第10話 前編

 自分は選ばれた存在のはずだった。


 そう思いながら、男は全力で逃走している。選ばれた存在と言えるはずの力を与えられ、人を超えた力を持っているのにも関わらず。


「人を超えた力を持ってみないか?」


 それまで好き放題で自由を謳歌しながら生きた結果、同年代の中でも底辺と呼ばれ、彼は定職にもつけずに低賃金でこき使われていた。


 それに不満を持っていた彼にとって、この力はまさに人生を変える代物であった。


 自分を奴隷のようにこき使っていた雇い主も、自分をいじめ抜いてきた半グレの一味も、簡単に捻り殺せてしまうはずの力を得たはずなのに。


「なのに、なんで逃げなきゃいけないんだよ!」


 そう、彼は今全力で逃走していた。人を超えた力、魔族の中でもある意味頂点に位置する吸血鬼となった彼は文字通り選ばれた人間のはずだった。


 わずか5%の確率から自分は吸血鬼になることができた。蹴りや拳の一撃で鋼板に穴を開け、コンクリートの壁を打ち砕くことが出来る上に、グールという奴隷まで自在に生み出せる。


 世界そのものすらひっくり返せるほどの力を持っているはずが、今は逃げの一手を取らざるを得ないことに愕然とする。


「これじゃ何も変わらないじゃないか」


 そう呟くと、目の前にピンクブロンドの少女が現れる。


「ひい!」


 彼は思わず腰を抜かすが、彼は彼女から逃走していたのであったのだから。


「逃げられないわ」


 冷えきった声に、思わず股間から尿が垂れ流してしまう。


「た、助けてくれ!」


「命乞いは無意味。さっさと死んでね」


 みっともなく命乞いする吸血鬼の右胸に、矢のような物体が突き刺さっていた。


「な、なんだコレは……」


 右胸に矢が突き刺さると、その周辺の肉体が溶け始め、全身が焼けるような苦痛が襲っていった。


「ギャアアアアアア!」


 絶叫する吸血鬼を少女は冷ややかに見ていた。吸血鬼になった時は意気揚々としていた奴ほど、死が近づくたびにみっともなく生にしがみつこうとする。


 その姿はいつ見ても醜態と呼ぶにふさわしい。


「嫌だ! 死にたくない! 死にたくない!」


 そう叫んだところで全てが手遅れであった。胸部から広がった熔解部は瞬く間に前進へと広がっていく。


 凄まじい苦痛に叫びながらも、全身の肉体と骨が全て溶け、最終的にはただの液体だけが残ることになった。


 その光景を眺めると、彼女は懐からスマートフォンを取り出す。


「害虫駆除、完了と」


 SNSでメッセージを送信し、その場からひっそりと彼女は立ち去ろうとするが、不意に涙が流れてしまった。


「後何人、私は殺せばいいんだろう……」


 極が付く悪人、取るに足らないどうしようもないクズ、それを殺したところで問題がないと言われたところで彼女は自分の罪深さを自覚していた。


 だが、それでも止めるわけにはいかない。ここで止めたところで道が開けるわけでもなく、平穏が戻ってくるわけでもない。


 それを思い出すと、少女は涙をぬぐいながら先ほどまでの冷静な表情へと戻り、その場から去っていった。


****


「ごめんなさい!」


 荘龍は土下座しながら、自分の奥さんであるレイに謝罪していた。


「誠意が全く伝わらないんだけど?」


「そんなことはないと思うよ。僕真剣に謝ってますから!」


 嘘偽りなど一切無いという態度で、荘龍はレイにそう言い切って見せた。


 先刻の吸血鬼騒動が解決した後、荘龍はミラージュから戻ったレイに激しい折檻を受け、無理やり自宅に帰らされた。


 理由はレイに黙って勝手に出動してしまったからである。


「私言ってるよね。隠しごとしないで欲しいって。これって隠すような悪いことなの?」


 憤怒の態度で髪の気まで逆立っているかのように見えるレイは、心の底から激怒している。


 長い付き合いからそれを知っている荘龍はとにかくそれを宥めようと必死に謝罪を繰り返し続けていた。


「滅相もございませんです奥さん!」


「じゃなんで黙って出動したの?」


「それは……」


 そこで口ごもると、レイはため息をついた。


「荘龍、顔上げて」


 土下座の姿勢から恐る恐る顔を上げると、レイの足先蹴りが荘龍の顔面めがけて迫ってくるのが見えた。


 光の元素系能力者である荘龍には、それがスローモーションのように見えるために、容易に回避することが出来る。だが、荘龍はあえて回避することなく、一番ダメージが少ない頭蓋骨が分厚い額の部分でそれを受け止めた。


「ほげえ!」


 予想以上の痛みに、荘龍は脳天が吹っ飛びそうになるも、一回転して威力を殺すが、それでも額がズキズキと痛む。


「どう、愛があると痛いでしょう」


「み、ミラーコーティングは反則だよ」


 レイも足先をミラー粒子でコーティングを行い、硬度を高めていた。ミラーコーティングされた物体はすさまじい耐久性を誇る。欠点があるとすれば、コーティングの蒸着は一分程度で剥がれ落ちるくらいだが、自分でミラー粒子を発生させられるレイには弱点にすらならない。


