05.厄介な事故の後遺症

「お待たせしました」


 実験棟一階のトイレを出たところで、フェイはフェイの姿でグレアムに礼を述べた。


「ああ。それじゃ、行くか」

「はい」


 二人で連れ立って向かうのは、広大な王宮の一角にある王国騎士団の建物だ。魔術研究所も同じ敷地内にあるが、結界の意味も含めた森の中にあるので、けっこうな距離がある。王宮はとても広いのだ。


「歩いて来たんだよな?」

「そうですね。副団長は」

「俺は馬を使った。馬に乗ったことは?」

「散歩で小人馬になら乗ったことあります。ええと、サマーキャンプで」

「その程度か」


 グレアムが何か言いかけ、口をつぐむ。同時にフェイを強い眩暈が襲った。気持ちが悪くなって、体が遠くに引っ張られるような感覚。視界が暗くなる。ああ、やっぱり……と思っているうちに、視界がはっきりしてくる。

 見ると、すぐ隣に見慣れた茶色い髪の毛。

 グレアムも入れ替わりに気が付いたのだろう、フェイを見上げてきて肩をすくめた。


「なら、俺が馬を操ろう」


 そう言ってフェイの前を颯爽と歩いていく。

 見た目はフェイだが、中身がグレアムだと知っているからか、ちゃんとグレアムに見えてくるのが不思議だ。


 馬をつないでいる場所まで行くと、グレアムが手慣れた様子で縄をほどく。馬が不思議そうにフェイとグレアムを交互に見つめる。動物は鋭いというから、何か勘づいたのかもしれないと思いつつ、グレアムに促されて馬に近づく。

 大きい。小人馬とは比較にならない。


「二人で乗る場合は、最初に俺、いや、この体を乗せたほうがいい。そのあとでそっちが乗る。できそうか?」


 ごくり、と喉を鳴らしたフェイに不安を覚えたのか、グレアムが聞いてくる。


「……やってみます」

「不安なら入れ替わるか?」

「……お願いします」


 グレアムが少し顔を上げて目を閉じる。そうしたちょっと仕草にこの体の心臓はすぐにドキドキと反応してしまう。フェイはもうこれがグレアム特有の反応ではなく、男性ならではの反応であり、おそらくグレアム本人は無視できる類の反応だろうと思い始めていた。


 なぜならグレアム自身はいつもクールで、フェイはもちろんのことどんな女性を相手にしても態度は一貫している。どぎまぎしているところなんて見たことがない。

 男性の体に慣れていない自分だから、いちいちどぎまぎしてしまうのだと思う。

 だから、このキスも、ドキドキする必要なんてない。これは、生活していく上で必要な動作。そう言い聞かせて少しだけ腰をかがめ、グレアムの唇に自分の唇を重ねる。


 不意にグレアムが少しだけ口を開いてきた。

 誘われるように、フェイも口を薄く開けて唇の内側が触れ合うように口づける。

 引っ張られる。もうおなじみになってきた感覚ののち、目を開けるとすぐ目の前にグレアムのたくましい体があるのが見てとれた。


 グレアムが体を離し、「ほら、急いで」と馬へと促す。フェイの脚をあぶみにかけさせ、よろける体を支えてくれる。なんとか脚を開いて馬の背に乗ったところで、グレアムがふわりとその後ろに乗り手綱をつかむ。


「落ちないように鞍につかまっていろ。入れ替わりが終わったら行くぞ」

「は、はい」


 グレアムは冷静で指示も的確だ。グレアムの体に入る時にフェイが感じているどぎまぎは、グレアム本人がグレアムの体に入る時は感じていない気がする。

 これは逆に、グレアム自身もフェイの体に入った時に、フェイの女性ならではの反応を感じていたりするのだろうか。……女性ならではの反応、ってなんだろう? そんなものがあったっけ?

 そんなことを考えているうちに再び眩暈が襲ってきて、体が入れ替わってしまった。


「手綱をよこせ」


 グレアムが頭を振って眩暈の残滓を追いやり、フェイが手にしている手綱に手を伸ばす。


「いえ、大丈夫です」

「小人馬しか乗ったことがないんだろう」

「先ほど、剣を受け取った時にも感じたのですが、体が覚えていることは私がやったことなくてもできるみたいです。馬の乗り方は、体が覚えているみたい。行けます」

「……」


 グレアムがわずかに振り返り、半信半疑のまなざしを送ってくる。


「もしだめなら途中で交代しましょう。副団長こそ、私の体は馬に乗り慣れていないから落ちないように気を付けてくださいね」


 フェイは余裕の笑みを浮かべると、手綱を握り馬の体に蹴りを入れた。

 馬がフェイの指示通りに歩き出す。一瞬、目の前のグレアムの体が傾いたため自分の体で支えてやったら、「あ、ありがとう」と慌てたような小声が聞こえてきた。


 その様子にフェイはおかしくなった。自分が、あのグレアムの調子を狂わせている。めったにできない体験だ。それに、グレアムに対してちょっといいところを見せてやることもできた……って、何考えてるの、本当に!


