第2話

館を出ると、正門のような場所に馬車が停まっていた。

いや、引いている動物は牛に見えるので、牛車だろうか?頭の左右にある角は水牛のように立派なものだが、額にも小さな角らしきものがある。

大人が見上げるような巨大な牛だ。

その牛が引いているのは、鉄なのか木なのか、何で出来ているのかよく分からないこれまた巨大な黒い車輪の上に二人ほどが乗れる椅子が付いており、屋根がない代わりに申し訳程度の布の傘が差してある。

御者台のようなものはなく、牛を先導して歩く御者らしき人物が牛のそばに立っている。


「君はもう言葉が喋れるんだってね?」


牛車に乗り込むと、さっそくという風でリリヤンが話しかけてきた。

僕が言葉を喋ることが好意的に受け入れられることなのかどうかが分からず、曖昧に視線を泳がせる。

ガタガタと音を立てて揺れる牛車上の会話が御者まで届くのかは分からないけれど……そもそも僕はまだ、このニヤニヤ笑いを顔に張り付けた人物を信用できていない。


「そう警戒しないで。君はもうヅァンだ。ヅァンにとって知性は武器。どれだけ喋ってもわたしが君を咎めることはないよ」

「…………」

「ふむ。猜疑心が強いんだね。その歳でそれだけの“我”があれば“転生”が拒まれるのも仕方がない」


“僕”にとっては耳馴染みがないはずの発音の意味が分かってしまって、どきりと胸が鳴った。

転生―――そうだ。最初の夜に、アナエラも言っていた。“転生”が失敗したと。

僕の瞳にちらついた好奇心を見逃さなかったのだろう。リリヤンがにんまりと目を細める。


「何故自分が捨てられたのか気になるかい?気になるよね!」


デリカシーのかけらもない言葉にムッとして、思わず言い返してしまう。


「………僕の中身が、アナエラ様が待ち望んでた“誰か”じゃなかったから……でしょう?」

「ン~!素晴らしい!君はかしこいね!その通り!“ヅァン”とは皆、“誰か”になれなかった者たちのことを言うのさ。このわたしを含めてね」


君と同じさ、と、リリヤンが薄い胸を叩いてみせた。

彼を観察してみる。あの館の使用人たちと比べても、身なりは小綺麗に見える。細身ではあるが、飢餓で痩せこけているという風でもない。

“ヅァン”だと判明したからといって、問答無用で奴隷扱いなんてこともないようだ。


「知性が武器だと言いましたよね……?特別な武器を持たないヅァンはどうなりますか?」

「いい質問だ。――ああ、この場合の‟良い”とは、今の君に必要という意味でしかないけどね」

「……どうなるんですか?」


いちいち面白がってもったいぶるような返しにイライラしてきた。

少し棘のある言い方になってしまって、翻弄されている自分が嫌になる。

こちらが苛立っているのに、リリヤンは満足そうに笑みを深めて人差し指を立てた。


「わたし達“天衣アマニエ”は、転生を重ねる為だけにこの“千年王国”に飼われている存在さ」

「“天衣”……?ひょっとして、人間ではない、のですか……?」

「どうだろうね。初代王を見出した叡智の御使いが地上に残した“抜け殻”のようなものだと言い伝えられているけれど」


つまり、人種そのものが大昔に降臨した天使的な存在の末裔だと信じられているパターンなのだろうか。

一種の選民思想だろうけれど、リリヤン自身はそれを誇っているようにも嘆いているようにも見えない。


「まぁ、王国の話はいいさ。並みのヅァンは一生をこの領内で暮らすからね。王家にも王国民にもそうそう関わることはない」

「はぁ……」

「特別な武器を持たないヅァンはどうなるか、だったね。言葉を喋れるくらいに“我”を育んだヅァンの大抵は“ドゥワル”以上の天衣の館で下働きをして一生を終えることになる。君が生まれた“シゼル宮”にもそれなりの数の下働きがいただろう?彼らはまだ一度も転生したことのない個体――すなわち“ヅァン”さ」

「転生………」


現に今、異なる世界の記憶を持って人格を形成している身で何をと思うかもしれない。

けれど、“前世の記憶を持つ少年”という看板で食っていた己の黒歴史に根深い反発心を持つ僕としては、部族が丸ごと転生信仰に心血を注ぎ、転生を基準に階級のようなものまであると言われると、なんとも苦い気持ちがこみ上げてくる。

