夏空とクローバー
桜飴彩葉。
夏空とクローバー1話
いつも通りの朝が来た。勢いよくカーテンを開けると、夏特有の眩しい太陽が、まるで彼女の白い肌を焼かんとするばかりに照りつけた。あまりの眩しさに一瞬怯んだ彼女だっだが、それもいつものこと。すぐに何事もなかったかのように身支度を始める。お気に入りのワンピースに着替え、夕飯の残りを乱雑に盛り付け口にする。テレビをつければ、いつものニュース番組がやっていて、ちょうど今日の天気を伝えている。例に漏れず、今日も全国的に猛暑日になるようだ。外の様子と、画面に写されている数字とを見比べて、彼女は深いため息をついた。浮かない気分のまま適当に洗い物を済ませ、それから洗面所で顔の手入れなど諸々を済ませる。もう何十回、何百回と繰り返してきたモーニングルーティーン。つまらないなと思った。
ソファに深く腰掛け、いつものようにSNSをチェックしていると、ふと玄関チャイムの音が耳に届いた。もうそんな時間か。そばに置いていた鞄を雑に掴み取り、慌てて玄関へ向かう。扉を開ければ、そこには見知った顔がある。
「千癒、おはよう」
彼は爽やかな笑みを浮かべ、背の低い彼女を見つめている。
「おはよう」
適当に返事をしながら、彼女、千癒は、家の鍵を取り出そうと鞄を漁る。
彼、翔太は、彼女の幼馴染で、もうかれこれ15年の付き合いである。
家が近所で親同士の仲がとても良かったことから、2人は幼い頃からよく一緒に遊んでいた。同じ近所の小学校に入学し、それから中学、高校と、なんだかんだずっと一緒に過ごした。当然趣味や嗜好の違いで話が合わなくなったり、思春期特有の気まずさが生まれたりもしていたが、それでも校内で様々な噂が立つほどには仲が良かった。それは大学に入ってからも変わらない。学部は違うが同じ大学に通っているということで、面倒見の良い彼は、こうやって毎日彼女の家まで来て、一緒に大学まで向かうのだった。
「いこっか!」
千癒は扉に鍵をかけ、翔太の方に向き直る。焦茶色のセットされた髪の中、数本ばかり重力に逆らって浮いているのが気になって仕方ないが、それもいつものことだ。
「今日マジで暑いな」
額から流れる汗を指で拭いながら、翔太はつぶやいた。
そんな彼の動きで、千癒は自身の体をじっとりとしたものが伝う感覚を思い出す。何気なく空を見上げれば、雲一つない青い世界が広がっていた。この光景自体特に悪い気はしないが、時々吹き付ける熱風と、いやでも耳に入ってくる蝉たちの大合唱が彼女を不快にさせた。
「暑い、アイス食べたい」
千癒は、人差し指で彼の背中を突きながらいたずらに笑った。
翔太は一度立ち止まり、腕時計で現在時刻を確認すると、そっと千癒の手を引いた。
「寄り道すっか。俺もくいてぇ」
そう言った彼の視線の先にはコンビニがある。千癒は軽く頷いて、エアコンの効いた空間を求め、足を早める。なんだか少し頬が熱くなったような気がするが、それもきっとこの気温のせいなのだろうと思うことにした。
店に入れば、冷えた空気が全身を包み込み、溜まっていた熱を一気に浄化してくれる。この瞬間が堪らなく好きだ。
「どのアイスにするんだ?」
心地よさに浸っている千癒をよそに、翔太はさっさとアイス売り場に歩いて行ってしまう。慌てて跡を追いかけ、大きな背中越しにアイス売り場を覗き込む。
「俺これにするわ!」
どれにしようかと、よくある見慣れたものや季節限定のものを見比べていると、横にいた彼は一つのアイスを手に取ってみせた。それは、年中どこにでも売っているクーリッシュだ。
「え、それ? 他にも色々あるのに?」
千癒は疑問をそのまま口にする。
「だってすぐ溶けちゃいそうだし、食べやすい方がいいかなって……」
不思議そうに、手に持つアイスを眺める千癒に対し、翔太は少し笑って答える。
「じゃあ私も!」
納得したように何度か頷き、千癒も彼と同じクーリッシュを手に取る。
「よし、じゃあ会計してくる」
そう言って翔太は、彼女の手からアイスを奪い取ると、あたかも当然のようにレジへ向かった。千癒はひとつ息をつくと、先に出口付近に移動して、彼が戻ってくるのを待つ。外に出てもいいかとも思ったが、その選択肢は、暑がりの彼女の脳内からは一瞬にして消え去っていた。
これもよくあることだ。一緒にちょっとした買い物をするたび、彼はしれっと奢ってくれる。流石に毎回は申し訳ないと思って、自分の分くらい払わせてほしいと伝えたこともあるが、「別にいいよ」と軽く流されてしまった。それでもずっと奢ってもらうのはやっぱり気がひけるので、「たまには私にも奢られてほしい」と言ったら、彼は笑ってOKしてくれた。それ以来、互いになんとなく奢ったり奢られたりしている。
