第4話「化け物・2」

 人間に戻れるかどうか知るためには何をすればいいか。聞いたところ、蒼勇はまず、私が化け物になった経緯を話すように言った。

 それに素直に従い、私は姿勢を改め、一ヶ月前に、白髪の君に初めて出会った時のことから、この晩の、家の前で白髪の君と会い、人から知覚されなくなるまでの一連の出来事を語った。蒼勇はポテトを食べながら、黙々と私の話を聞いてくれた。途中で口を挟むことはなかった。

 ちなみに、話を始める前に、予め十万円の件については話を付けた。きっちりと十万円払うことを約束する形で。


「あれ? 高校生にとって十万円ってもっと貴重なものじゃないん? そんな易易と払えるんだったら二十万とか請求すりゃあよかったわ」

「易易と、って言いやがったか今?」

「うん」


 悪びれた様子もなく頷く蒼勇に、私は青筋を立てる。


「はぁ? 全く易易とじゃないんだが? それとも、お年玉を切り崩せばなんとか借金せずに払うことは可能な程度のことを、蒼勇が易易とって呼ぶような価値観の持ち主なんだったら話は別だけど?」


 そう言って睨み付けると、蒼勇は降参だと言わんばかりに両手を上げた。


「ごめんごめん、悪ノリが過ぎたね」

「本当にそうだよ……」

「だけどそもそも、代金がどうとかいうのも、真実が人間に戻れてからの話だ。今はまだ気にするような段階じゃあない。それよりもまず、今やるべき最優先事項を考えようか」


 こんな経緯から、私は自分の身に降り注いだ摩訶不思議な経験を、今でも本当に現実なのか疑いたくなるような経験を、私の目に見えたものを見えたまま語ることになったのだった。


「そうやって『偽真実』と父が家に戻った後、頭の中が真っ白になってた私は、暫くその場で突っ立ってた。どんくらい時間が経ったのかは覚えてないけど、ある程度経ってから、ふと何も考えずに歩き出すと、長年の癖で無意識のうちに玄関のほうに向かってた」


 私は間髪入れず、家での出来事へと話を移す。見ると、蒼勇は相変わらず、些か気怠げにも感じる無表情でポテトを食べていた(ちなみに一カップ目は既に食べ終え、これは二カップ目である)。その頃には雪はだいぶ収まってきて、彼の後ろでは、粉のような細かい雪がちらほらと、空高くから落ちてきたとは思えないほどゆっくりと降っていた。


「家に戻った私はまずリビングに向かった。当時の時間帯、普段ならそこに家族全員が揃ってるから」


 少しだけ時を遡ろう。白髪の君と家の前で顔を合わせた時だ。私の願いを叶えてもらいに呼び出した白髪の君は約束通りに現れた。私は君に触れて願いを口にする。そこまではよかった。しかし口にした途端、私はたちまち意識を失った。問題はそこからだ。

 目を覚ますと、目の前にはいたのは、私の姿かたちをした『真実』。――彼女は何者なのだろうか。

 彼女は玄関から出てきた父の呼びかけに応答した。私の意志に関係なく、独立して受け答えをしたため、『真実』は私の皮を被っているだけで、その中身は私とは別人で、私のふりをしているのだと思った。その中身が誰かは言うに及ばないだろう。その人と触れ合っていた時に私の意識は途切れ、目が覚めたら、私の容姿がその人に変わっていたのだから。

 これらを踏まえ、総合的に考えた結果、


「私は初め、私と白髪の君の中身が入れ替わったんだと思った」


 友達に映画の感想を話すような軽い調子で言うと、ポテトを口に運んでいた蒼勇の手がピタリと止まった。何の感情に起因した反応かまでは推し量れなかったが、彼は両眉を上げていた。