胡散臭い、という心の声が聞こえたのだろうか。リリヤンはくす、と小さく笑いを漏らした。


「天衣が転生に関わらずに生きていくのは難しい。ヅァンにとっては面白くないことも多いだろうが、あまり大っぴらに転生信奉を否定していては、生き辛いだけさ」


少し情けなさそうに片眉を下げたその表情に嫌味はなく、先達からの純粋なアドバイスのように聞こえて、少し面食らう。

なんでも面白がって突いてくる享楽的な人物かと思ったが、そうでもないのだろうか。


「……覚えておきます。えっとそれで……“ドゥワル”って?」

「“二度目”という意味さ。一度も転生したことがない者が“ヅァン”、二度目の生を受けた者を“ドゥワル”、後に“ドゥルブ”、“ドゥルブデン”、“グァルデンツァ”と続き、伝説とされている六度目の生を受けた最高位の天衣のことを“グェルデンクス=シア”と呼ぶ」

「………」

「とりあえず、ヅァンとそれ以外と覚えておけば良いんじゃないかな?」

「そうします……」


早々に詰め込みを諦めて肩をすくめる。

前世――と呼ぶのにも抵抗があるのだが、便宜上そう表現する――での僕は、勉強が嫌いじゃなかった。少なくともまともに学校に通えていた間の座学の成績は悪いものじゃなかったはずだ。

のちのちしっかりと教えてもらえるのなら、その時にはこの世界の社会科知識として覚える努力はしよう。

そこまで考えて、はたと気付く。


「伝説ということは、六度目に成功した人はまだいないんですか?」

「そう言われてるね。五度目の生を生きたグァルデンツァだって、歴史上に一人しか存在しないんだ。

……ああ、それももう、存在しなくなったけどね」


その言い方に引っ掛かりを覚えて、目を瞬かせた。

僕の様子にリリヤンも頷く。


「お察しの通り。千年王国の史上ただ一人、五度の生を生き、“グェルデンクス=シアに最も近い天衣”と呼ばれた大賢者こそ、シゼリアナーゼ=グァルデンツァ。かつてのシゼル宮の主であり、君の凸型アダとなった人さ」

「…………」


付随する情報が多くて一瞬よく分からなかったけれど、直感が当たっていたことだけは理解できた。

それはつまり、伝説の実現まであと一歩というところまで来て、僕という失敗作が記録更新を途切れさせてしまったってことなんだろう。

この世界での転生がどんな風に実証されるのかは知らないが、国中が固唾を飲んで見守っていた何百年がかりの事業が白紙に戻されたということであれば、アナエラの絶望も少しは理解出来る気がする。


「……それはそれは……僕の存在は、さぞ迷惑だったでしょうね」


アナエラが別れの際に投げかけてくれた言葉も、そのシゼリアナーゼに対してのものであって、僕に向けられたものではなかったわけだ。

納得に息を吐く。


「君が気にやむことはないさ。生まれがシゼル宮だろうと牛小屋だろうと“院”にいる限りヅァンはヅァンでしかない。そこに貴賤はない……いや、わたしが存在させない」

「……?あなたが?」

「そうとも。言ったろう?わたしはトルドなんだ。もし君がシゼル宮の宮様であることを笠に着て他のヅァン達を見下すなら、わたしは君の尻を真っ赤になるまで叩いて窓からつるし上げてやる」

