神楽

 微かに鈴の音が鳴っている事に気がついた。音は遠くで鳴っていて、なんとも涼やかで、懐かしい音だった。




「鈴の音がする」




私の呟きに一比古いちびこは、耳をぴるぴると震わせた。そして静かにその長い耳を澄ましたようだ。





___シャン……シャン……シャン……





 鈴の音は、まだ続いていた。一比古は、音を確認すると改めて私を見た。




「咲耶様は、初めてお聞きになりますか?」

「え? ここで? この音をって事?」

「はい」

「初めて聞いた」

「屋敷の南東側に神楽殿かぐらでんという場所があるんです。そこに置かれた鈴を時々、妖達が鳴らして遊ぶんです」

「え。神楽殿かぐらでんがあるの?」



私の返事に一比古は、真っ赤で円な瞳を大きくした。



神楽殿かぐらでんをご存知で?」



私は頷く。

 神楽殿とは、神楽を奉納する為に建てられる舞台のことだ。勿論、私の実家が管理していた神社にもあり、確か姉は、そこで舞を舞っていたんじゃなかったかな……。



 薄ぼんやりとしている記憶を辿ろうとしてみる。向こうにいた時、全身を大きく動かす洋舞を習っていた私には、姉の舞う神楽は、とても退屈に映っていた。姉が父に稽古をつけてもらっているのを稽古場の外から見た事あるくらいで、姉が神楽を舞うのを見たのは、小学生が最後だったかもしれない。私は私で、モダンバレエの教室で才能を発揮し始め、本番が増えて、忙しくなったからだ。





「神楽殿は知っているけど、使ったことはないの」

「使う?」




 一比古は、私の言葉を復唱しながら首を傾げた。そんな一比古に私も首を捻ってしまった。




「え? うん。神楽殿って、神楽や巫女舞を奉納する時に使う舞台の事だよね?」




イマイチ私の言っている事にピンと来ていないらしい一比古の反応が気になって、同じ物の話をしているのか確認してみる。すると一比古は、先程とは逆側に首を傾けてしまった。




「『かぐら』や『みこまい』とは、なんですか?」

「え……。え!?」




思いの外大きな声が出た。私の声が大きかったからか、一比古もビクッと体を震わせたあと、忙しなくキョロキョロとした。





「神楽殿を知ってるのに、神楽を知らないの?」

「は、はい……」

「じゃあ、神楽殿はどうしてるの? 何に使ってるの?」

「私達は、アレが神楽殿という建物であると知っているだけで、それ以外は知らないのです。神楽殿は、特に使っておりません。手入れをするだけです。時々、誰かがそこに置かれている鈴を鳴らして遊ぶ程度で……」

「そうなんだぁ……」



 舞台があるのに、全く使われないのは、勿体無いと思った。


 『舞台人ぶたいじん』なんて、仰々しい言葉で自分事を言うのは恥ずかしいけれど、舞台に関わる人達にとって、舞台は大切な場所だ。洋舞をやってた私は、神楽殿なんかは立つ事がない舞台だけれど、それでも切なさのようなものを感じた。せっかくあるのなら、使われたらいいのに……なんて感傷に浸っていた時だ。







咲耶さくや様、使われては如何でしょう?」

「……え?」




一比古の提案は、寝耳に水で、脳が言葉を処理するのが遅れてしまった。





「使い方をご存知なのでしたら、使って頂きたいです! さあ! 参りましょう!」




言うが早いか、一比古は広げっぱなしだった裁縫箱をサッサと手際よく閉じた。そして立ち上がるとこちらへと駆けてきて私の手を取る。





「え、なに。どこ行くの?」

「神楽殿ですよ! さあさあ!」







一比古は、私を立ち上がらせると、部屋から連れ出した。ここの妖怪達は……なのか、妖怪全般なのか分からないけれど、どうも押しが強いというか、人の話を聞かないところがある。

 私の手を引いて、前をぽてぽてと走る、一比古を踏まないように気を付けながら着いていく。大きいうさぎと言っても、私の腰くらいで、背丈は小さな子供と変わらない。私が本気で走ったら、お尻を蹴飛ばしてしまいそうなのだ。一比古は、玄関へ着くと私に下駄を履かせて外へ出た。






「少々歩くのですが、この桃の木の小径を抜けたら、すぐです」






さっきまでの勢いで走られると、下駄が不慣れな私は脚が縺れてしまうと心配してたけれど、一比古はゆっくりと歩いてくれた。




 一比古のいう小径というのは、本当に少しだけで、割りとすぐに開けた所に出た。そこだけぽっかりと穴が空いたように、若草色が綺麗な草原が広がり、気持ち良い陽の光がたっぷりさしている。少し離れたところに四方を囲う木々が見えた。

 



 その草原の真ん中に神楽殿が佇んでいる。



「わぁ……」



思わず感嘆の声がもれた。

 実家もそうだったが、神社の境内にある神楽殿しか見た事がなかったから、こんな草原の中にぽつんと建っている姿は、本当に新鮮で、逆に神秘的に見えた。足元の草も随分と切り揃えられていて、歩き易かった。



 屋敷を出て2分くらいで、この原っぱに出た。本当に屋敷から近かったんだなぁと思った。





「こちらですよ」





 なんとも趣深い、綺麗な舞台だった。造りは、能舞台のような形だった。一比古がトントントンと階段を上がって、舞台の奥にある木製の引き戸を開けると神棚が置かれていた。






「野ざらしなのに、綺麗ね」





そういうと一比古は、とても嬉しそうに赤い目を細めて、鼻をひくひくさせた。





「少々お待ちください」






一比古は、舞台の横から伸びた廊下のようなところを通って、繋がってから小屋のような中に入っていった。そして、長方形の箱を持って帰ってきた。長方形の木箱の中には、神楽鈴が入っていて、一比古はそれを取り出すと私の方は差し出した。









「先ほど、咲耶様の仰っていたものを見せて頂けませんか?」

「え!」

「是非、見てみたいのです」





赤い目をキラキラさせてそう話す。見せてあげたいのはやまやまなのだが、私は踊った事がないのだ。







「あー……私、神楽は踊った事がないの。舞台を使ってるのを見た事があるだけで……」

「構いません! 是非、本物を、ここを使っているところを見てみたいのです」

「うーん……」





 正直、まだここに来る前の記憶は曖昧な所も多くて、姉がどう舞っていたかも、ぼんやりとしか思い出せないでいた。私の返事が鈍い事に何かを察したのか一比古は、申し訳なさそうな声で言った。





「……申し訳ありません。無理強いするつもりはありません」





しゅんとした一比古の声にハッとする。




「ごめん! そんなつもりじゃなくて、ただここに来る前の事は、まだ薄ぼんやりだから、正しく舞えないかもしれないなと思ったの。あのー……雰囲気だけでも良ければ」

「良いんですか!」




一比古の手から鈴を受け取り、履いていた下駄を脱いで、階段を登る。




「覚えてるところだけね」

「はい!」




とりあえず、廊下のようなものに繋がっている下手側へ移動して、記憶を頼りに鈴を構える。





「本当は、白い着物に緋色の袴で舞うの。袴じゃないからあんまり足開かないけど、多めに見てね」

「もちろんです! 有難うございます!」








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