 ――副団長にいいところを見せて、私になんの得が……。


 それにしてもこの思考をかき乱す妙な反応、本当になんとかならんものか。


「エレンに事故の報告を入れさせた。その場に俺たちがいたこともあわせて報告させているから、今日と明日はエレンの事故の影響で体調を悪くしたという理由で二人とも休みを取る」


 そんなフェイの心中など知る由もないグレアムが、前を向いたまま言う。




 実はあのあと、「やっぱり元に戻らないじゃないか!」とグレアムはエレンに食ってかかったのだ。そしてフェイはというと、一瞬しか元に戻れなかった事実がショックすぎてほろほろと泣いてしまい……大の男の涙にさすがにエレンも慌てたようで、


『わかった! 明日! 明日中にその定着をほどく反作用薬を作るよ! そうすれば十日を待たずして元に戻れるから、だから泣かないで~~~~』


 そう、男泣きをするフェイに手を合わせてきたのだ。


『明日だな? 絶対に明日までにその薬はできるんだな?』


 泣き出したフェイを見て、グレアムが不機嫌さを隠そうともせずに聞く。


『約束する。必ずだ。それまでは、そのキスでの入れ替わりでしのいでくれるかな。申し訳ないけど……』

『これはおまえの不始末なのに、どうして俺たちばかりが迷惑を被らなければならないんだ? なんだか割に合わないな』


 グレアムが腕組みをしてうーん、と考える。


『もうリベリスは貸さない。おまえの助手はおまえ自身で探せ』

『えっ……困る……』

『リベリスは魔法耐性こそ高いが一般人だぞ。そこはわきまえて、おまえが安全面に配慮してくれていると思ったから手伝いに行かせたのに。これは決定だ。この事故に関してはきちんと報告を上げろ、俺たちが巻き込まれたことも含めてな』

『えっ……外部者に被害を出したことがバレたら僕には相当なペナルティが』

『そこは甘んじて食らっとけ!』




 ……というやりとりがあったのである。


「二人一緒に休んでいると知れたら、変な噂が広まったりしませんかね」


 ふと疑問を口にしてみると、


「するわけないだろう。リベリスがエレンを手伝いに行ったのは周知の事実、午後には戻るはずが戻ってこないから俺が様子を見に行ったのも周知の事実、そこで二人そろって事故に遭遇したのも、事実」


 グレアムがきっぱりと言い切る。


「そう、ですね」

「俺たちが一緒に休みを取ったからって、それぞれ自分の家でおとなしく寝ていると思うだろうよ。……変な噂が立つと困る相手でもいるのか?」

「……え?」


 少し低い声で追加された質問の意図がわからず、聞き返したら、


「いや、なんでもない。聞かなかったことにしてくれ」


 グレアムが前を向いたまま頭を振った。


 なんのことかわからないまま、フェイは手綱を操って騎士団の建物に向かった。

 大きな馬に乗るのは初めてだが、この体は当たり前のように馬を駆る。わかるのだ、どうすればいいのか、わかってしまう。

 体に染み込んでいるからだろう。


 ――私にも何かあるんだろうけど、どんなものがあったかしら……。




 事務所について馬を厩舎に預け、二人そろって事務所に行き、ここでは入れ替わらないで休みの申請書を書く。


「二人とも元気そうだが?」


 それを団長のもとに持っていくと、二人がエレンのもとで事故に遭ったという報告を受けて事務所に戻ってきていた団長が首をひねる。


「元気そうに見えますが、決して無事ではないのです、団長。魔法の副作用は、思いがけないところに出てきますから」


 おそらく副団長のほうに質問したつもりだったのだろうが、すらすらと答える事務官に、団長が少し驚いたような顔になる。一方の副団長は事務官が答えるので一言も発さずに済んでいる。


「まあ、確かに。失敗した魔法の副作用というのはたいてい思いがけないものだ。休みは現時刻から明日一日でいいんだな? シルベスター卿の魔法なら、そんなにすぐに解決するようなものではないだろう? もう少し休んでもいいんだぞ。二人とも有給がたまっているし」

「ご心配には及びません。明日のうちに解決できるとエレンから言質を取りました。国家魔術師にとっての『約束』は呪縛ですから」

「……そうだな。わかったよ。なるほどね、ずいぶん厄介な事故の後遺症だね」


 副団長に代わりはきはきと答える事務官を見つめ、年かさの団長がクックッと喉の奥で笑う。


「じゃあ、幸運を祈るよ。ハンスティーン副団長、リベリス事務官。よい有給を」


 団長にそう言われて部屋をあとにする。


「今の、どういう意味でしょうね」

「知らん」


 団長室の外でこっそりグレアムに聞いてみたが、グレアムは関心がないようだった。バッサリそう言い捨てると、さっきと同じように足早にフェイの前を歩いていく。

 自信に満ちたその後姿がグレアムに重なるのと同時に、私もこんなふうに歩いてみたいな、とちょっと思ったフェイである。

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