第10話 中編
「案外、奴らもだらしないものだな」
恰幅のいい不健康そうな腹を出しながら、山城和明は嫌な笑い方をする。それに嫌悪感を抱きながら、黒崎義隆は不安げな顔のままであった。
「どうした黒崎?」
浮かれた山城は黒崎の態度を怪訝に感じた。
「山城、我々も決断をするべきじゃないか?」
「何をだ?」
「決まっているだろう。この事業からの撤退だ」
黒崎の提案に山城は途端に不機嫌になった。
「バカなことを言うな。今更そんなことが出来るわけがないだろう」
「今ならまだ間に合う。確かに今までの投資分が全て無駄になるだろうが、全てが発覚すれば文字通り全てを失うぞ」
黒崎の冷静だが、鋭い指摘に山城は手にしていた缶ビールをテーブルに置いてしまった。
「霊安室は大打撃を受けた。それは正直どうでもいいが、それ以上に問題なのは特捜室までこの事件に目をつけているというところだ。霊安室とは違い、彼らは一切の手心などない」
「何を今更なことを」
「今更? すでに計画が狂っていることに君は気づいていないのか? 我々はあくまで、吸血鬼を生み出すことであり、それを霊安室に退治させることで、相応の見返りを受け取る計画だったはずだ」
当初の計画が大幅に狂いつつあることを、黒崎は指摘する。
「ところが奴らは吸血鬼どころかグールすらまともに始末できない。今回の事件で、派手に犠牲者まで出している。奴らと手を組んだことが失敗だったんだ。今なら手を引けば、まだ無かったことに出来るだろう」
「それは困りますね」
苦い顔をする山城に助言するかのように、一人の青年、吾妻幹久がそう言った。
「すでにこれは皇家とも結んでいる契約なのですよ」
「その皇家がすでにボロボロではないか。そもそも、吸血鬼を生み出したところで、それを駆逐する力が無ければ、今回の取引が成立するわけがないだろう」
黒崎の指摘に、流石の吾妻も黙り込む。
「だが、君もこの計画に賛同したではないか?」
山城の発言に黒崎は彼を睨みつける。
「確かに賛同はした。例え脅迫されたとはいえ、私も君たちと同罪だ。今更自分だけ無罪だというつもりなどないよ。そんな私でも、今回の計画が根底から破綻していることぐらいは分かる。奴らの点数稼ぎのために、こんなくだらない取引を持ちかけたことをな」
黒崎がぶちまけた計画に、山城は苦い顔をした。霊安室に功績を与える対価として、吸血鬼を発生させ、彼らに駆除という功績を与え、こちらは吸血鬼を生み出すためのデータと実験を行うことを。
「保安局もバカじゃない。これ以上の深入りは、我々の破滅を意味するぞ」
「別に構わないじゃないですか」
吾妻の予想外の返答に黒崎は思わず戸惑う。
「今更手を引いたところでどうにかなるものではないでしょう。特捜室、それもアーマード・デルタまで動いていますからな。奴らはこの手の事件が起きれば、確実に全ての闇を暴くでしょうな」
「破滅が迫っていることを語るのがそんなに楽しいかね?」
黒崎は皮肉を言うが、吾妻は全く動じなかった。
「故に、方針を変更する必要性があります。それに、困るのは我々だけではない」
「吸血鬼やグールが潜伏する場所を密告しているにも関わらず、まともに対処すらできない連中に何が期待できるというんだ?」
「無論、今動いている連中ではダメでしょうな」
吾妻の発言に黒崎だけではなく、山城も首を傾げた。
「現状の霊安室には私も手を焼かされています。当初、この計画は一年という時間をかけて、こっそりと行うつもりだった。ところが、実行犯である彼らの事情で三か月での結果を出す羽目になったわけですが、その無理が今回出てしまったわけですな」
「ご解説ありがろうというべきか。打開策はあるのか?」
「すでに軌道修正は完了しておりますよ。我々の目的は霊安室への貢献ではないですからね」
にやりと笑う吾妻の態度に、黒崎は危機感を抱いていた。
この計画に恐喝され、無理やり参加させられたが間違いなく自分は破滅の道を選んでいるのが分かる。
このままいけば、自分が破滅するだけではない。多くの人達の命が脅かされるだろう。
昨日、特捜室に密告をしたおかげで、最小限の被害で済ませることができたが、いつまでもそんな対処用法が通じるわけがない。
