神楽2

 目を閉じて、深呼吸を一つ。そして、目を開ける。懐かしい感覚だ。バレエ教室でも、作品練習の前にこうして気持ちを整えていた。日常と意識を切り替えて、作品に集中する為だ。




___シャン…





 鈴を鳴らして、歩き出す。手首のスナップを内側にきかせて、鈴を鳴らす。この鈴は、姉が使ってるのを見ているだけで、私は触った事がなかったけれど、最初の鈴を鳴らした瞬間、姉が舞っている姿が、走馬灯のように思い出された。記憶を頼りに自分の身体を動かしていく。すると頭の中に、姉に指導する父の声が蘇る。




『最初の一歩目は、神棚のある方とは、逆の足から始めるんだ』


由祇ゆき、頭が揺れているよ。頭と胴は動かさないで舞いなさい』


『腕が開き過ぎているね。膝も落ちてる』




 家業に関わる姉を羨ましいと思う時間は、あまり長くなかった。私は私で、母に連れられて、地元のモダンバレエ教室に通い始めたからだ。この習い事は、私に合っていたようで、すぐに夢中になり、週一だった稽古が半年で週二になり、週四になるまで三年とかからなかった。

 ずっと曖昧だった家族の声や顔を思い出して、もう数日、家族の声を聞いていなかったと思ったら、泣きそうになった。


 一比古いちびこに渡された神楽鈴には、五色布が付いていなかった。けれど、私は五色布が付いている鈴の舞しか知らないので、布がある体で、舞うことにした。音もない、装束も揃ってない、振りも記憶頼り、バレエ教室の先生が見たら怒られそうだ。だから気持ちだけは真剣に、全力で挑む。なにより、踊るという事が久しぶりで、ワクワクした。

 不思議なもので、まるで音楽が本当に鳴っているかのように頭の中で再生されて、それに合わせて身体を動かす。洋舞とは、体の動かし方が全然違う。顎を固定して頭を揺らさないよう意識するが、手を上げた瞬間なんかにどうしても視線と一緒に顔を上げてしまう。緊張してか、変な筋肉を使っているのか、下半身に鈍い痛みを感じたりもして、気持ちに的には、苦戦していた。


“神楽……なかなかに奥深い”


 そんな事を思って、歯軋りしたいような気持ちで舞い続ける。舞も残り半分となった頃、一比古の驚くような声が聞こえた。本当はいけないのだが、何かあったのかと心配になり、顔をそちらへ向けると、一比古の後ろに広がる景色が、さっきまでとは、まるで違って見えた。元々、緑豊かで綺麗な原っぱが広がっているのだが、ぽんぽんぽんぽんっと、周囲に花が咲き始めた。草も目に見えて分かるように伸びていく。



「わっ……」



私の口からも思わず感嘆の声が上がる。舞を中断して、目の前で起きている不思議な現象を見ようかとも思ったけれど、最後まで踊りきる方が良いと、誰かに言われているような、ザワザワとした違和感が胸に湧いてきたので、気を取り直して舞に集中した。

 残り舞を終えて、神棚に礼をし、傍へと捌ける。そうして一息ついて、また外を見ると、来る時には、緑色が殆どだった景色が、今は色とりどりの花が咲いて、とても華やかになっていた。




「え……何が起きたの……?」




私の呟きを聞くと、一比古は凄い勢いで振り返り、随分と興奮した様子で、こちらへ駆けて来た。




「お、お、お姫様! お姫様は凄いです! 一比古は、今、奇跡を見ました」

「何の話し?」




一比古の勢いに押されながら、聞き返す。



「お姫様の舞が始まって、少しした時でした。植物達が喜び、成長し、花が咲いたんです。とても美しかった……。一比古は、ようやく理解致しました。神楽とは、奉納とは、こういう事だったのかと」


一比古は、私を拝むように手を合わせる。


「お姫様は、天とお話されていたのですね」


そう一人で納得しているが、全くそんな事はしてないし、何より私は、初めて神楽を舞ったわけで、正しいかどうかも怪しい。ハッキリ言って、なんちゃって舞だ。



「いや、大袈裟だし。そもそも私は、踊った事がないって言ったでしょ?」

「でも、確かに奇跡が起きました!」

「奇跡……私には不気味に感じたけど……」

「舞もとても素敵でした」

「それは嬉しい」

「人の創り出すものは、珍妙でもありますが、美しいですね」



未だ手を合わせて見上げてくる一比古の手を持って、それをやめさせる。





「これやだ! なんか、そういうの良くない」

「す、すみません」

「私は人間なんだから、拝むのは変だよ。するなら拍手にして」

「はくしゅ?」

「拍手、知らない?」

「はい。初めて聞きました」

「拍手は、相手を讃える時にするの。こうよ」





  私は見本を見せる。両手をぱちぱちと打ち鳴らすと、一比古もそれに倣って、両の手を打ち合わせる。……が、そのふわふわの手では、ぱちぱちという、拍手らしい音はしなかった。




「お姫様と同じように出来ません……」

「一比古の手は、私と違ってモフモフだからね」

「むー……」




一比古が何かと音を鳴らそうと、力を込めて打ち合わせるので、それをやんわりと止める。




「手が痛くなってしまわないようにね。音が鳴らなくても、一比古のそれは、立派な拍手」





一比古は、納得してくれたのか、鳴らない拍手を改めて、私に送ってくれる。私は、慣れ親しんだバレエ式のお辞儀、レヴァランスで、一比古からの拍手を受けた。






「拍手をしてもらったら、こうしてお辞儀をして受けるの。これは洋風だから、神楽とはミスマッチだね」

「お辞儀も優美ですね。見慣れないお辞儀ですけど」

「私の専門は、こっちなの。神楽以上に、一比古達には見慣れないかもね」





一比古が目を細めて私を見る。




「どうしたの?眠たい?」

「いいえ」



一比古は、首を振ると穏やかな声で言った。




「新しい事を覚えるのは、本当に久しぶりで……楽しゅうございます」

「……そっか」



頭の中でちらちらと、顔も知らない菊さんが見え隠れする。一比古が本当に嬉しそうにしてくれるので、私も極力優しく微笑んだ。





「それにしても……こんなに草が育っちゃったら、歩きにくいよね」





周りを見回して思わずため息が出た。これでは、履いて来た下駄を探すのも一苦労だ。




「はい。後で整えなくては」





 こちらに靴下なんてものは勿論なくて、足袋も滅多に履かないらしい。こんなに伸びた草の中を素足で闊歩するのは、抵抗がある。でも、屋敷に戻るには歩く以外の方法がないので、一比古と二人で、よく伸びた草の中から履いて来た下駄を探し出し、草を掻き分け掻き分け、帰路へついた。





 屋敷へ戻ると、妖怪達がザワ付いていた。帰ってきた私と一比古に気がついたら数人が玄関まで出迎えにやってくる。

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