「…………」

「逆に、君のそのほそっこい肩にグェルデンクス=シアの責任を背負わせようとする奴がいれば、わたしがそいつの尻を叩きに行く」


物騒な物言いに、僕は目を瞬いた。

軽妙な口調のまま、それでも彼の目は迷いなく真剣に見える。


「トルドには、そんな権限があるんですか?」

「ないよ。だから、命掛けさ。なに、尻を叩くのは慣れてるんだ。処刑台に上げられるまでに、百回くらいは叩いてやるさ」


「わたしはトルドだからね」と繰り返して、リリヤンがニッと笑った。

僕もつられて、ほんの少し、笑ってしまった。



半日近く牛車に揺られて辿り着いたのは、よく言えば趣き深く、悪く言えばオンボロの、面積だけはやたらに広大な平家建ての宮殿だった。

建築様式としてはシゼル宮と同じようなものなのだろうけど、モザイクの塗装は剥がれてあちらこちらに土色が剥き出しになっている。

乗ってきた牛車は何故か建物の敷地内には留まらず、来た道を戻って行ってしまった。シゼル宮の牛車だったのだろうか。


「ここが今日から君が暮らす“ヅァニマ院”だ。ヅァニマとは、古語で“真っ白”とか“穢れなき”という意味がある。見ての通り、ちっとも真っ白じゃないけれどね!」


ヘラヘラ笑うリリヤンに連れられて、院の中でも裏手側にある大部屋に通された。

部屋には干した草のようなものを格子状に編んだだけの寝床が十ほど用意されている他、シゼル宮でも使用した簡易おまるが備え付けられている。

寝床には五人の子供が思い思いの格好で陣取っていた。

蹲って泣いている子供もいれば、ぼんやりと虚空を見上げている子供、それから、少し年嵩の者の手でオムツを替えてもらっている子もいる。

オムツを替えてもらっていると言っても、赤ん坊という歳には見えない。この部屋にいるのは、どの子も四〜六歳ほどの体格をしているようだった。


「転生術は宮ごとの秘伝だけど、共通認識として知られていることもある」

「?」


突然なんの話かと隣のリリヤンを見上げる。


「転生先の器は無垢であればあるほど成功率が高まるというのが定説だ。

そのため宮でのヅァンは、情の通うような接触を出来る限り控えられ、言葉も知らず転生の時を待つのさ」


小さく呟かれたリリヤンの解説に理解が追いつくと、喉の奥にじわじわと気持ちの悪いものが込み上げてきた。

つまり天衣とやらの子供は皆、転生の器としてのみ産み落とされ、親から言葉を掛けられることもなく育った末に、転生が失敗したら用済みとばかり捨てられる存在ということなんだろう。

それを聞いて憤るほどの正義感も、この人生への展望もないけれど、だからといって気持ちの良い話ではない。


「これから生活を共にするヅァンの同期生たちだ。君は言葉も達者なようだし、たくさん話し掛けてやってくれ」

「………それはトルドのお仕事じゃあないんですか?」


無責任なことを言うリリヤンをじとりと睨むが、彼はなんでもないという風に肩をすくめた。


「時間の限りはそうしているよ。ただわたしには講義や雑務があるし、今日君を迎えに行ったような外に出向く仕事もある。多忙なのさ」


どうやらトルドというのは、孤児院の院長であり教師のような役職であるらしい。

僕はついでに気になっていたことを訊いてみる。


「あそこでオムツ替えをしてくれている方もトルドなんですか?」

「あの子は今年で院の最年長になるヅァンさ。もともと我の強い者や長年の院生活で我を育んだ者たちは、協力してそうでない子たちの面倒を看るのがここの決まりだ。君には期待しているよ」

「……なるほど。がんばります」

「頑張りすぎても我の成長にはよくない。頼れるところは頼ると良いよ」

「………はい」


そんなことを話しているうちにオムツ替えが終わったようで、最年長だという十二、三歳くらいのヅアンがこちらを振り向いた。


「おかえりなさいリリヤン=トルド!その子、新入りですか?」


少年だとすれば朗らかな、少女だとすればこざっぱりとした風貌のそのヅァンは、リリヤンに話しかけつつもにこりと僕に微笑んで見せた。


「うんそう。名前はシゼル。目覚めて浅いわりにしっかりしていて即戦力だよ。シゼル、この子はアンバ。ここでの暮らしについては訊けばなんでも答えてくれる、頼りになる子だ」


紹介されたアンバがすっと進み出た。

そして左手を肩に、右手を背中に回した不思議な動作で腰を屈め、うっすらとオレンジ色が混じった白髪の頭が下げられる。


「お初にお目にかかりますシゼル様。灰のアンバ、本日より誠心誠意お仕えさせて頂きます。」

「え……?」


恭しい態度に困惑し、リリヤンに視線で助けを求める。


「これは正式な場での目上に対する挨拶だよ」

「目上?ヅアンは平等なんじゃ……」

「互いに同じ礼を返せば対等、返礼がなければ一方的な目上に対する礼ということになる。同じように返してごらん」


言われて、見様見真似で返礼する。

僕のぎこちない挨拶にリリヤンがパチパチと手を叩いた。どうやらここでも拍手の意味合いは変わらないらしい。


「よく出来ました。けど院内でいちいち正式な礼をとる必要はないからね。アンバは剪定式後に宮仕えすることが決まっていて、今はお作法の特訓中なんだ。こうして忘れないように日常的に訓練しているから、たまに付き合ってやっておくれ」

