昔の僕と、今の君

スミンズ

昔の僕と、今の君

 僕は鏡に映るどっかの漫画のモブキャラのような顔を見つめる。うん、いつも通りだな。そんなことを思いながら歯磨き粉を吐き出す。口を濯ぐと適当に髪の毛を弄りリュックを背負い玄関を出た。シングルマザーの母親はもう既に出勤している。誰もいない一軒家に行ってきますと呟いた。


 地下鉄を乗り継ぎ、某高校へ辿り着いた。生徒数は約1000人。そうとは思えない小さく古い校舎の玄関は軽く渋滞していた。2年の同級生の数人が「おはよう」と言ってきた。おはようと返す。勿論その数人には女子は居ない。


 3階の2年6組の教室に入る。すると半分位はもう来ていた。僕は窓際最後列の机に腰を下ろすと、今読み続けているミステリ小説を開く。そして、没頭した。


 「櫻井大輝さくらい だいき!」突然大声が聴こえた。目線を本から上げると、目の前には担任が立っていた。


 「お前、ずっと点呼取ってるだろが。聴こえないのか?」


 「あ、すいません」僕は静かに本を閉じて机にしまった。熱中し過ぎはやはりいけないことだ。


 昼休み、ボカロファンの友達数人で、くだらない批評を展開したあと、残りの10分位は席に座ってぼーっとしていた。すると、近くの女子のグループの話が耳に入ってきた。


 「ねえ、昔いたあの子役の子知ってる?ほら、鈴木凰稀すずき おうき


 「ああ、知ってる知ってる。確か同い年位だったよね。えーと、ちょっとググって見る。そうそう、やっぱ同い年だよ。いやー今見てもホントに子役だと思えないくらいイケメンだよねえ」


 「ホント。その辺歩いてたらそのまま抱きしめたい」


 「ハハハ、キモーイ」


 そんな声が聴こえてきた。僕は机にうつ伏せになる。鈴木凰稀。それは昔僕が使ってた芸名だ。母が離婚するまで僕は鈴木だったので名字はそのままだが大輝をおおきと読み替えて作った、小学生の僕の考えた自信作。それが鈴木凰稀。ドラマやバラエティに引っ張りだこだった。だがそれは昔の話。僕は雲隠れしたように、普通という世界に身を降ろしたのだ。


 何故かって?それは言われなくても分かってる。顔面偏差値が、成長するに連れてどんどん下がっていったからに違いない。証拠に、この女子たちも鈴木凰稀がここにいるなんてこれっぽっちも思っていない。要するに中学校に入る直前、僕はあの世界から消え去ったのだ。



 明くる日、授業の前に担任が一人の少女を連れて入ってきた。その少女を見て僕は心臓が止まりそうになった。それは昔よく共演した子役、松江チカだった。


 「今日は転校生が来たので紹介する。このクラスのメンバーになるからな。仲良くやってくれ。自己紹介を頼む」


 「はい。私は松江チカです。昔子役をやっていました。もう5年前に芸能界引退して、今は普通の学生やってます」


 そう言うとクラス中はザワザワし始めた。そりゃそうだ。松江チカは、昔と変わらず美人だった。


 「ということだ。まあ、普通に接してやってくれ。松江は、ああ、鈴木の横の席だ」


 まさかよりによって自分の隣の席になるとは!僕はどうかバレないように祈りながら、席で真顔になっていた。


 そして横に松江が座った。すると、松江は僕を見ると「よろしくね、鈴木くん」と言ってきた。


 バレてない?のか微妙なラインの怪しげな笑顔を送ってきた。取り敢えず僕はうんと頷いた。


 美術に所属している僕は授業が終わると美術室へ直行した。まだ誰も来ていない。というか今日は1年生の部員5人は校外学習だった。それに3年生はもういなくなっているから、ああ、今日は僕一人じゃないか!