早いうちに手を打つべく黒崎は覚悟を決めていた。
****
虚ろな目をしながら、黒崎真希子は用意された一室で天井を眺め続けていた。
『止めてくれ!!!」
自分が殺した吸血鬼の断末魔が不意にフラッシュバックし、脳内に蘇る。ぞわっとした嫌悪がぬぐえず、真希子は深くため息をつく。
吸血鬼は駆除される立場であるとはいえ、自分もまた吸血鬼であり、同族を殺していることや、自分も同じ道にいることへの不安と恐怖があった。
そんな複雑な思いから現実に引き戻すかのように、ドアをノックされる。
「元気そうだな、真希子」
不気味なほどの笑顔を向けている吾妻に、真希子は思わず身構える。
「昨晩は御苦労だったな」
「別に……」
目線を合わせず、ぶっきらぼうに真希子は答えた。吾妻の目には不思議というか、何とも言えない不気味さがある。
人を引き付け、癒そうとする不思議な優しさと共に、どこか無慈悲で残忍さを感じるのだ。
「君のおかげで、悪い吸血鬼を倒すことが出来た。礼を言わせてもらおう」
仰々しく頭を下げる吾妻だったが、真希子は冷ややかなままであった。
「ねえ、一つだけ聞いていいですか?」
「何かね?」
「私は後何人殺せばいいんですか?」
無理やり吸血鬼の力を使い、同じ吸血鬼を倒すという仕事を命じられてからすでに一か月近く経つが、初めて自分以外の吸血鬼を倒してから、真希子の心は限界に近づいていた。
「どうしたのかね?」
「私、もう無理です。あの人達だって、もともとは人間なんですよね。私のやっていることって、人殺しじゃないですか」
人を殺していることへの罪悪感に、真希子は押しつぶされそうになっていた。いくら吸血鬼とはいえ、元は人間。それを殺すことに嫌悪感と強いストレスが彼女を蝕んでいる。
「それは違うと説明したはずだ。君は、善良な人々を吸血鬼から守るために戦っているに過ぎない。いくら元人間と言えども、彼らは悪魔に魂を売った吸血鬼なんだよ」
「私だって吸血鬼です!」
ついに耐えきれなくなり、真希子は叫んでしまった。
「私だって吸血鬼で、あの人達と同じく駆除される存在のはずですよ。なのになんで私は駆除されないんですか? 殺されないんですか? おかしくないですか?」
真希子もまた吸血鬼だ。生まれついての吸血鬼とはいえ、同じ吸血鬼という意味では、今まで彼女が駆除してきた連中とは全く変わらない。
「辛い思いをさせてすまないね。だが、君と彼らには大きな違いがある」
「何です?」
「君は優しく、人間社会に溶け込み、周囲の人に危害を加えることなどしない。奴らは自分の欲望のために、力を手に入れようとしている欲深い悪しき存在だ。それがたまたま吸血鬼の力を手に入れているだけに過ぎないのだよ」
吾妻の言葉に違和感を感じながらも、真希子はとりあえず話を聞くことにした。
「奴らは吸血鬼の力を自分の欲望を叶えるために使っているに過ぎない。仮にこれが鬼や悪魔、サイボーグなどであったとしても奴らは力を得ようとしただろうな」
実際、真希子が戦った吸血鬼たちはかなり倫理がない連中ばかりだった。鬱屈した待遇や境遇に不満を持ち、人を殺傷したり、復讐しようとしたり、あるいは金品等を得ようとするようなゴロツキばかりであったのも事実である。
吾妻が言うように、容易く力が手に入れられるのであれば、吸血鬼以外の存在になろうとしただろう。
「それに、君には目的があるはずだ。君の父君、黒崎先生を取り戻すことがな」
その言葉に真希子の目の色が変わった。それこそが、真希子が戦う理由だったのだから。
「お父さんは、いつ戻ってくるんですか?」
「それは君の戦いぶりにかかっている。私も交渉しているが、奴らはなかなか厄介でな」
吾妻には胡散臭さがあるが、正直なんの伝手もない真希子には彼を信じる以外に道がない。
「君のメンタルケアならいくらでもしよう。待遇向上も約束する。だから……」
「分かっています。ただ、一刻も早くお父さんを助けてください! その為なら私は……」
そうだ、結局自分の選択肢など一つしかないのだ。
そのことを自覚すると真希子は覚悟を決めた。自分以外の吸血鬼を駆除することを。
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