「私の体には白髪の君の精神というか意識が宿り、白髪の君の体には私の意識が宿った説。名付けるなら、私達、入れ替わってるぅ!? 説だね」


 説明口調の中に、いきなり渾身の物真似をかますと、蒼勇は思わずといった感じにぶっと吹き出した。私も笑う彼を見て思わず口角が上がってしまう。


「ああ、ごめんごめん、続けて」


 笑いながら謝られた。絶対に悪いと思っていない。とは言ったものの、別に彼に謝る義理はない。そもそも私が笑わせようとしたのだから、怒る方が筋違いというやつだ。

 私は続ける。


「最近、某東京のイケメン男子と入れ替わっちゃう系映画を観た所為だと思うけど、この説がまず初めに浮かんだの。だけど、これが名説だと思ってたのは最初だけで、すぐに矛盾点を発見しちゃった」


 その矛盾点を確認するために、というわけではないが、家に戻った私は廊下を進み、その先にあるリビングに立ち入った。

 広さ十畳ほどあるリビングには、大画面のテレビが壁に張り付いていて、その正面には、それぞれ少し離れた位置にソファが二つ置かれている。

 左のソファには『真実』が、右のソファには父が座っていて、二人揃ってテレビを視聴している、ように見える。というのも、『真実』のほうが実は、父には気付かれないように、股の間でこっそりとスマホを弄っているのだ。その様を見て、私は確信した。


「一つ目の矛盾点は、『偽真実』の行動が、私の物真似というにはあまりにも精巧過ぎたこと。彼女の外での振る舞いも、テレビを見てるふりして股の間でスマホを弄ってるのも、言葉選びから仕草の一つ一つまで、私そっくりだった。いや、言っちゃえば……」


 私は言葉を選び、一番しっくり来たその表現を口にする。


「――正しく私そのものだった」


 そう、あれはどう見ても私だった。あまりにも私だった。


「私のことをどれだけ知ってたとしても、演技でここまで再現することが可能だとは到底思えない。だけど、『偽真実』はそれが実際出来ちゃってる。これが一つ目の矛盾点」


 蒼勇は納得したようにうんうんと頷く。


「それが一つ目ってことは、もう一つくらいあるんだろ?」

「もちろん。もう一つの矛盾点は、『偽真実』が父と同じで私を知覚できないみたいだったこと」


 私がリビングに入った時点では、父以外の人も私を知覚できないかどうか、まだわかっていなかった。

 それを確認しようと、テレビを見ている二人の近くに移動している時だった。不意に部屋の奥、キッチンに繋がる半透明の横開きの扉が開いた。振り返って見ると、そこから現れたのは母だった。私と同じように振り返って母の姿を確認した『真実』は、慌てたようにスマホをポケットに仕舞って隠していた。これも、正しく私が取っただろう行動だった。

 リビングに立ち入った母は脇目も振らず父のいるソファに向かうと、父のすぐ隣に腰掛け、体同士をピタッと密着させた。そのまま二人は熱い視線を交わして、二人だけのピンク色の空間を作り出す。

 後ろから近付いた私はそれを邪魔するような意図をもって、大声を出しながら二人の顔の間に腕を突き通した。言うまでもなく効果はゼロ。二人のイチャイチャを止めることはかなわなかった。


「この時、ついでにと言ってはなんだけど、ソファに座ったまま父と母を傍観していた『偽真実』に話し掛けたり触ろうとしてみたけど、他の人と同じ結果に終わった」


 父と母が愛し合う様を見かねた私は、たちまち自分の部屋に引き上げた。他に行く宛もないし、家の中では自分の部屋が一番落ち着く場所だから、取り敢えずそこで一人で過ごそうとしたのだ。そうしたら、すぐに部屋に『真実』がやってきた。――自分の部屋に戻ってきた、と言ったほうが正確か。


「そこでも話し掛けたりしたけど、駄目だった。二人きりになった時ですら反応を示さないのはおかしい。中身が白髪の君だったら何かしら反応を示すはず……あれ?」


 ここまで語ってみて、自分の説明にこそ矛盾点を発見してしまった。


「『偽真実』の中身が白髪の君だとしても、必ずしも今の私を知覚できるとは限らないのか。それに、わざと無視してるだけかもしれないし……」


 座った体勢で眠ってしまった人のように、無意識に、ゆっくりと頭を前に倒していきながら、口の中でぶつぶつと呟いて考える。しかし、これは考えても詮無いことなのだったとすぐに思い出した。サッと顔を上げて平然と言う。


