02.実験、失敗!


「エレン!」


 ばーん、とノックもなしに実験室のドアが開き、野太い声が響いた。


「うわっ」


 エレンが叫び、かしゃーんと何かが落ちる音が聞こえた。


「エレン・シルベスター! おまえ、いつまでうちの事務官を使うつもりなんだ!」


 スイッチをつまんだまま振り返ると、熊、もとい、直属の上司であるグレアムがずんずんとこちらに近づいてくるのが見えた。

 グレアム・ハンスティーン。エレンと同じ二十六歳。ハンスティーン伯爵の次男でフェイも所属する第三騎士団の副団長である。


 背が高くガタイもよく、黒い癖毛のある髪の毛を後ろになでつけて、男らしい顔をあらわにしている。青い双眸に宿る眼光は鋭く、常に仏頂面。フェイと同じ黒い騎士団の制服をまとっているため、威圧感が半端ない。


 副団長に抜擢されたのは二年前、二十四歳の時。誰よりも強い魔力と訓練で身に着けた剣技の鮮やかさで頭角を現し、あっという間に副団長にまで上り詰めた。

 ちなみに、エレンの実験で発生する魔力に関して、グレアムはある程度までは耐えられるとのこと。


「だーって、僕の実験室に長居できる人間があんまりいないからさあ」


 へらへらとエレンが笑う。


「だーって、じゃない! リベリスは騎士団の事務官だぞ!」


 グレアムはフェイを苗字のリベリスと呼ぶ。


「なになに、フェイちゃんは俺のもの? やだあこの男、独占欲丸出し! だがそこがいい!」


 くねくねと絶世の美貌を持つ希代の魔術師がしなを作る。

 不意に実験装置の中の光がいきなり明るくなった気がして、フェイは視線を戻した。

 見れば、実験装置の中の魔法の光は、赤、緑、紫、ピンクなど、さまざまな色に変化しながら次第に大きくなっている。

 ぎょっとなったフェイは急いで手元の操作盤に目をやった。圧力がだんだん上がっている。


 さっきの何かが落ちるような音は、もしかしてエレンが実験をミスった音だったのでは……と思っているうちに、ピシ、とフェイの目の前ガラスに、ヒビが入った。

 慌てて圧力スイッチを操作するが、なんの手応えもない。

 圧力の数字は下がらない……どころか、どんどん上がっている。


「……あの」

「おまえ、頭だけじゃなくて耳もおかしかったんだな」


 だがフェイの声はグレアムの低くてよく通る声にかき消された。


「僕、ずーっと人事院にフェイちゃんよこせって訴えてるんだけど、第三騎士団が断固拒絶するから無理ですって言われるんだよねぇ~。んでさあ、この前、団長に直談判したわけ」


 ピシピシ。ヒビが拡大する。


「……は?」

「そうしたら『そんな話は人事院から来ていないけどなあ』って言われたー。誰だろうね、人事院からの連絡を団長の手前で握りつぶしてるヤツは」


 ピシピシピシ……。


「……団長がいないタイミングで人事院から連絡をよこすのは誰だよ。団長不在の時は俺が団長代理で決裁するんだし、団長がいない時に事務官よこせと言われても『はい、どうぞ』と言えるわけがないだろうが」

「僕からの正式な要請を団長まで上げない時点で大問題でしょ、団長不在なんて言い訳は通用しないよ。つまりそれだけ~、フェイちゃんのことがー」

「誰であってもだ! こっちだってカツカツの人数で回してるんだよ!」


 ピシピシピシピシ……。

 拡大していくヒビにフェイは目を剥いた。


「あ、あの! とてもまずい気がします!」

「まずい?」


 フェイが叫び、背後にいるグレアムが聞き返した時だった。



 パァァァン!



 派手な破裂音とともに強烈な光があたり一面に広がり、視界が真っ白になる。とっさに両腕で目を庇ったフェイを、後ろにいたグレアムが抱き込んで床に倒れこむ。


 頭がぐらぐらして、気持ち悪さがこみ上げる。呼吸のたびに体の内側がカッと熱くなる。目を開けてみたが、白くかすんで何も見えない。

 この気持ち悪さは、爆発した装置から漏れた魔法を多少なりとも吸い込んでしまったせいだと思う。でなければ呼吸のたびに体が熱くなるわけがない。目がかすむのもきっとそのせいだ。


 魔力に鈍感な自分がこれだけ気持ち悪いのなら、グレアムはどうだろうか。……やらかした国家魔術師のことは、頭になかった。


「ふ、副団長……!」


 視界は戻らないが気持ち悪さが少しひいたところでフェイがそう、声を出した時だった。

 あり得ないほど低い声に、ぎょっとなる。


 ――今の、何!?


 とっさに喉に手をやり、ヒッと声が出そうになった。


 太い。

 喉が太い。

 何か……喉の真ん中に……突出物が……なにこれ……


「……ううん……」


 すぐ近くで呻き声が聞こえる。高くて軽やかな声。


「……なんだ……?」


 高い声の主も違和感に気付いたようだ。

 急速に気持ち悪さが消えていき、視界も戻る。


「……」

「……」


 なぜか、床に倒れこんでいる自分の腕の中に、自分がいる。癖の入った栗色の髪の毛、見慣れた顔、騎士と同じデザインの制服。毎日鏡の中で見ている姿だ、見間違えるわけがない。



 あ…ありのまま、今起こった事を話すぜ!


「目が覚めたら自分の腕の中に自分がいた」


 な…何を言っているのかわからねーと思うが…

 自分でも、何が起きているのか、さっぱりわからなかった…



 腕の中の自分が自分に気付き、顔を上げる。目が合う。うん、自分だ。


「……なんだと……?」


 その自分が不愉快そうに眉を寄せ、低い声で(といってもそれなりに高い声で)呟く。

 なんだかその表情と仕草に強烈に覚えがある。


「……副団長……ですか……?」

「……まさか……リベリスか……?」


 自分の姿をしたグレアムが呆然となる。自分の姿をしたグレアムの大きな琥珀色の瞳に、自分が映る。……グレアムの姿をしていた。


「え……?」


 これは、どういう。


「ええ――――!?」


 叫んでフェイの姿をしたグレアムを突き飛ばし、フェイは自分を見下ろしてみた。

 広い胸板、大きな手。

 まさか、そんな。

 頭に手をやる。

 短い髪の毛。


「そんなぁ」


 続いて顔を触る。全体的にざらざらしていて……口のまわりは特に……これはひげだ。


「そんなあああああ」


 若干保湿不足を感じる肌に、ひげの剃り跡!

 フェイは自分の頬に手を当てたかっこうで、絶叫した。喉から出てくるのは野太い男性の声。


「どういうことだ、エレン」


 突き飛ばしたフェイの姿をしたグレアムが、しばらく腕を動かしたり髪の毛を触ったりしたあと、女の子らしくもなく床の上で片膝を立てた姿で、装置の向こう側からムクリと起き上がったエレンを睨んだ。


「いやあ~、ごめんごめん。でも繊細な実験中に乗り込んでくるグレアムが悪い……ん……んん……?」


 己の両手で顔を挟んで絶叫する第三騎士団の副団長と、床に片膝を立てた姿で睨みつけてくる騎士団所属の事務官を交互に見つめ、エレンが指先でクイッと丸眼鏡を直す。


「……どういうことだい?」

「それはこっちのセリフだ!!」

「それはこっちのセリフよ!!」


 見事にハモった二人の騎士団員をエレンは無表情で見つめたあと、


「……なんだろう、特にグレアムの口調に違和感が強いね……」


 そう、ぽつりと答えた。

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