第5話

数日が経って、院での生活にも慣れ、あの虚無感の強い運動にも飽きてきた頃。

僕とイェンはリリヤンの講義を聴きに講堂を訪れた。

講堂と言っても、そこは他の部屋よりも広くて天井が高いだけの、何もない空間だった。

講義をぶるような壇上もなければ、メモを取る為の机が並んでいるわけでもない。

特別と言えるような要素は、やたら立派な絨毯が敷き詰められていることと、壁にびっしりと文字のようなものが刻まれていることくらいだろうか。

絨毯には前世の配信でもよく取り上げた所謂“フラワーオブライフ”のような幾何学模様が織り込まれており、その円の中心ではリリヤンが胡坐をかいて座っていた。


生徒にあたるヅァンたちは、そんなリリヤンの周りをぐるりと囲むように、思い思いの姿勢で座ったり寝そべったりしている。

なんとなく、講義というよりは説法という雰囲気だ。

アンバに連れられてきた僕たちを見止めたリリヤンがニマニマと愉快そうに笑って、周囲を見回す。


「今日は新入りがいるようだから、久々に建国記の話をしようか」


どうやら学年ごとに学習内容が分けられたりはしていないらしい。

リリヤンの思い付きで突然講義の内容が変更になっても、誰一人文句を言う様子もなく聞く姿勢になっている。

僕とイェンも周囲に倣って円の外側に腰を下ろした。


「昔々、世界の中心には、大いなる叡智の樹がありました――」


意外によく伸びるリリヤンの声が高い天井に反響し、深々と降り注いでくる。

語り慣れた者特有の心地よい抑揚は、僕も前世でよく“母さん”に言い聞かされて練習したものだ。


「叡智の樹“シア”は過去と未来を見通す全知の存在です。ある時、そんな偉大なシアの樹の枝に、ふたつの実が成りました。

ふたつの実はみるみる膨らみ、大地に落ちると、その中からヒトの姿をした一対の御使いが誕生したのです」


その後のリリヤンの話を要約するとこうだ。

二人の御使いはシアから叡智の欠片を受け継いでいたが、ヒトの形を取ってしまったことで空腹を覚え、砂漠を彷徨った。

そこで干したミルガを運んでいた貧しい荷運びが二人に二枚のミルガを与えた。

感謝した御使いは一日二枚のミルガのお礼として、荷運びに叡智を与えてその地の王とした。


一対のうち、賢き御使いは叡智の欠片を駆使して国を富ませたが、もう片方の愚かな御使いは王となった荷運びを誘惑し、王の妻の一人となる。

人としての欲求……“我”を持ちすぎた愚かな御使いの魂からは叡智が抜け落ちていき、ついには不義を犯して王から断罪を受ける。

愚かな御使いの魂は六つに引き裂かれ、そのうち一つしか肉体に残らなかった。

魂のほとんどを失なった御使いの肉体は美しいだけの抜け殻に成り果てる。これが最初の天衣アマニエである。


片割れを失ったことを嘆いた賢き御使いは、叡智の樹に願って天衣の肉体に魂を取り戻す転生の術を教えてもらう。

しかしヒトを象った天衣の肉体には神の領域たる甦りの術は収まりきらなかった。

代わりに賢き御使いの持っていた叡智の多くがシアに還ってしまう。

そうして賢き御使いもまた天衣となった。


叡智を失って国に繁栄を約束することが出来なくなった天衣に王は激怒する。

賢き御使いの天衣は残された転生の術を用いて王国に叡智を取り戻すことを約束し、老いたシアの樹の最後の予言を伝えた。

曰く、御使いの魂に六度の転生が成った時、新たなるシアによって真の全知がもたらされ、王国は千年の栄華を得るだろうと。

王はその言葉を信じ、一日二枚のミルガを与え続けると約束した。

その代わり、必ず六度の転生を成してこの地に千年王国をもたらすようにと天衣たちに誓わせたのだった。


と、まぁ、大体こんな感じだ。

神話紛いの建国記なんてどこもそんなものなのかもしれないが、かなり突っ込みどころが満載だった。

六つに分かれた愚かな御使いの魂は結局どうなったんだとか、六度転生すると完全版の叡智が手に入る設定はどこから出てきたんだとか。


というか、終始愚かな御使いが足を引っ張りすぎだ。それだけ足を引っ張られても愚かな御使いと縁を切れないあたり、賢き御使いも全然賢くない。

王もたかがパン二枚で要求が高すぎるし、全体的に登場人物にヘイトが溜まりすぎて精神衛生によろしくない。


「新入りの二人は、この話を聞いてどう思ったかな?」