「だって、私本気で怒っているんだもん! 私ってそんなに怖い女なの?」


 勢いでYESと答えてしまいそうになるが、彼女を愛している荘龍はその言葉を押し込めて首を振った。


「ならなんで私に一言さ、任務が入ったからって言えないの? 私、そこに怒ってるんだよ!」


「え?」


「お昼にも言ったよね! 草津から帰ってくる時に、私荘龍のこと責めた? 責めて無いよね。荘龍のせいじゃないけど、八つ当たりしたくないから我慢して黙ってたって。今回も同じじゃない! 荘龍が今回の事件引き起こしたの? 荘龍のミスとか失態で起きたことなの?」


 レイの怒りの原因が発覚すると、荘龍は改めて姿勢を正したが、それを確認したレイは荘龍に抱き着いてきた。


「荘龍、私ってダメな奥さんなの? そういう相談もできないようなひどい奥さんなのかな?」


「俺にはもったいないくらい素晴らしい奥さんだと思っていますですはい」


 レイを強く抱きしめて荘龍は断言するが、レイの目は物凄く潤んでいた。


「絶対嘘だと思ってる!」


 そう叫ぶとレイは泣いてしまった。先ほどまでの怒りからの急転直下に、荘龍も戸惑う。


「ちょ、レイちゃん」


「本当に信頼しているなら荘龍はなんで、私のこと、信じてくれないの?」


「それに関しては、ごめんなさい」


 久しぶりのラブラブタイムを邪魔され、その怒りの矛先が自分に向いている可能性が過ぎったからこそ、荘龍はトンズラするかのように出動した。


 だが、それはレイという奥さんを、全く信頼していないことを行動で示してしまったようなものだ。


「私のこと信じてないってことは、愛してないってことだよね!」


「それはちょっと違うんじゃないかな?」


「なんで? 愛しているなら通じ合えるし分かり合えるよね。信頼も生まれるよね。夫婦ってそういう信頼で成り立ってるんじゃないの? そこから愛が生まれて、ラブラブできるんじゃないの!」


 ぐうの音も出ない発言に荘龍は黙り込んでしまうが、黙り込んだことに腹が立ったのか、レイは荘龍の腕に噛みついた。


「痛い!痛い!痛い!痛い!」


「私の心はもっと痛い!」


「か、噛みつき禁止!」


 レイの肩を叩いてタップすると、レイは噛みつきを解除する。安堵したのも束の間、ミラーコーティングされた正拳突きが荘龍の顔面に突き刺さった。


「ちぇげばら!」


 軽くソファーから吹っ飛ばされ、荘龍は命中した鼻から血が出ていることを確認する。


「荘龍の大馬鹿! 私の心を弄んで、私のことぞんざいに扱って、結局私のことなんて体のことしか興味ないんでしょ! ドスケベ色情亭主!」


 盛大に暴れて叫んだ後、レイは泣きだしてしまった。それを眺めながら、荘龍は出血した鼻の止血を行う。


 その作業の中で、よくよく考えれば確かにレイをぞんざいに扱っているというのはそこまで間違っていない指摘なのかもしれないと思った。


 室長である叔父に要請されたとはいえ、一言レイに声をかけるぐらいのことはできたはずである。


 だが、自分はレイから逃げるように出動した。いや、本当に逃げたのかもしれない。八つ当たりされることや、レイの残念がる顔を見るのが嫌だったからだが、そういう時にしっかりと向き合うことが大事なはずだ。


「そうだよな、俺が全部悪いんだよな」


 それに気づくと、荘龍は泣いているレイに向かって再度土下座した。


「レイちゃん、トンズラして本当にごめんなさい!」


「……何よ、今更遅いんだからね!」


「別に機嫌取るとかそう言うつもりは一切なくて、心の奥底から反省したから、誤っているんです! 確かに僕は、レイちゃんをぞんざいに扱ってました! ひどい扱いしてました!」


 話を聞こうという気持ちになったのか、とりあえずレイは泣き止んだ。


「オジキから電話かかってきた時、レイちゃん怒らせたくないって逃げちゃったけど、ああいう時だからこそ、奥さんとしっかりと向き合わなきゃいけない。次は逃げませんから僕にチャンスをください!」


 誠心誠意を込めて、再び荘龍は土下座をする。一秒が十分にも感じられるぐらいの感覚になるが、レイは再び荘龍に「顔を上げて」とつぶやいた。


 再びミラーコーティングキックを食らうかもしれないが、愛の鞭と思って荘龍は堂々と顔を上げる。すると、レイは荘龍に抱き着いてきた。


「もう、荘龍って私の心をくすぐるの上手過ぎる! そういうことされると、許すしかできなくなっちゃうよ!」


「ごめん、ホントごめん」


「本当に反省してる?」


「もちろん! めいっぱい反省しています」


 夫婦喧嘩は何度かしてきたが、そのたびに荘龍は二度としたくないという気持ちで胸がいっぱいになる。自分が原因なのだからなおさらだ。


「じゃ、一つだけ条件つけるね」


「どういうこと?」


 荘龍の疑問に答えるかのように、レイは自分の豊満なバストを荘龍の顔に押し付けた。


「私が荘龍の奥さんで、荘龍が私の旦那様だってこと、私にちゃんと証明してみせて。


 レイからの誘いは明らかにご褒美以外の何物でもない。五日間、ラブラブできていないという現実に、荘龍は勢い余ってレイを抱えたまま立ち上がってしまった。


「今夜、寝れなくなっても知らないからね」


「いいもん。睡眠より愛情が優先だよ。荘龍は違うの?」


「俺も同じだよ。じゃ、しっかりと証明してみせるから」


 半分にやけた後で、荘龍はレイを抱えたまま、夫婦であることを証明するために浴槽へと向かうのであった。

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