「そういうわけ。びっくりさせてしまってごめんよシゼル。これからよろしく」

「あ、はい……よろしく」

「ン~!いいねいいね!仲良くやっておくれよ!それじゃ、多忙なわたしは失礼するので、アンバはシゼルに同室の皆を紹介して、一日の流れを説明してやってくれ」

「……リリヤン=トルド……紹介はともかく、説明はトルドの仕事では……」

「それではね~~!」


ジトリとしたアンバの視線を軽く流して、リリヤンはさっさと退散してしまった。

呆気にとられている僕に、アンバは肩をすくめて見せる。


「いつもああなんだ」

「はぁ……」

「それじゃ、院に来た順に一人ずつ紹介しよう」


なぜ院に来た順なのだろうかと首を傾げたけれど、その理由はすぐに分かった。

最初に紹介された子供からはぎこちないながらも挨拶のようなものが返されていたが、順番が後に行くにつれ言葉はなくなり、表情も消えていく。

三人目に紹介された子などは、ぼんやりと虚空を見上げて寝転がったまま、反応すら返されることはなかった。


「デヤンとスルガはまだ自分で排泄が出来ないんだ。一日一度は年長の者がオムツを替えに来るけど、臭いが気になるなら呼びに来て」


赤ん坊でもお漏らしをしたり腹が減ったりすれば泣いて保護者を呼ぶものだろうと思うが、どうやら院に来たばかりのヅアンにはそれすら出来ない子供も多いらしい。

けれど一週間過ごした宮での扱いを思い出す限り、子供たちがそんな風に育っても仕方ないように思う。

出来得る限りコミュニケーションを排して命だけを繋がれるので、不快を他者に報せる習慣すら失われているのではないだろうか。


「あ、この棟……“奥の院”の大部屋はぜんぶヅァンの寝起きする部屋になってて、入院した年ごとに並んでいるんだ。私に用がある時は一番奥の最年長組の部屋に来ておくれよ」

「はい……」

「じゃあ、最後はイェンだね。イェンはほんの数日前に入ったばかりだけど、シゼルと同じで言葉も分かるし、最初からすごく我が強かったから、良い話し相手になるんじゃないかな。イェン、ちょっといいかな?」


イェンと呼ばれた子供は声を掛けられことに驚いたのか、びくりと体を震わせた。

さっきまでずっと部屋の隅に響いていたすすり泣きはこのヅァンのものだったようだ。

涙と鼻水でぐしょぐしょの顔には、はっきりと怯えの色が見て取れる。


「我が……強い……?」


言葉から受ける印象と目の前の生まれたての小鹿のように震える子供が結びつかず、アンバに目で問う。


「強いだろう?院に来た夜からずっとこうやって泣いて不満を訴えてるんだもの。我を持たない子はこんな風に他者の注意を引こうとはしないよ」

「なるほど……」


納得したものの、カルチャーギャップに眩暈がしそうだ。

五歳か六歳そこらの子供が突然新しい場所に連れて来られたっていうのに、泣いて帰りたいと表明することすら知らないのが普通だというのだから。

そっと溜息を吐きつつ、僕は出来るだけ優しく聞こえるようにイェンに話しかけた。


「はじめましてイェン。僕はシゼル。今日からここの仲間だ。仲良くしてくれると嬉しいな」

「…………」


恐る恐るこちらを見返してくる顔には未だ怯えの色が濃いが、薄桃色の髪から覗いた顔立ちは愛くるしい少女のそれだった。

誰も彼も性別不詳だったこの世界に来て初めてはっきりと“少女”だと認識できた。

くりくりと大きな瞳に長い睫毛、ぷっくりとした唇が可愛らしい。

別に女の子だからどうというのではないけれど、自分の常識に馴染んだ個人の特定要素を持った存在になんだかほっとする。


「イェンはなんだか、他の天衣と顔立ちが違うね」

「……!」


途端、イェンの瞳にぶわりと大粒の涙が膨れ上がって、失言だったと悟った。


「あ、その、かわいいって意味だよ!うん、すごくかわいい。僕は好きだな!」

「…………」


必死でフォローしたけど、イェンはそれきりうずくまって顔を隠してしまった。

どうしたものかと途方にくれる僕を後目に、アンバは満足そうに頷いている。


「うんうん。院に来たばかりでこんなに泣いたり嫌がったり出来るんだもの!イェンは立派だよ!」


それはそれで何か違うというかハードルの設定位置に文化の違いを感じるのだけれど……


(アンバってたぶん、リリヤンに育てられたんだろうな……)


前途多難な新生活の幕開けだった。

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