第4話
ヅァニマ院二日目。
手伝いを終えて朝の分のミルガを食べたのち、僕とイェンはアンバのすすめで中庭の運動に加わった。
運動というか、現代日本で言うところのリハビリメニュー……だろうか?
数人で一列に並んで、結んで輪にした紐を全員で持ち、電車ごっこ状態で中庭をぐるぐる回るという虚無感が凄まじい内容だった。
いや、四、五歳という年齢から考えるとそういう遊びに興じてもなんら不思議はないのだろうけど、ここの電車ごっこは誰一人笑っていない。
笑わないからといって嫌々やっているというわけでもなく、皆真面目に粛々と庭を周回している。
やれと言われれば疑うことを知らないという感じだ。
それにしても、この歳頃になるまで知育を放棄され言葉も覚束ないというわりには、それほど足腰が弱っている様子の者がいないのが不思議だ。
同室にはほとんど寝たきりで自ら寝返りをうつ気配もないヅアンもいるが、床擦れが辛そうな様子もない。やはり天衣の体が軽いからなのだろうか。
ちらと振り返ると、僕の後ろにぴったりとくっついて‟車掌さん”をしているイェンと目があった。
しばらく見つめていると、僕の真似をしなければいけないとでも思ったのか、薄桃色でふわふわとした髪を揺らしてイェンも後ろを振り返る。無論、最後尾であるイェンの背後には誰もいない。
どうも昨日のミルガの一件以来懐かれたというか、僕にくっついていればお腹いっぱいにしてくれると味をしめたというか。
朝からずっと僕を追いかけてきて、何かと真似をしようと観察してくる。
なんというか、動物っぽい。
休憩の時間に、僕は気になっていたことを確認してみることにした。
「ねぇイェン、ちょっと試したいことがあるんだけどいいかな?痛いことはしないから」
「?うん……?」
困惑しているイェンに断って、僕はイェンの腰あたりに腕を回して抱きつく形になった。
「うぇ!?」
「少し力を入れるよ」
言って、イェンの体を持ち上げようと腰を入れて力を込める。
幼い体に支障のない範囲で頑張ってみたが、イェンの体は少し踵が浮いた程度で全く持ち上がらなかった。
「うーん……駄目だ。全然上がらないや。イェンも僕を持ち上げようとしてみてくれる?」
「え、な、なんで……?」
「重さを比較したいんだ」
「???……よ、よく分からないけど……こう?」
イェンが先ほどの僕をそっくり真似て腰に抱きついてくる。
イェンが少し力を込めると、僕の体は簡単に持ち上がった。
「うわぁ、すごいねイェン!力持ちだ!」
「う、あ……え、えへへ……」
やっぱりだ。見た目ではほとんど体格の変わらない僕とイェンで明らかな質量の違いがある。
天衣である僕が軽いのか、純血の天衣ではないイェンが重いのか分からないけれど、何か別々の法則に従って存在しているようなちぐはぐさを感じる。
と、イェンに高い高いされたままだったことを思い出す。
イェンが何か言いたげにじっとこちらを見つめていた。
「ありがとイェン。もう下ろしていいよ」
「う、うん……」
「どうかした?」
「………ボクは、かわいい?」
「……ん?」
一瞬何を訊かれたのか理解できずに首を傾げると、イェンは頬を赤らめ目を潤ませながら付け加えてくれた。
「ち、力持ち、だと……役に立って……だから……かわいい……」
(ええっと………?)
