第5話

 鋭い目つきで睨みつけるように、天城レイは業務用PCのディスプレイに映る報告に目を通していった。


 不機嫌そうなのは報告内容ではなく、極めてプライベートな話ではあるが、それがレイを極めて不機嫌にしている原因でもある。


「レイさん、ちょっといいですか?」


 リムレス眼鏡と大きめのバストが特徴である部下の土岐百枝とき ももえが見かねて彼女に声をかける。


「何?」


 返事と共に、レイは手にしていたボールペンをへし折っていた。さらに、ぎらついた目付きを向けるレイに百枝はかなりの危機感を抱いた。


「あの、コーヒー飲みに行きませんか?」


「一人で行って。私忙しいから」


 仕事に熱中するのはいいが、その態度は明らかに不機嫌さをむき出しにしており、百枝を除いた職員たちはドン引きしている。


 国家保安局特捜室科学班に所属している二人は、一応特務捜査官としての訓練を受けており、正式な捜査官としての資格を有している。


 だが二人以外のメンバーたちは全員技官であり、捜査官としての訓練は受けていない。故に戦闘や荒事などへの耐性が無いため、レイの不機嫌、というよりも怒気に全員が当てられてしまう。


 正直言って、百枝自身も不機嫌なレイにはいろいろと注意し、神経を使うので決して接したいとは思わない。


「レイさん、みんな怖がってますよ」


 意を決して百枝がそう言うと、レイはさらに不機嫌になり、翡翠のような瞳で百枝をじっと睨みつける。


 力のある魔族に睨みつけられるとこういう気持ちになるのだろうか? 正直、腰が抜けそうになるほどに、その目は怖かった。


 心の中で最近できた彼氏に助けてと叫び続けてしまったほどだが、その様子にレイは深くため息をつき、一瞬うつむくと、先ほどまでの血走った目から、いつもの翡翠のようなキレイな瞳を向けた。


「ごめん、せっかくだからちょっと一息つけようか」


 ぶっきらぼうな口調から普段の優しく、気遣い溢れた声に戻ったことで百枝もほっとする。

 二人はオフィスを出て喫茶室へと向かった。


「はあ……」


 席に付くと、先ほどの不機嫌さから打って変わって、レイはため息をついて見るからに落ち込んでいた。


「モモ、八つ当たりしてごめんね」


 先ほどまでの不機嫌を反省したのか、レイは彼女に謝った。


「いえ、大丈夫ですよ」


「ホント? 私酷い態度取ってなかった?」


「いえ、ただ、魔族の人がキレるとこうなるんだなっていうことぐらいは感じたかなと」


 モモがそう言うとレイはテーブルに突っ伏した。Hカップを超えるバストが枕のようになっているのが若干シュールになっている。


「私最低だ……」


「ああ、ごめんなさい! そういうことではなくてですね。むしろ、ああいう感じでレイさんが不機嫌になっちゃったことに同情しつつというか……」


 途端にレイが若干どう猛な目付きでモモの両腕を掴み、息を荒くする。普段は温厚で常識的ではあるが、本質的にレイは躁鬱の気があり、親しい人間にはかなり感情の浮き沈みが激しいところを隠さない。


 そして、この場合の感情は明らかにの方だ。


「そうなの! ひどいんだよね室長ってさ! せっかく夫婦で草津まで行って、旅行していたのにそこから呼び出すんだよ! 鬼だと思わない?」


 レイがこうも情緒不安定になっているのは、有給を取りながら愛する旦那様との旅行を台無しにされたことにあった。


「しかも、私気合入れて旦那様を喜ばすために色々と考えていたのに、全部パーになっちゃったんだよ! 信じられる? あのクソ親父、いつか絶対にフルボッコにしてやるんだから!」


 午前中だからか、まだ喫茶室にはそこまで職員がいなくてよかったとモモは思った。それぐらい、今のレイは理不尽と欲求不満の権化になっており、それが怒りをむき出しにしている原因となっていた。


 相手の心理を読み取れる能力者ミュータントでもあるモモには、レイの心の中は現在、嵐のように大荒れの状態であるのが見える。


 モモの力は心技体に優れた能力者ミュータントの心理は読めない。レイもまた、特務捜査官としての資格を持っており、自分とはまた違う能力を持つ能力者ミュータントであるため、まさに心技体共に揃った優れた人物である。


 だが、それが揺らいでしまうと能力者ミュータントであっても心が読めてしまう。それはレイも知っていることではあるが、それすら気にしなくなっているほどにレイはかなり情緒不安定になっているようだ。