「まあ、それはいいの」


 そう。それは別段どうでもいいことなのだ。

 しかし、ここまで理路整然と語ってきた自分の説明に粗があったことを、まるで些末なことかのように扱う私に、蒼勇は露骨に訝しげな視線を向ける。


「……そんな気にしないで」

「いや、そう言われると逆に気になるわ……。まあ、真実が気にならんのならそれでいいけど……」


 何か言いたげな顔をしていたため、適当に話題を逸らした。逆に気になってしまうような言い方をしてしまったが、蒼勇は不承不承といった様子で引き下がってくれた。


「うん、大丈夫。話を戻すね。私はこの二つの矛盾点を解消する、整合性のある説明は一つしかないと思ってる」


 とりたてて大事なことを言うわけでもない。私はもったいぶらずに、気負いなく別説を唱える。


「それは、『偽真実』の中身が、他の誰でもなく、真実自身であること。そうすれば演技でもなく、自然に私と同じ振る舞いが出来るでしょ? 私なんだから」


 どんな反応をしているのか気になって見ると、蒼勇は薄らと笑みを浮かべて繰り返し頷いていた。それが何処となくこちらを見下すような、偉そうな仕草に見えて、ちょっとムカついた。

 彼を軽く睨みつけながら、私は続ける。


「この私の他に、もう一人私が存在するっていうのはなんとも変な話だけど、『偽真実』の中身が、例えば白髪の君とか、私と別人格だというよりは、私の中で幾らか納得がいくの」


 私の意志と関係なく『真実』が動いたことは確かだが、だからといって『真実』を動かした意志が真実という人格でないとは限らない。真実という単語だらけで酷くややこしい話だが、『真実』の中身は、赤の他人でも白髪の君でもなく、この私ではない他の真実であってもおかしくはない、と思うのだ。


「私の偽物だと思っていた『偽真実』は、偽物でも、父を騙そうとしてるのでも何でもなくて、何の変哲もない、普通に外の空気を吸いに来ただけの真実だってこと」

「うん。わかっとるよ。安心して」


 奇怪で複雑な話をしたため、私の稚拙な説明ではうまく伝わっていないかもしれないと思って、身振り手振りを加えながら別の表現もしてみたが、どうやら問題なく理解されたらしい。

 一頻り話し終えた私はほっと息をつく。長い間続けて捲し立てていたため、息継ぎを挟むのを忘れていた。ふとそれを思い出して慌てて息を吸うが、息が切れているわけでも、特に酸欠状態になっているわけでもなかった。体は至って健常だった。


「じゃあ、真実は、真実の容姿で、真実として過ごしている、真実とは別の真実が、普通に真実だと思っとるんだね?」

「いや、違う」


 私の話を簡素に纏めてくれた(詳細を省きすぎて、逆にわかりにくくなっているような気もするが)蒼勇に確認されるが、私は即座に否定する。

 彼の解釈が間違っているのではない。そちらは合っている。私が否定したのは、この説自体だ。


「というと?」

「これじゃ、私がどうしてこんな見た目になっちゃったのかがよくわからない」

「……ほぉう。確かにそうだね」


 彼は私の容姿を上から下まで、舐め回すようにではないが、観察しながら同意を示した。

 そう。この私が何なのかはわからないが、仮に『真実』から離れてしまった一部であったり、『真実』とは別の真実であった場合、たとえこうなった原因が白髪の君にあったとしても、私が白髪の君の容姿になる理由はないはずだ。おかしい……気がする。

