70. 紅の騎士サリア

「心の清い人々はさいわいである。その人たちは神を見る」

マタイ福音書五章——。


サリアは考えている。

ここにある「清い」という意味に引っかかった。

つまり「清い」というのは「邪悪な心」がまったく無いという意味ではなく「心の定まらない人」という意味でとらえた。

つまり、二心を持っている。心が定まらない、一途でない、という意味である。


つまり「二心を持たない人は、神をみる」というように、言い換えて解釈した方が良いに違いないと思った。


ちなみに、私たちの良く知るイスラエルとは「神が支配している」という意味だそうだ。


サリアにも若い頃、

「霊に仕えるか?肉体に仕えるか?」という二心があったのである。

「霊」に仕えることは、「無限の命」を意味する。

普通に「肉体」に仕えれば、「お金」に走る。

だが、人間としての刹那的な「幸せ」を手にいれられる。

ましてや、美貌の持ち主であるサリアにとっては、苦しい選択に違いなかった。


やがて、「霊」に仕えることに決めた!

これが、サリアの運命を決めてしまう。

やがて、修道院で「光輝くキリスト」の姿を見て、

「覚醒」したのだ。

「フォース」のセンスは生まれつきあった。

それは、カマールほど強力なものではなかったが……。

さらに「フォースの力」を強めるために、「無言の行」

つまり、一言も「話し」をしないという苦行を3年間行った。

肉体的苦痛は無いが、精神的な苦痛は凄まじい……。

さらに、剣術を徹底的に磨き上げ、今の「紅の騎士サリア」になったのだ!


ちなみに、「狂戦士」のカマールは生まれつき「フォース」については「神の栄光」が現れており、その分、人間としての力が脆弱だった。

ゆえに、巨大な「フォースの力」を持っている。

いわゆる天才だった。


神の「最高実現」が人間だ。

つまり、人間がいなければ神もまたやりたいことをやれない。

ようするに、人間は「神の子」なのだ!


やがて、人間は神のことなどケロリと忘れ、やりたいことをやり始めたのだ!

信じられないことだが「神から独立した」と思い込んだのである。


アダムとイブである。

ちなみに、イブであるが、アダムの「あばら骨」一本で作られたとされている。

やがて「知恵の木の実」をイブがヘビにそそのかされて食べてしまう。

羞恥心、つまり理性に目覚めてしまう。

それで、楽園を追われてしまった。


現代においてヘビとは「お金」のことなのだと推測する。


「知恵の木の実」を食べることをしたので、本来永遠であった寿命から、

いつか必ず死ぬことになってしまった!


ちなみに、サリアは知らないだろうが「日本の神話」にも似たような話しがある。


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