 そんなことを思いながら書きかけのキャンパスを棚から下ろしてイーゼルに乗せた。水を準備するため美術室の水道へ行こうとすると、開きっぱなしの美術室の外から声がした。


 「久し振り。凰稀」


 声の方を見た。するとそこには松江がいた。


 「やっぱり気がついていたんだ」


 「そりゃね。昔は学校の友達よりも一緒にいる時間が長い時あったしね」


 「まあそうだよな」僕は気を取り直して筆洗に水を入れた。そうしているうちに松江はキャンパスの近くに寄ってきた。


 「というか、なんで凰稀はこの学校にいるの?」


 「それはこっちのセリフだよ」


 「運命ってやつかな」


 「飛躍的だな」僕は少し笑った。なんだかんだ幼馴染みたいなものだから、話しやすかった。筆洗をキャンパスの横に置いた。


 「へえ。美術ってあんまわかんないけど、暖かい絵を描くんだね」


 「まあ、そんな絵を目指してるから」僕がそう言うと松江は少し間をおいてから喋り始める。


 「なんで凰稀は自分が鈴木凰稀だって隠してるの?」


 「ああ、隠してるのもお見通しか。そりゃだって、昔と今とで比較されるの嫌だし」


 「今の自分に自信がないの?」


 「まあ。少なくとも、人前に立てる容姿では無いよ」


 「そう?別に私は昔から凰稀の容姿なんてどうでも良かったけど」


 「軽く酷いな」


 「でも、一緒に演技をやったりして、単純に楽しかったんだよ。楽しかった」


 「楽しかった、か」


 子役を半ばクビ同然のように切られて以降、僕はガックリと楽しかった思い出を封印していた。だって、あれ以降、僕はあれだけ可愛がってくれた親からも冷たくあしらわれるようになってしまったから。僕はあの頃が楽しかったのも忘れていた。


 「楽しかったなあ」僕は呟いた。


 「それに、練習のときは私が話しけても全く反応しないくらい熱中していた。それがとても格好良くて、単純にさ、私凰稀が好きだった」


 「す、ええ!!」思わず動揺した。


 「自分で言うのはあれだけど、私が話しかけたらみんな練習も投げて寄ってきたから。ああみんなアホだなあなんて思ってたけど」


 「昔から思ってたけど松江って軽く腹黒いよな」


 「まあね。でもそんななかアホじゃなかったのが凰稀だった。いつもは私に喋ってくれたりしてたけど、練習のときは練習のその一点だけを見つめて走り続けていた。素直に凄いと思ってた」


 「けど、あんな頑張ったけど、結果はクビだったんだよ」


 「あの馬鹿マネージャーの見る目が無かったんだよ。今でも私の中で一番好きな俳優は鈴木凰稀なんだから」


 「好きな、俳優か」


 僕はそれを両親に言ってもらいたのかもしれない。けれど、両親はクビになったとき、ただ一言「やっぱり駄目だったね」と言っただけだった。僕は思わず涙を溢した。


 「ありがとう。松江」


 「馬鹿、いい加減昔のように呼んでよ」


 「ああ、ごめん。ありがとう、チカ」


 「いいって。凰稀になにがあったかは知らないけど、今は昔とは違うけど、また凰稀の世界が拡がっているんじゃない?」


 言われて、僕はキャンパスを見る。そうだ。僕は昔とは違うけど、また熱中できるものを見つけたのだ。これを無下に思うのはおかしい。


 「そうだね」僕はそう言うと笑った。


 「そうだよ。じゃ、そろそろ邪魔になるだろうからドロンするね」


 「昔からドロンするねっていってドロンしたことないな」


 「そういうことを言うんじゃない」チカはそう言うと軽く僕の頭を叩く。


 それから、彼女は美術室から出ていこうとした。廊下へ出る直前、チカは足を止めた。そして僕の方に振り返ると、ただ一言、こういった。


 「凰稀は、昔からなんにも変わってないよ」


 そう言って颯爽と消えていった。


 「何も変わっていない」


 僕はそう思ってなかったなあ。



 次の日の放課後。僕は美術室に集まった1年生5人に作業前に話があると集合させた。


 「ちょっとさ。実は隠し事を1つしてたんだ。けれど、美術のメンバーとして、そうだなあ。仲間としてって感じかなあ。ちゃんと僕のことを話そうと思うんだ」


 「もしかして僕は鈴木凰稀だってことですか?」1年生唯一の男子が言った。


 「え、気がついてたの!」


 すると女子の一人が「この5人はみんな知ってますよ」と言った。


 「え、じゃあなんで」


 「部長が言わないなら、知られたくないことなんじゃないかって思ってみんなで隠していたんです」


 すると1年生の5人はほのかに微笑んでいた。


 「ありがとう」僕は思いっきり笑顔を作った。

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