僕がイェンに言った“かわいい”の意味を思い出してみる。
確か、“愛したくなる”、“愛して守るだけの価値を感じる”とか、そんなような説明をした気がする。
何か色々とズレて伝わってしまっている気がしないでもないけれど……イェンの質問の本質はおそらく、存在を肯定されたい、必要とされる存在であることを確認したいというところにあるのだろう。
僕はふむと頷いて眼下のイェンに微笑んだ。
「うん、かわいいよ」
「ほ、ほんと?じゃあ、もっとシゼルを持ち上げる……?」
「ううん。持ち上げるのはもういいよ。それに、イェンは力持ちだからかわいいんじゃないんだ」
「………?」
持ち上げてもこれ以上褒められないと察したのか、イェンの瞳が不安そうに揺れる。
少々酷な気もするけど、ここはきっぱりと線引きさせてもらう。
経験上、“これをすれば愛してもらえる”という思考パターンは沼なのだ。
別にイェンの為を思ってとかそんなんじゃない。
僕はもう、“これをすれば愛してもらえる”という沼にも、“愛してるから”の一言で何でも言いなりになる存在を手に入れる沼にも嵌まりたくない。
「力持ちはかわいくない……?」
「そうじゃないよ。力持ちなこともイェンのかわいさのひとつだと思う。だから大事にして欲しい。でも、力持ちじゃなくても、役に立つことをしてくれなくても、僕はイェンをかわいいと思ったよ」
「………」
不安の晴れない顔でしばらく地面を見つめていたイェンだったけど、戻ろうと声を掛けると素直に付いてきた。
僕の言いたいことが正確に伝わったとは思えないが、ひとまず良しとしておく。
僕だって別に、嫌われたいわけじゃないんだから。
午前の運動ののち同期の部屋に戻ると、オムツ用のボロ布を持ったアンバと鉢合わせた。
「ついでだから、オムツの巻き方を教えようか」と言われて、僕とイェンはおとなしくアンバの実演講座を拝聴する。
これは宮にいた時から薄々感じていたことだけれど、どうやら天衣は排泄の回数や量も僕の知る人間の身体よりはるかに少ないようだ。
寝たきりの子のオムツ交換は一日一度でいいと言われ、現代日本人の感覚を持つ僕としては閉口してしまう。
「こうして足を折ってお尻を上げさせると脱がせやすいよ。と言っても、君たちの背丈じゃまだ難しいだろうけれどね」
年長組の剪定式後には介助に慣れた者が足りなくなる時期があるのでとりあえず見て覚えておいてほしいと言われれば仕方ない。
するするとオムツを解いて、解かれた布で尻を拭うアンバの手元を真剣に見つめていた僕は、ふと違和感を感じて首を傾げた。
何故かオムツではなく僕の顔を見ていたらしいイェンが「どうしたの?」と訊いてくる。
「あの、アンバ。そこになにかついてませんか?」
「ん?どこ?」
「その……ふ、“フクロ”の……」
縫い目――、と指を指したところで、違和感の正体に気付く。
スルガの子供らしく小さな突起の下の膨らみ……いわゆる“袋”とか"玉”とか呼ばれるものがあるはずの位置に、予想した形状のものはなく。
代わりにあったのは、ふっくらとした丘をふたつに割る裂け目だった。
「ここ?特に汚れてるようには見えないけど……」
言って、アンバがなんの気なくそこを開いて見せてくる。僕は慌てて隣のイェンの目を塞いだ。
「わー!わー!わー!気のせい!気のせいでした!もういいです!」
「そう?……なんだか顔色が悪いよシゼル。大丈夫かい?」
「大丈夫!大丈夫ですから!はやくオムツを巻いてください!!」
不思議そうに眼を瞬かせつつも、アンバは手早く布を巻き付け、汚れた布を回収して去っていった。
よろよろと寝床に突っ伏した僕を、イェンが心配そうに見つめているのが気配で分かる。
分かるけれど、ちょっとそれどころじゃない。
布団代わりの布を頭から被って、自分のそこに触れてみた。同じだ。割れている。
どうして今まで気付かなかったのかと己を呪う反面、排泄の際にも自分では見えない角度だったのだと言い訳したい気持ちもあった。
(そうか……誰も彼も中性的だと思ってたけど、中性“的”だったわけじゃないんだ………)
そう。天衣は中性“的”なのではなくて、まさしく中性。
いわゆる両性具有というやつだったのだ。
転生の回数で階級のようなものがあると聞いた時にも、ヅアニマ院で前世の身体との小さな違いを見つけた際にも、ここまでのショックはなかった。
けれどなんというか、これは決定的だ。
今さらながら、ここが本当に別の世界なのだと思い知る。
いや、別にそれはいい。
前世の世界にだって両方の性の特徴を持つ人はいたし、世界のどこかにそういう遺伝形質が色濃い集落が存在していてもそう不思議なことだとは思わない。
けど、これじゃあ……
(似すぎてる……)
僕の――シゼルの境遇は……似すぎているのだ。
“母さん”が夢想して、嘘に嘘を重ねて練り上げた、僕の“前世の姿”に。
“母さん”が、僕の話に触発されて思い出したと言っては“設定”を後付けしてくるのはよくあることだった。
前世での僕は両性具有だったと言って性別適合手術をしろと迫ってきた時のこともよく覚えている。
事前のカウンセリングをしてくれた医師がまっとうな医療従事者で、“母さん”を排した場で僕の意思を確認してくれたことで実現には至らなかったけれど、僕はあの時から明確に“母さん”に不信感を抱くようになったのだ。
(気持ち悪い……)
やっと“母さん”への依存から脱せられたと思った先で、前よりいっそう“母さん”の理想に近づいている自分が気持ち悪い。
本当は僕はまだ死んでいなくて、“母さん”の夢の中に潜り込んでしまったんじゃないのか。
そんな想像が脳裏を過ってぞっとする。
「シゼル……」
「ごめんイェン……ちょっと、ほっといて……」
「…………」
まだ視線を感じるけれど、僕が拒絶を示すとイェンは静かに距離を取ってくれたようだった。
(……これからどうしよう)
このままこの生を生きることに何か意味があるんだろうか?
