? それとも調教でもされてるのか? あいつ程、不真面目でサボり魔な奴はいないんだけどな」


 昼休みにハゼ釣りしたり、捜査活動の一環という名目で、釣り堀でヘラブナ相手に勝負し、羽田沖でアナゴ釣りを楽しむような奴のどこが真面目なのだろうかと荘龍は言いたくなった。


「隊長なんて前回も前々回も、好き放題暴れるだけ暴れてさっさと帰ったじゃないですか! 前回なんて、ミラージュさん、というかレイさんといちゃついてたくせに」


「アホか! 前回も前々回も俺休暇中だぞ。前回に関してはレイちゃんは勝手に出動したんだからな。それに、一緒に戦ってもいいってあいつが協力したんだろうが!」


 前回、というか昨晩の戦いに関して荘龍は大嫌いなミラージュ相手に翻弄され、危うくレイと大喧嘩しそうになった。


「それにあいつが一課と連携したり、クソ真面目に仕事してりゃ、俺はレイちゃんから折檻を受けずに済んだんだ! あの後俺はえらい目に遭ったんだからな」


 荘龍はデスクに俯きながらそう言うと、涼子はやや訝しげな眼を向ける。


「お仕置きされたんですか?」


「された」


「副長は言ってましたよ。隊長はレイさんからのお仕置き大好きだって」


「んなわけあるか! 俺がどんな目に遭ったのかを知らないからお前はそう言うことが言えるんだ」


「どんな目に遭ったんですか?」


 まだ涼子はは疑いの目を向けているのは、普段から荘龍が彼女を弄っているからでもある。


 根が素直で真っすぐ、裏を返せば単純で直情的な涼子は弄り甲斐がある為、荘龍はよく彼女をからかっていた。


「聞きたいか? 結婚するかどうか悩む話になるぞ」


 結婚という単語に涼子は反応したのか、疑いの視線から好奇心がある視線へと変わった。


「そ、そうなんですか?」


 ほくそ笑みたい気持ちを抑えながら、荘龍は深刻そうな表情を取り繕っていた。


「昨日はもう大変だったわ。せっかくレイちゃんのご機嫌直せると思った瞬間の出動でよ。おかげで、レイちゃん滅茶苦茶怒ってたんだぞ。なんせ、五日もしてなかったんだからな」


「何を五日してなかったんですか?」


「決まってるだろ! ラブラブだよ、ラブラブ。男女の営みな」


 ラブラブがの隠語であることは、涼子を除いたメンバー全員が知っていることである。


 それを聞いた涼子は顔を真っ赤にしていた。


「そういう意味だったんですね」


「そうだよ、それで棚上げ食らって出来ないって結構なストレスだからな。んで、昨日の出動はオジキと圭祐、そして吸血鬼共への怒りが全力で向いたんだ。ああ、あの後家に帰った後のことを思い出すと死ぬかと思ったね」


 荘龍は感慨深い気持ちと、疲労感を出していた。実際、荘龍は徹夜して一睡もしていないため、疲労は確実に溜まっている。


「それで、レイさんにどんな目に遭わされたんです?」


「聞きたい?」


「一応、私も……その……乙女ですから」


 高校時代、長身を揶揄されてというあだ名を付けられ、それを自己紹介の時に発表して盛大に荘龍達に爆笑された涼子だが、実はこう見えても本質はかなりの乙女である。


 それもかなりの純情系で全く擦れていない、女の子女の子している女子なのだ。


「レイちゃんはな、俺を無理やり風呂場に連れて行って、全力で俺をあんなことやこんなことをして搾り取ったんだよ。その後、風呂から上がったら今度はベットで後半戦だ。こっちも壊れた水道管みたいにされてな。いやあ、キレたレイちゃんは怖いわ。僕、昨晩天国を経験したんだよね」