 もっとも、気がするだけで、私の思いも寄らない、想像を遥かに超えたことが起きていても、そちらこそおかしくはないから断言は出来ないが。


「それで、結局どんな結論に達したんだ?」


 期待の籠もった眼差しを向けられるが、私は開き直ったような口調で答える。


「結論? そんなのないよ?」

「ん?」

「あれ、聞こえなかった? 結論はない。そこまで考えて、私はお手上げでした」

「ん?」

「お手上げでした。万事休す。つまるところ、何もわからず終いだった」


 これだけ考えて、結局わかったことは、自分が何もわかっていないということだけだった。


「いや、わからんかったんかい。めっちゃ自信ありげに語っとったから、どんな答えを出してくれるか楽しみにしとったのに」


 蒼勇は楽しみにしていたアニメの放送延期が発表された時の私よろしく、大袈裟にがっくしと肩を落とす。


「うん。自信満々に自信なかったね。いや、自信なかったからこそ自信満々に語ったって言ったほうが……ってこれはどうでもいいの」

「うん。どうでもいいね」


 閑話休題。私は続ける。


「とは言っても、このあたりの説を考えてたのは暫く後、外に出てからの話だから、少し時系列がずれちゃった。時間を戻すと、部屋で『偽真実』と二人で過ごしてた時だね。さっきも言ったように、彼女もまた私を知覚できないみたいだったから、二人で同じ部屋にいながら、私は一人別世界に取り残されたようだった。私の部屋で、私じゃない人が、まあ私と同じ外見なんだけど、私らしく過ごしてる様子を傍から見てると、なんていうか、もちろん寂しいんだけど、それと同じくらい胸の中がジリジリと炙られたように熱くて、それがなんだかどうしようもなく嫌で、その場にいるのが苦しくなった私は家を飛び出して駅へ向かった。さっきの説をとりとめもなく考えてたのはこの時、駅への道中だった。そうして何か考えていないと、不安で気がどうにかなりそうだったから。駅に着いてから過ごした時間は、化け物と一匹出会っただけで――」

「ん!」


 ようやく終盤に差し掛かった私の語りは、口を閉じたまま発せられた蒼勇の一声によって中断されてしまった。彼は高速でもぐもぐしながら、鬼気迫る様子でこちらを覗き込む。


「何? ポテトに異物混入でもしてた?」

「そうそう、髪の毛が……って、違う!」


 雑なボケに乗ってくれると見せかけてノリツッコミすると、俄然、彼の表情に真剣な色が宿る。ここで、私も只事ではないと気付いて気を引き締めた。


「今、化け物と遭遇したって言ったか」

「うん」

「それはどんな化け物だった」


 聞かれて、私は当時の情景を思い出す。


「最初は人間の姿をしてたんだけど、ふと瞬きをしたら、その間に顔がおぞましい化け物に変わってた」


 その姿を脳裏に映し出すだけで全身に鳥肌が立つ。


「赤い顔の額からは角が生えてて、口からは牙が剥き出しになってた。それこそ、私が想像するところの、鬼みたいな見た目をしてた」

「その鬼はその後どうなった」

「こちらに一瞥をくれることもなく、駅から立ち去っていったけど……。気付いたら、その鬼は人間の姿に戻ってて、その後は追ってないからわからない」

「そうか……」


 蒼勇は表情も変えずそう呟くと、眉間の辺りを指先で押さえて、考え込むように目を瞑った。その後は、あの鬼の人間の姿での人相や、どちらの方向に去っていったのかなど、あの鬼に関する質問を幾つか受けた。その情報を誰かに伝えるためだろう、彼は電話をすると言って、一時的に公園の公衆トイレへ行った。あのトイレはありえないくらい臭いから気を付けてね、と注意する暇すら与えてくれないほど足早だった。

 彼は思いの外すぐに帰ってきた。


「あのトイレ臭過ぎね」


 帰ってきて一言目がそれだったのには、流石に吹き出さずにはいられなかった。

 それはさておき、駅の鬼問題は一先ずは気にしなくて大丈夫らしい。ということで、私が化け物になった問題に話を戻す。


「駅だったね。駅でも鬼に遭遇したこと以外には収穫がなかったから、終電まで待たずにふらふらとこの公園にやってきて、ここにへたり込んだ。そうしたら――」

「俺が現れた、と」


 言葉の続きを埋めた蒼勇は、ヒーロー気取りなのか自信満々で張った胸に手を当てる。いや、実際私にとってはヒーローみたいなものだけれども。


「そう。それで、一通り全部話したかな」


 スルーすると、彼はその体勢のまま物欲しそうに口を尖らせた。そんなにツッコミを入れてほしかったのだろうか。

 まあ、それはいいとして、


「何かわかったことはある?」


 聞くと、彼はあっさりとそれを言った。


「わかったことはある」

「本当!?」


 待ちに待った答え。興奮した私は一も二もなく前に手を付き、身を乗り出して叫ぶ。衝動に身を任せた行動だった。興奮度を計測することが出来たのならば、きっと一瞬で針がメーターを振り切っていたことだろう。