そもそもこれは、本当に新しい人生なんだろうか?
そんな思考の渦に浸っているだけで、二日目の午後は過ぎて行った。
「シゼル起きて……!ミルガだよ……!」
そんなイェンの声で目を開いた。
別に寝ていたわけではないのだけど、数時間体勢も変えずに硬い寝床に寝転がっていても体に痛いところもない天衣の身体が現実と夢の境界を曖昧にしているようで気味が悪い。
上から覗き込んできていたイェンの心配そうな瞳を見返して、僕は力なく返した。
「……いらない。イェンにあげる」
「あ、う、えっと……じゃあ、えっと……」
イェンが両手に持っていたミルガの片方から少しちぎって僕の口に押し込んだ。
「こ、これで一日二枚……だね!」
「……うん……あひひゃほ……」
出た。一日二枚ルール。
噛んでいるうちにもちもちとした食感が増してくるミルガを咀嚼する。
イェンはアンバが手配してくれたのだろう大きめのミルガと、少しちぎったことで僕のを分けた形になった通常サイズのミルガとに交互にかぶりついていて幸せそうだ。
じっと見ていたことに気付いたイェンが慌てたように僕とミルガを見比べる。
「や、やっぱりいる?」
「ううん。ミルガを食べてるイェンがかわいいから見てただけ」
そんな風に言い訳すると、イェンはえへへとはにかんだ。
そういえば、おそらく純血の天衣ではないイェンの性別はどうなっているのだろうか。
こんなにかわいいイェンにも、例のものがついているんだろうか。
ついていたからと言って特別態度を変えるつもりはないが、なんとなく、あまり考えたくはない。
ひとしきりミルガの味を嚙みしめたイェンが、満たされた腹を撫でながらポツリとこぼす。
「あ、あのね……シゼルもね、ボクの“かわいい”だよ……」
はて。イェンの一人称はいつからボクになったのだったか。これも僕の真似っこなんだろうか。
などと考えつつ、僕は午前のやり取りから推察したイェンの言葉の意味するところに対し、素直に礼を返した。
「ありがと。これからもお腹空いてない時はイェンにミルガあげるからね」
「……ん、うん。あの、でも、ミルガくれなくても、シゼルはボクの“かわいい”なの」
午前中の僕の発言をオウム返ししたような言葉に苦笑する。
「そっか、ありがとうね」
「ほ、ほんとだよ!最初はミルガをくれたから“かわいい”になったけど、もうミルガをくれなくてもシゼルは“かわいい”で、だから、」
「うん」
「シゼルがお腹空いたら、ボクのミルガをあげる!ボクは、“かわいい”から!」
拙い言葉で一生懸命伝えようとしてくれるものの、イェンの支離滅裂な発言に思わず笑ってしまった。
「そうだね。イェンはかわいいよ」
「うん!ボクは、かわいい!」
前世とか、転生とか、性別とか。
うんざりした気持ちに引きずられそうになったけど、イェンが面白くて、ちょっと救われた夜だった。
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