旗から見たら仲のいいカレカノに見えるのかなと彼女はふと思った。実際にはただの幼馴染というだけで、付き合ってなんかいないのだが……
「お待たせ!」
翔太が小さなビニール袋をぶらぶらさせながら近づいてくる。それを見て、先に店外へ出た千癒は、生ぬるい空気に包まれ、ジリジリと体を焼かれるような嫌な感覚を覚えた。
「あっちで食べよっか!」
千癒は、向かい側にある自然公園のベンチを指差した。
「そうだな!」
手にしたアイスで体を冷やしながら、翔太は彼女の指差す方へ歩き出す。
公園では幼稚園児だろうか、小さな子供たちが賑やかに遊んでいる。
年季の入った木製のベンチに2人で腰掛け、ほっと一息つく。クーリッシュのキャップを外せば、その小さな穴から冷たい空気が流れ出る。
「おいしいね!」
千癒は小さく笑って見せる。
「だな!」
翔太も嬉しそうに頷いた。
その後は、わずかに沈黙の時が流れる。しかし両者共にそれを気にすることはなく、むしろ心地よいとさえ思っていた。
「ねえねえゆうくん! みてみてこれ!」
2人の目の前でボール遊びをしていた女の子が、地面を指差して叫んだ。
「なに〜?」
そばにいた男の子が彼女のところまで駆け寄ってくる。
「これこれ、見て!」
「どれ?」
「これだって〜」
「んー、わかんない」
「だーかーらー」
女の子はその場にしゃがみ、足元の草をちぎって掲げてみせた。
「クローバー、葉っぱ四つあるやつ!」
「おお!!」
得意げな様子の女の子に、男の子はぱちぱちと、懸命に拍手を送っている。
「はい、これゆうくんにあげるね!」
女の子は手にした立派な四葉を徐に差し出した。
「え、いいの? やったー!」
男の子は嬉しそうにそれを受け取る。
「葉っぱ四つのやつ見つけたら幸せがやってくるんだって、ママが言ってたの!」
「そうなの?
「りっちゃんね、ゆうくんに幸せになってほしいから、だからあげる!」
「あ!!」
男の子は大きな声をあげ、足元に手を伸ばす。そして、手に持ったそれを空高く掲げた。彼の小さな手には四葉のクローバーがしっかりと握られている。
「こっちにもあったぁ! これ、りっちゃんにあげる!」
「やったー! ありがとう!」
微笑ましい子供たちのやりとりだ。千癒は自然と口角が釣り上がる。まるで幼い頃の自分達をみているような、そんな感じがした。
ふと、隣に座る彼に視線を移す。目があった。きっと彼も同じようなことを考えていたのだろう。
「いつも通りって、なんかいいよな」
翔太はボソッとつぶやいた。
「どういうこと?」
「いやさ、この頃はなんでもない1日を全力で楽しんでたなって」
「ああね、確かに。まあ、今となってはどうやらって感じだけど」
「俺は別に、今の感じも悪くないと思うけどな」
翔太は大きく伸びをする。
「そう? なんか退屈だなぁって思っちゃうけど」
千癒は殻になったクーリッシュのパックをカバンにしまいながらつぶやいた。
「そうか…… それじゃあさ」
翔太は千癒の手を取った。そして、正面を向いたままなんでもないかのように告げる。
「俺と付き合ってよ」
「えっ!」
突然な告白に千癒は困惑する。同時に胸の鼓動が速くなるのを感じた。
正直にいうととても嬉しい。だが、なんと返事をしたらいいかわからない。いきなりすぎて、全く心の準備ができていなかった……
「なんてな、速くしねえと遅刻すんぞ!」
困惑の表情を浮かべ、赤面している千癒を見て、翔太は悪戯っぽく笑うと、そのまま強引に手を引いて早足に歩き始めた。
「もう、なんなの?」
千癒は不満げに呟きながらも、彼の跡について歩いた。ホッとしたような、ちょっと残念なような、複雑な気分だ。
いつも通りも悪くない、確かにそうかもしれないと思った。代わり映えはしないし、退屈だけど、いつでも彼が近くにいて、時にはこうやって脅かしてくれる。そんな日々が続くなら、別に悪くないなと思った。
でも、いつかはやっぱり……
「はあ、ついたついた」
そういって、翔太はこちらを振り返って笑う。千癒には、その姿が、四葉のクローバーを手にして笑う、幼い彼と重なって見える。
「もう少しこのままでもいいかもな」
その彼がなんとなくそんなことを呟いたのが聞こえた気がした。
夏空とクローバー 桜飴彩葉。 @ameiro_color
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