桜桃の郷

お姫様という人


 主様ぬしさまにおぶられて戻ると、たくさんの妖怪が出迎えに出てきた。

 どうやら私は、皆にとても心配をかけていたらしい。いくらお嫁様だと言っても、この世において異物である人間の私に対して、こんなにも一喜一憂する彼らを見ているのは、まだまだ変な感じだ。けれど、少しだけ嬉しく思ってしまっている自分を見つけて、なんとも言い難い気持ちになった。

 一比古いちびこに言われたように、もとの世界へ帰ることについて、主様と話をさせて欲しかったけれど、その日は『早く休め』と言われ、私の意思とは関係なく布団に押し込まれてしまった

『ならば、明日にしよう!』と思って、翌朝から主様の書斎は行けば、用があるとかで、何処かへ出掛けてしまった後だった。笑っちまう程上手くいかない。仕方なしに主様の帰りを待っていると、その数日の間に、私は曖昧だった記憶を少しずつ取り戻していった。それは、ここに来る少し前の記憶で、代々宮司の家に生まれた事や幼少期からモダンバレエを習っていた事。兄弟は、姉と弟。

 記憶が鮮明になっていくと、不思議に思う事があった。兄弟の中で、自分だけが洋舞を習っていた事。姉と弟は、家で神楽や巫女舞を稽古していた。弟が姉と並んで稽古し始めた時、なぜ自分だけがそこに参加していないのか、不思議に思った事もあったけれど、その時はそういうものかと自分なりに納得した。

 記憶が鮮明になっていくにつれて、不安感は少しずつ減っていき、私は落ち着きを取り戻した。そうなってくると、数日前の一比古に対する言葉や態度、迷惑をかけた事をとても申し訳なく思う……。



 一比古は、先日の私の愚行にも懲りずに身の回りの世話をしてくれている。まだ妖怪達に囲まれる生活は慣れなくて、一比古と二人で過ごす時間が長い事もあり、随分と打ち解けたように感じる。今も、私に割り当てられた部屋に一比古と二人でいる。




「暇ねぇ……」

「暇じゃないですよ? 刺繍は、何の柄がよろしいですか?」

「……柄なんか分からないよぉ」





 私の目の前には、裁縫箱を広げた一比古と衣紋掛えもんかけに吊るされた真っ白い着物。部屋にさす日の光で、裁縫箱の中がキラキラしている。色とりどりの綺麗な刺繍糸が顔を覗かせていた。




「何の柄が良いでしょうか……」

「何でもいいよ」

「ダメです。大事な花嫁衣装なんですから!」

「白無垢に色の刺繍って、珍しいね」

「そうなんですか?」

「私、何回か見たことあるけど、色の刺繍の付いた白無垢は、一回しか見たことないの」

「……色の刺繍は、お嫌いですか……?」

「え! いいえ、すごく素敵だったのを覚えてるよ」

「良かった……」



一比古は、心底ほっとしたような声音で、独り言をこぼすように小さな声で言った。


 主様がここを空けて既に数日経っている。此方としては、結婚を承諾した覚えもないのだが、一比古を含めた此処の妖怪達は、ノリノリのようだ。





「まさか、人の子のお嫁様が主様の元へ嫁がれるとは……縁を感じますね」






一比古の嬉しそうな声に、なんとも言えない気持ちになる。一比古の感じている縁っていうのは、当初から出ている『お姫様ひいさま』と呼ばれてる人の事だろう。私の前に、ここに居た人間っていう事しか知らないけれど。

 一比古も妖怪達も、私とその人を同じ人と思っているらしい。彼ら曰く、私は彼女の生まれ変わりなのだそうだ。当の私は、全く身に覚えがないから、戸惑う一方だ。





「その……前に此処にいた、人間っていうのは……」




内心、恐る恐る尋ねると、一比古はぴるぴると長い耳を震わせた。




咲耶さくや様、本当に覚えていらっしゃらいのですね」

「此処の人達は、皆して私が同じ人みたいに言うけれど……」


『どんな人だったの?』と尋ねると、一比古は少しだけ考える素振りを見せた。



「お名前は、きく様でした。お優しい方で……お顔は、咲耶様に瓜二つ。私達に色々な事を教えて下さいました」



一比古は、持っていた針を針山へ戻すと、此方へ向き直る。



「私達に料理という文化はありません。お姫様が教えてくださいました。私達が空腹で死ぬという事はありませんし、何か口に入れても、専ら楽しみか、力を付ける為なのです。生命維持で物を口にしません」

「へぇ」

「しかし、お姫様は人の子。食べねば死んでしまいますからね。お姫様は、お一人で召し上がるのがお嫌いでした。そこで、世話役や手の空いている者に振る舞ったのがキッカケです。人の作り出す物は、かように美味なのかと驚いたものです」

「妖怪が食べるのは、人間とばかり思ってた」

「それは、郷の外にいる妖怪です! 主様のお陰で、この郷の者は、霊力欲しさに殺生しなくても良いように、山神様にご配慮頂いております。料理や農耕を学ぶ前だって、主食は木の実でした」

「妖怪版、ヴィーガンって感じね」

「びー……?」

「人間は、動物を食べるんだけど、中には動物性のものを一切口にしないで、果物や野菜しか食べない人達がいるの。それをヴィーガンて呼ぶの」

「舌が転びそうな言葉です」

「それで、その菊さんは、なんでこっちに?」

「何故だったのでしょうね……。お姫様は、郷の外で迷われていたのを主様が助けたのです。お怪我もされておりましたし、傷が癒える間だけ共に過ごす予定でしたが、『帰る場所がないから、ここへ置いてくれ』と主様に頼み込んだのです」

「帰る場所がない……か」




そう聞いて想像したのは、戦争だった。菊さんがいつの時代の人か分からないけれど、昔の人であるのは確かだと思う。

私は、思い出してきたと言っても、まだまだ曖昧な部分の多い。それでも自分が育った世界や自分の事を知っている人へ固執してしまうのに……彼女は一体、どんな苦しい事や嫌な事があったのだろうか。想像する事もできないけれど、感傷的な気持ちになった。




「主様は、それを承諾し、菊様は私達のお姫様となりました」

「結婚したの?」

「……いいえ。山神様の許可が得られず……。それでもお二人は、一緒に過ごされましたよ。最期の時まで。人の子の寿命は短いですね。とても幸せでしたが、あっという間で……恋しゅうございました」



しんみりとしてしまった空気を変えるように一比古は声の調子を上げた。




「それでもお姫様は、来世は妖として生まれ、主様の元へ必ず帰ると、私達に約束して下さいました。拙く、柔な契りですが、こうして咲耶様に巡り逢わせていただきました。本当に有難うございます」

「身に覚えのない事で、お礼を言われるのは、気まずいな」




自分で質問しておいて何だけど、少し疲れてしまった。天井を仰ぎながら、はぁー…なんて深く息を吐いた時……





___シャン……シャン……シャン……






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