04.体の一部を重ねてみるとか
「距離を近づければいいんだな?」
言うなり、グレアムがぴったり横に寄り添ってくる。ご丁寧に手までつないできた。
自分の手に触れてきたやわらかい指先に、ドキンと心臓がひとつ跳ねる。
――ええっ!?
心臓が容赦なくドッドッと大きく脈打つ。なんだこれ。なんの反応なの。驚いてグレアムに目をやる。
「……戻らないぞ!」
グレアムは手をつないだまま、エレンに叫んだ。怒りに染まり、目じりを釣りあげて頬を紅潮させているフェイ・リベリスの姿がそこにある。つるりとした肌にはしみひとつなく、ふっくらした頬のラインがかわいらしい。琥珀色の瞳はまっすぐエレンを見つめていて、惜しいな、と思った。その瞳に映るのは自分だけでいいのに……って、はっ。
――ななななな何考えてるの、私!?
目の前にいるのは自分だ。自分の体だ。見慣れた自分の体に対して「かわいい」はないだろう「かわいい」は。いや、かわいいとは思う。かわいくあろうと努力はしている。でも、今のかわいいは確認のかわいいではなく感銘のかわいいだった。自分に感銘を受けるわけがないし、それに、その瞳に映るのは自分だけでいいって……それこそなんなんだ、である……。
「まだ距離があるんだよ。もっと距離を近づけないと」
言われた途端、グレアムがフェイに抱き着いてきた。
ドッキーン!
心臓がまた悲鳴をあげる。
グレアムの顔がちょうど自分の胸元に来る。これじゃ心臓の音が聞こえてしまう。ふわふわの髪の毛が首筋をくすぐる。いいにおいがする……。
「戻らないじゃないか!」
グレアムに抱き着かれて硬直しているフェイをよそに、抱き着いた姿勢のままグレアムがエレンに顔を向けて非難する。
「もっと近くに、だよ」
「もっと、って、もう限界だろうが」
「いや、もう一段階上の接触があるだろ」
「もう一段階って、なん……。……あ……」
聞き返そうとしてエレンの言わんとしていることに気が付いたらしいグレアムが、困惑した表情を浮かべつつフェイから離れていった。ちょっと寂しい。困った顔もかわいい……いや、なぜすぐに「かわいい」なんて思ってしまうのだろう。相手は自分だぞ!
――お、おかしい……これってどういうことなの?
ふと、さっきグレアムから剣を渡された時のことを思い出した。どうすればいいんだろうと思う前に慣れた仕草で剣を鞘にしまった。意識こそフェイだが、この体はグレアムのもの。ということは、もしかして、グレアムは自分のことを常日頃からかわいいと思って……?
――ええー、それはないわあ。
普段から仏頂面で「仕事が遅い」だの「やることが雑」だの怒られている。そのたびに、「そんなことはないです!」「同僚と同レベルくらいにはやってます!」と言い返しているフェイを、グレアムがやかましいと思いこそすれかわいいと思うわけがないのだ。
上司と部下以上の関係ではない。多少の雑談はするが、プライベートで関わったことは一度もない。
となると、これは単に男性の目には女性はこんなふうにきらきらして見えるものなのかもしれない。性差、というやつだ。
「そ、そんなことできるわけが……」
ボボボ、とグレアムの顔が赤くなる。赤くなった顔もかわいい……じゃなくて。
「一段階上の接触って?」
グレアムは気付いたようだが、フェイにはわからない。わからないからエレンにたずねると、
「まあ、端的に言うとキスだね」
「キ、キス!?」
返答に思わず大声を上げてしまう。
「体の一部を重ねてみたら、元に戻るかもしれない。さっきも言っただろう、肉体と魂は強く結びついている」
「そ、そういうこと……」
そういうことではあるが、キス。なるほど。ちらりとグレアムを見たら、動揺しまくった顔でフェイを見上げてきた。ちょっとだけ瞳が潤んで、かわいい。いやもう何回かわいいと思ったら気が済むの、この体!
この反応が性差だとして、男性というのは何とも思っていなくても、いちいち目の前の異性にこんなに心を乱されるものなのだろうか。だとしたら、大変すぎる。
――時々痴漢の話を聞くけど、そういうことなのかしら。
だが世の中のほとんどの男性は痴漢行為なんてしない。みんな鋼の精神力の持ち主だ。ちょっと世の中の見方が変わりそう。
じっとグレアムが見つめる。
薄く開いた唇に目が釘付けになる。キスしてみたい……。
いやいや、そうじゃなくて。いや、キスしなきゃいけないんだけど、そうじゃなくて!
――あーっ、もうどうなってるの、男って!
これが煩悩か。煩悩というやつか!
フェイはすでに自分の意志とは無関係に暴走する「かわいい」に消耗し始めていた。なんとかならんものか。
とにもかくにも、元に戻らなければ、トイレに行けない。
「そういうことなら、試してみる価値はありますよねっ。副団長、失礼しますっ」
「えっ?」
フェイは半ばヤケクソになって断りを入れると、グレアムのあごを持ち上げ、顔を寄せた。
生まれてこの二十年、異性と唇同士のキスなんてしたことはない。
――でもこうしなければ元に戻れないというのだから、やってやろうじゃないの。
唇が重なる。
やわらかい感触と人肌のぬくもりに、心の奥が震える。
ぐいっ、と、何かに引っ張られる感覚があった。エレンの言ったことは正しかったようだ。体の一部を重ねたことで、魂が本来の居場所に気が付いた。そんな感じがする。
強い眩暈に襲われる。世界がぐるぐるまわってどこか遠い場所に放り出されたような。
頭がくらくらする。
どれくらいたっただろう。
はっと気が付くと、フェイはグレアムに抱き込まれるようにして彼からの口付けを受けていた。
慌ててドンと厚い胸板を押してその腕から逃れ、距離を取る。
もしかしなくてもこれが初めてのキスだった。大事にとっていたわけではないが、まさかこんな事故で失うことになるなんて。いや、事故だからノーカンだけどね! ノーカンだけど、やっぱりなんだか悔しい。
「副団長、私たち、元に戻れたみたいです!」
フェイは口を拭うと、目の前にいるグレアムを見上げた。
「あ、ああ。そうだな……そうみたいだ」
目をぱちぱちさせながらグレアムも頷く。
「ということで、私たちは帰ります。そしてもう二度とお手伝いなんてしない! こんなおそろしい事故に遭うかもしれないことに、魔力なしの私をつき合わせるほうが問題なのよ。人事院には魔力があって魔力耐性も高い人を探してもらってください。副団長、行きますよ……っ」
だが数歩も行かないうちに再び強烈な眩暈に襲われ、フェイはその場に崩れ落ちた。視界が真っ暗になる。
どれくらいの時間がたったのだろう。たぶん、まばたき数回ほどの時間でしかない。気が付くと、目の前に、床に座り込んで項垂れている自分が見える。
「……」
座り込んでいた自分が振り向き、フェイを見上げてくる。泣きそうな顔になっているのは、自分の名残りだろうか。それとも、グレアムの……?
「嘘でしょ……」
フェイは、グレアムの声で呻いた。
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