突然水を向けられたイェンがオロオロしている。


「イェン、どうだい?なんでも良い。思ったことを言ってみてごらん」


僕に先に喋らせたら、イェンはその意見に右へ倣えしてしまうと踏んだのか、逃げ道を塞ぐようにリリヤンはイェンに微笑み掛けた。

イェンはリリヤンと僕を交互に見たのち、絞り出すようにして答えた。


「えっと……えっと……賢き御使いは、シゼルに似ていると思いました……」


思わぬところで自分の名前が出て、僕もイェンと一緒にリリヤンの反応を窺う。

リリヤンは相変わらず面白がるように笑っていた。


「ほう!それはどうしてかな?」

「それは……だって……愚かな御使いは、賢き御使いのお陰でずっとミルガを食べられて……それに、愚かな御使いが役に立たなくても、変わらず愛して守ってくれて……優しいと、賢いで、だから……です」


正直、地雷系彼女みたいな相方にどこまでも執着する御使いのどこが賢いんだと思って聞いていた僕としては、似ていると言われると複雑だ。


「フンフンフン!なるほどねぇ!シゼルはどうだい?どんな答えでも責めたりしないから、思ったまま話してごらん」


どんな答えでも責めないと前置きするあたり、僕がこの話に否定的な感想を述べることを期待しているのだろうか?

弟子との問答というのは前世でも色々な宗教の聖典に見られた。一度否定する意見を出させてそれを論破するというのは、洗脳の手段としてよく用いられる話術だと思う。

否定する材料なら山ほどあることだし、素直に乗っても良いのだけど……ひとつ心配なのは、それがヅァンとしてあり得る言動なのかどうかだ。

ここ数日院の中を観察してみて分かったのは、大抵のヅァンが皆素直で疑うことを知らないということ。

咎めないと言いつつ、ヅァンらしくない態度を不審に思われるかもしれない。

色々と考えた結果、浮かんだ疑問の中で最も"それっぽい"ものを選んでみた。


「叡智の木はなぜ二人の御使いを生み出したんだろうと不思議に思いました」

「ふむ?」

「シアは過去と未来を見通せるんですよね?愚かな御使いを一緒に送り出せば、賢き御使いまで不幸になることは分かっていたはずなのに、どうして二人を一対にしたんだろう、と」


リリヤンは顎に手を当てて、うーんと唸った。

期待外れの返しだったのだろうか。


「アンバ。シゼルの疑問に、君ならどう答える?」


僕たちを引率するように近くに座っていたアンバが迷いなく発言する。


「未来を見通せるからこそだと思います。今日我々に様々な容姿や考え方の者が存在するのは、我々の祖である二人の天衣が真逆の性質を持っていた為で、シアは種の広がりを望んで二人を解き放ったのでしょう」


僕はアンバの納得感のある答えにふんふんと頷いたが、リリヤンはくすりと苦く笑った。


「ン〜〜……良い答えだ!と言ってあげたいところだけど、それは過去に話したわたしの考えをそのまま諳んじただけだね?

いつかアンバ自身の答えが見つかるよう、考え続けなさい」

「はい!」

「シゼルもだ。他にも色々浮かんだのに、わたしが答え易い疑問を選んで口にしていないかい?相手の真意を汲み取ろうと先回りする慎重さは君の大事な“我”だけれど、その為に感情を殺してはいけないな」

「………はい」


結構グサっときた。

大いに自覚がある部分だけに、言い返す言葉もない。


「他に考えがある者はいるかな?」というリリヤンの振りで何人かが挙手し、その後の時間は各々の意見発表の場となった。

禅問答みたいなやり取りになるかと思ったが、リリヤンはただヅァンの皆に自分の意見を持たせたいように見えた。

けれど大体誰も同じような所感で、アンバが言った“様々な考え方”には程遠い気がした。

ひょっとするとあれは、リリヤンの理想の吐露でしかなかったのかもしれない。


(いや、現代日本人の感覚で計るべきじゃないよな。天衣の性質から言えば、こうして各々が考えを言葉に出来ていること自体がリリヤンのトルドとしての努力の賜物なんだろうし)


ひとしきり皆に喋らせたのち、それを肯定するでも否定するでもなく「そのまま考え続けるように」と言い渡して、リリヤンは講義の場を解散させた。

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