「まあまあそう焦らず、落ち着いてちょ。わかったことは確かに色々あるけど、それを話す前に、挟んでおきたい質問やら補足やらがあるもんで」


 詰め寄ってくる私を、蒼勇は両手を突き出して制止する。だが、早く知りたくて堪らないのだ。宥められた私は最大限の恨みを込めてジト目を送ってやる。


「わかった……。答えるから早く質問して」

「よし」


 不貞腐れたように言うと、彼は頷いてから、「まず」と人差し指……ではなく、一本のポテトを立てて、一つ目と示す。見ると、カップが空になっていた。これが最後の一本らしい。


「真実が化け物と呼んどる存在、今の真実とか俺とか、そういう人でも生物でもない存在を、俺達は一括りに怪異って呼んどる」

「こういうのを怪異って言うのか……」


 私は納得してこくこくと頷く。読書、ひいてはファンタジーやホラー、ミステリーといったジャンルが特に好きな私は、怪異を扱った創作物にはそれなりに馴染みがある。だから、この状況に怪異という単語はしっくり来た。


「真実が白髪の君とか呼んどったあれも、恐らくは怪異だ」

「白髪の君についても、何かわかったの!?」

「まあ、落ち着け。それも後で話すで」

「はい……」


 しょぼくれる私に、蒼勇は姿勢を改めて続ける。


「あの白髪の君とか言う……ところで、真実を散々窘めておいて俺が話を脱線させるのは悪いけど、白髪の君って名前、なんか呼びにくくね?」

「本当に悪いよ……」


 冷ややかな視線を送る。それはともかく、


「でも、そう? 私はそうでもないけどな……」


 白髪の君を呼びにくいと思ったことなどなく、口に出したのは率直な感想だった。


「じゃあ、俺だけか……」


 意見を否定された蒼勇は、お菓子を買ってもらえなくて拗ねる子供のような顔をして俯く。ふとした時に浮かべるこういう無邪気な表情。正直に言って、ずるい。そんな顔をさせているのが無性に申し訳なくなってくるからだ。

 私は彼の無邪気さに踊らされて、必死に打開案を捻り出す。


「ねえ、あの怪異に正式名称はないの?」


 なんとか絞り出したものはこの質問程度だった。もっとも、後から思えば、案外悪くない質問だったかもしれないが。


「あるかもしれんけど、現状、そこまではまだわからんってのが正直なところ」

「なるほど。わからないなら仕方ないね。代わりの名前考えないとね」

「そうだねぇ」


 こじつけのような理由だが、話題の誘導は成功したようだ。蒼勇は訝しむ様子もなく、顎に手をやってうーんと考え込む。


「白髪か……。雪みたいとも言ってたよね? 雪、粉雪、雪化粧、銀世界、銀……」


 口の中で転がすようにそこまで言うと、バッと勢いよく顔を上げた。自信ありげに胸を張って、目を希望に輝かせている。嫌な予感しかしなくて、私は身構える(ツッコミ準備をする、とも言う)。


「じゃあ、『銀さん』は?」

「いや、それよろず屋! 駄目だよ!?」


 反射的にツッコミを入れてしまったが、冷静に考えてふと気づいた。


「いや、駄目なのか……? あの銀髪天パ男を皆『銀さん』って呼んでるだけで、別に本名じゃないからなぁ」


 どこまでが著作け、ゲフンゲフン……既存のキャラクターと被ってしまうのかが判断できない。しかし、『銀さん』は単なるあだ名の一つにすぎないし、他にどれだけ銀さんという人が存在してもおかしくはない……うん、そう思うことにしよう。

 そんな脳内会議を経た結果、


「よし、銀さんにしよう」

「本当に!?」


 大きく頷くと、蒼勇の表情に笑顔が咲いた。


「じゃあ銀さんで!」

「はいはい。それで、質問はまだあるの?」


 子供のようにはしゃぐ彼を適当にあしらって、話を本題に戻す。だが、流石に逸らし方があからさますぎたようで、私が散々送ってきた冷ややかなジト目を、意趣返しとばかりにそっくりそのまま返してきた。