 正直、自分には荷が重いとモモは思い始めていた。


「あのクソ親父、私と旦那様がラブラブだからって嫉妬してやがるのよ! そんな嫌がらせでどうにかなるほど私たちの愛は脆くはないし、むしろ強いけど、それでもね、ラブラブできないことに不満が無いわけじゃないの! モモなら分かるよね!」


「あ、あの、その、そうですね」


 苦笑いするモモだが、レイの言いたいことはモモにも分かる。


「私も、ラブラブできないと確かに少し寂しいなって思っちゃいます」


 最近できた彼氏との関係は良好である。一応、体の関係は出来ている上に、互いの家にお泊りする仲にまで進展しているほどだ。


 故に体を持て余すレイの心境も、ほんの少しだけモモにも分かる。


「だよね。ましてやさ、私って奥さんじゃん。結婚しているんだよ。夫婦なんだよ。子供作って親になれる関係なんだよ。そろそろかなと思ってた瞬間これってありえなくない? 私と旦那様の幸せ家族計画までぶっ潰そうとしているのよ! ああ、思い出せば思い出すほどに腹が立ってくるわ」


 怒りのボルテージが再び燃え上がっていくが、これは能力を使わなくても分かる。


「……ねえ、ちょっとあのクソ親父ぶち殺してきていいかな?」


「ダメに決まってるじゃないですか! それだけは絶対にやめましょう!」


 目が完全に血走って、血迷った発言をするレイをモモは必死に宥めようとする。

 

 レイは文武両道を地で行く捜査官だが、室長の能力者ミュータントとしての力は、ずば抜けて高い。ある意味、最強の能力者ミュータントと評価されるほどだ。


 逆に制裁されるのが目に見えている。


「それよりも、レイさん調子が悪いなら今日休んだ方がいいんじゃないですか?」


「そういうわけにもいかないじゃん。昨日の吸血鬼騒ぎもあるし、室長からさ、対吸血鬼装備の用意と吸血鬼とグールのDNA分析しなきゃいけないし……」


「それは私たちに任せてくださいよ!」


「DNA関連は任せるけどさ、装備に関しては私の専門だから何とかしないとなあと。それで死傷者出るの嫌だし」


 室長には恨み骨髄ではあるが、それはそれ、これはこれである。仲間が自分の手抜きで死ぬような状況を作るのはレイのプライドが許さない。


「当面はデルタが表に出るからいいんじゃないですか?」


「1課も動かすって言ってたよ。デルタはもともと切り札的立ち位置じゃない」


 特捜室には全部で1から4までの課が存在する。特に1課は全員が能力者ミュータントであり、精鋭ぞろいの捜査のスペシャリストたちが集まっている。


 特殊部隊としての側面が強いアーマード・デルタよりも、バランスが取れている組織だ。


 それだけに、1課を動かすということは、室長が本格的に動くことを決めたことを意味している。


「だから、対吸血鬼用の武器やらなんやらのチェックもしておかないといけないわけ」


「レイさん吸血鬼含めた、対魔族関連装備のスペシャリストですもんね」


「そういうこと。でもさ、正直やる気はあるけど気持ちが乗らない」


 再びテーブルに突っ伏すレイは涙目になっていた。スペシャリストとしてのプライドと、奥さんとしての自分が完全に不具合を起こしているのが見て分かった。


「やっぱり帰った方がいいんじゃないですか?」


「でも、スペシャリストとしてのプライドが……」


 仕事は真面目で、技術にプライドを持っているレイとしては、キッチリと仕事を仕上げたいのだが、モチベーションが空回りして上手くいっていない。だからこそ、あんなに不機嫌だったんだろう。


 この状況を打開できるのは、やっぱりレイの旦那様以外にいない。そう思っていた時にレイが突如目をギラつかせて入口に視線を向けていた。


 そこには黒のスーツと紅のネクタイを付けた長身の青年がいた。やや挑発的で不遜な目付きと、大胆不敵さがにじみ出ている態度、そして何よりかき上げた黒髪は間違いなく、レイが今必要としている男性そのものである。


「モモごめん! ちょっと私しばらく戻ってこないから!」


 テーブルに千円札を置いてレイは急いで青年を追いかけて行った。


「ホント、レイさんって台風みたいな人だなあ」

 

 仕事も出来て、気配りもできて、戦闘もこなせる万能の上司にして先輩。それがモモが持つ天城レイという女性だ。


 だが、彼女にはもう一つの側面を持っている。


 アーマード・デルタ隊長、上杉荘龍の奥さんという側面が。

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