 疲労感や悲壮感を吹き飛ばし、気力全開で荘龍は悪辣な笑顔をむき出しにして涼子に昨晩体験した死にそうになったという脚色した話を語ったのであった。


「それ普通にラブラブしただけじゃないですか! 全然死にそうな目に遭ってないですよね!」


「いや、死にかけたから。途中でナニから何も出なくなったし、口から泡拭きそうになったし、レイちゃんはカニみたいに泡拭いたからな。俺も天国体験して昇天しそうになったんだから、死にそうになった話っていうのは嘘じゃない。何しろ、一晩中そういうことやってたからな」


「ただの詭弁じゃないですか! 隊長のヘンタイ!」


「詭弁じゃねえし。夫婦の危機を上手く文字通り解消したんだから、結婚するかどうか悩む話っていうのも事実だしな」


 ただのイチャラブ話を脚色して、天国体験を死にそうになった話を、口八丁で脚色して涼子をからかってみたのだが、盛大に涼子は顔を真っ赤にしながら悶えている。


 擦れていない、純情娘をからかうのは実に面白い。勝手な想像をして悶え苦しむ姿を見るのは結構な娯楽である。


「隊長って、ホントそういうことしか考えていないんですね!」


「アホか、ラブラブは一人ではできないんだぞ。一人でやるのはシコシコな、勉強になったか?」


「そういうのセクハラって言うんですからね!」


「だから、既婚者として結婚と夫婦について話しただけだってばよ。それにお前、さっきから副長副長って連呼していたけど、よければ仲取り持つことも、婚約エンゲージメントの手助けしてやってもいいんだぜ?」


 荘龍の提案に涼子は分かりやすく取り乱す。


「な、な、何てこと言ってるんですか! わた、わた、私は副長を上司として、そ、そ、尊敬しているだけで……」


 涼子を見ていると、人類皆こうであれば噓発見器などの人の嘘を暴く方法や技術などは、絶対に研究されることも作られることもなかったと思う。


 それぐらい、涼子の行動は分かりやすい。戦いではクレーバーにフェイントや動きが読めないようにたち振る舞える癖にである。


「そうやって意地張ってると、婚期を逃すからな」


「隊長には関係ないじゃないですか!」


「あるよ、お前にハニートラップしかけてくる奴がいたらどうするんだって話。そして、行き遅れるとだな、相手をじっくり選別することもできないから、結婚することが目的になってどうしようもないダメ人間と結婚しちまうんだよ」


「私はそんなことはしません! ダメ人間と結婚するつもりなら、一生独身の方がマシですから」


 ムキになってそっぽを向く涼子は本当に面白い。レイと違って可愛げはないが、面白さは間違いなくある。


「なんだ、お前も山神様みたいになるのね」


「山神様って誰ですか?」


 ピンとこないのか、涼子は首を傾げた。


「決まってるだろ、羅刹女様だよ。コードネーム・ラークシャサの人な」


 その言葉に涼子は納得するとともに、とてつもなく嫌な予感がした。


「あの人もなあ、出来るキャリアウーマンだけど、あのまんま突き進んだらかなりヤバい行き遅れになるからな。せめて婚活ぐらいはしておかないとよ」


「結婚だけが幸せとは言い切れないと思いますよ」


 涼子が妙に表情が暗くなっているが、調子に乗っている荘龍はさらに持論を語っていく。


「そういうのはな、いい相手に出会えなかった不幸な人間の言葉なんだよ。第一、みんながみんなが独身だったら人類滅ぶからな。ま、俺はレイちゃんっていう最高の奥さんと運命の出会いを果たして結婚出来て、ホント幸せだよ。後はもう、俺のかーちゃんをおばあちゃんにして盛大にババアと面と向かって言うことが夢なんだよな。ま、世の中にはおばあちゃんじゃなくてもババアと言われる人、お局様と呼ばれる人がいて……」


 涼子の暗いを通り越して、恐怖に染まりきっている顔に気づくと、荘龍は不意に後を向いた。


 すると、そこには山神様にして、羅刹女様がものすごく不機嫌そうな表情を見せていた。


「ご高説ありがとう。上杉隊長」


 特捜室参事官というナンバー2にして、コードネーム・羅刹ラークシャサから、戦慄の羅刹女のあだ名を持つ女性、山名冴子やまなさえこが眼鏡越しで睨みつけていたのであった。


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