 だが、彼はそれを長く引きずるようなことはせず、一回の瞬きの間に切り替えて、普段の鋭い目に戻っていた。


「まだある」


 まだあるのか――不満を漏らしそうになってしまったが、踏ん張って留まった。

 彼は質問を重ねる。


「銀さんが白髪だったとか中性的な顔だったとかは既に聞いたけど、もうちょい、こう、詳しく教えてくれん?」


 詳しく、とまるで私が銀さんについて詳しく知っているかのような前提で聞かれても困る。むしろ私のほうが知りたいくらいなのだから。それに、質問があまりに漠然としすぎている。


「銀さんについては詳しくどころか全くって言っていいほど知らないから、特に教えられることもないよ」

「どんなことでもいいから。何かない?」

「うーん……」


 私は考えてみたが、教えられることと言えば、銀さんから受けた印象くらいのものだ。


「白い髪は絹の糸みたいに滑らかで、透き通るように美しくて、光が当たると、一本一本が輪郭が縁取られたように、綺麗な白金色に煌めいてた。顔は本当に、この世のものとは思えないくらい、芸術品みたいに美しくて、ひと目見て、目を、心を奪われた」


 これ以上思いつくこともなく、話を切り上げて、目線だけ動かして蒼勇のほうを見ると、彼は片目を瞑りながら、もう片方の目でこちらを射抜いていた。私の語りに何を思ったかは窺い知れなかった。


「印象もありがたいけど、もっと具体的なことはない? こう、目は何色で二重だったとか、鼻は小さかったとかかぎ鼻だったとか、そういう具体的なの」

「見た目に関することで?」

「うん」


 首肯され、私は違和感を覚える。何故今更こんな初歩的な質問をするのだろうか。容姿に関することならば、具体的にどころか、わざわざ言葉にするまでもないだろう。

 何故なら、


「銀さんの見た目は、今の私と同じ見た目だよ? 言わなかったっけ?」


 そんなことわざわざ説明するまでもなく一目瞭然だと思って、言うのを忘れていたかもしれない。しかし、仮にそうだったとしても、これで銀さんの容姿については理解してもらえただろう。今の私と全く同じ容姿なのだから。――そう思っていた。


「ん?」


 しかし予想に反し、蒼勇は首を傾げる。雲がかかったように晴れない表情は、何か不可解な事柄を前にしているかのようだ。どこかに腑に落ちない点でもあったのだろうか。


「どうしたの?」


 尋ねるが、彼は答えない。代わりに彼の方から尋ねてきた。


「ちょっと確認するよ?」


 慎重さが窺える調子。


「……どうぞ」


 軽々しく返答するのは憚られる空気感に、一拍間を開けてから答えた。


「真実には銀さんが、白髪の美しい人に見えたんだね?」

「うん」

「そして、今の真実自身も、白髪の美しい人に見えとるんだね?」

「うん」

「なるほど」


 蒼勇は一度ゆっくりと吐息を付くと、何かが腑に落ちたのだろう、その目に宿っていた怪訝な色が抜けた。しかし、それは私にとっては決して良い兆候ではなかった。その目に代わりに差し込まれたのが、真剣さや深刻さだったからだ。不穏な空気を感じて、私は自然と頬に力が入る。


「残念ながら、俺には真実の姿が白髪の美しい人には見えん」

「え?」


 思わず困惑の声が零れる。

 確かに銀さんを、私が惚れた弱みから過大評価してしまっている可能性は否定できない。が、それを抜きにしても、銀さんの容姿は世の一般で言うところの美形だと思う。それもかなりの。そんな銀さんを美しいとは思わないとは、蒼勇――まさか、B専!?

 そんな能天気な私の想像は、続く蒼勇の言葉を理解すると同時に凍りついて、パリンと音を立てて粉々に割れることになった。


「俺には、顔に目も鼻も口もついとらん、のっぺらぼうみたいにしか見えんけど」

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