哭叫
ごろん
1:石斑谷村
晴れ渡る真夏の午前。
古めかしい形をしたタクシーが、急ともいえない上り坂を息も切れ切れにのっそりと駆け上がっていく。
東北の山間と言えば涼しく聞こえるものだが、実情は真逆だ。
雪が深いということは風がないということで、つまり夏においては増していく熱気と湿気が谷間に沈んで溜まる一方だ。
窓へ粘るように張り付く暑さは、エアコンに白旗を促すほど。
首筋に浮いた汗で彼らの勝敗を陰鬱に確かめると、彼はひびがあちこちに浮く革張りのシートに腰を落とし直した。
「お客さん、
○○県は××市。
市名を冠した最寄り駅から運転を任せてあったドライバーは、行き先を告げた時から驚きと怪訝を目元にありありと浮かべていた。
おおよそ三〇分の同行でしばらくは詮索もなかったけれど、村の入り口に差し掛かったところで自制が好奇に押し込まれてしまったようだ。
「あそこは今晩から寝ずのお祭りでしてね。合わせて帰省したのかと」
「ああ、いえ。祭りを見に来たんですが、村の関係者というわけではなくて」
客席の彼はバックミラーに映るよう、名刺を掲げて見せると、
「フリーライター? じゃあ、お祭りの取材に?」
「
名前を売る目的もあって、隙間から助手席へ名刺を滑らせてやった。
※
とと追祭。
山間の小さな村落で、江戸時代より続くと伝わる祭りだ。
夕日が山間に沈む頃、村で祀る『御とと神社』より被り物でとと様に扮する一団が出発。
お囃子と焚火に囲まれながら村内を練り歩き、村名の由来となった
とと様が足を止めると、お祓いで清められた魚が参加者に振舞われ、豊穣への感謝と祈願とする。
その後、供物の頭と骨を奉納台に納め、一夜のあいだ太鼓囃子を鳴らし続けるという。
「隣に住む私たちも、市町村合併で一緒になるまでよくよく知らんかったもんです」
タクシー運転手の言う通り、大瀬・路洋自身も秘祭・奇祭として知った経緯がある。
東北南部の小さな村に、変わった祭りがある。
それだけならさして珍しい話でもなかったが、偶然に見かけた郷土誌の写真こそが東京から記者の足を運ばせたのだ。
「行列の先頭を進む、とと様を見たことはあります?」
「いやあ、私もあいにく。ですが、魚と聞いていますよ。とと、魚々、だって」
「写真で見て、確かに魚ですがね」
路洋は、好奇心に頬を濡らして、じっくりと小さな画角を思い起こす。
とと様は、黒斑を散りばめた白布でつくられており、男数人が中より長い胴体をくねらせる。長さで言えば一〇メートルほど。
均整からいえば明らかに胴が長く、蛇に類するようにも見える。
だが、特徴的な頭部が、それを魚であると教えてくれる。
突き出た顎に、丸まるの瞳。
加えて、赤い背びれと、やはり赤いリボンのような顎髭を持っており、見間違いようもなく、
「リュウグウノツカイがモデルだと思うんですよ」
奇怪な風体で名が知れる深海魚の姿であった。
「へえ。言われて見れば確かに。けれど、パソコンやらスマホがある今時分はいざしらず、昔の村人が深海魚なんて知っていますかねえ」
「もしかしたら近世に造り直したのかも……だから取材したくなりましてね」
記録を読めば、かつての姿を知れるかもしれない。
実物を見れば、時代を感じられるかもしれない。
「ははあ、面白そうですねえ……見えてきましたよ、お客さん」
エンジンが下り坂に一息ついて、行く先がひらける。
確かに人里が見えてきた。
陽炎の揺れる古いアスファルトが伸び、谷底の川に渡された茶けた鉄筋の橋を渡った先。
平たい土地を田畑に譲り、斜面に並ぶ古めかしく汚れた家々が並ぶ、物寂しい寒村の姿を目の当たりにしたのだ。
※
村として成立したのは戦国時代の後期となる。
狭く痩せ雪の多い山里は、太閤検地の手が入るまで歴々の為政者たちより故意に捨て置かれてきた、興りも定かでない隠れ里であった。
区割りがはっきりとした後も貧乏くじ扱いで、知行の押し付け合いになったという。
落としどころとして、実質的に村をまとめていた村長格の家を士分取立とし、与川の姓を与え管理者とした。
「そんな土地柄なもんで、昔は村外の交流もほとんどなかったとか」
「この
「旅人を取って食っていたらしいですからねえ。怖くて近寄れないでしょ」
忘れられ、疎まれ、触れざるものとして命脈を保ってきた古い村落。
とはいえ、すでに令和の世だ。
「さすがに今は、子供らも市内の学校に通うくらいに行き来しておりますがね」
「市町村合併から風向きが変わったとか」
「二〇〇〇年ころですねえ。確かにその頃から変わったと思いますよ」
××市に合流することになり、代々自治体長を担っていた『
けれども、集落の権威であることは変わりがないという。
「村の者は今もって『村長さん』と呼んでおりますから……つきましたよ」
目的地である××市役所石斑谷村支所前に着くと、帰りの段取りを確認したタクシーは市街へと踵を返していった。
来訪者となる、路洋をただ一人残して。
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