第2章:2日目
第21話 おはようのチュウ
………………あぁ。
窓から差し込む陽の光に目が覚めた俺は、朝から絶望していた。
俺の視界に映っているのは昨夜、俺が寝ていた職員室の天井そのものだった。
眠ったら元に戻っているんじゃないかとわずかに期待はしたものの、やはり現実はそんな甘いもんじゃないらしい。
すぐ横に置いてあったスマホを確認すると、時刻は午前6時半。
いつも起きている時間よりも30分程早かったが、睡眠欲は失われているのだ、もう眠れそうにない。
寝袋から這い出ると椅子に掛けておいた制服に着替える。
Yシャツはシワになっているし、下着も昨日のまま。
洗濯くらいはしたいよなぁ……
替えの下着なんかはないから、洗濯しても乾くまではノーパンにならざるをえない。
用務員室の洗濯機って乾燥機付きなんだろうか?
そんな事を考えながら、俺は職員室を出た。
目の前には水道があり、俺はそこで顔を洗う事にする。
……あ。
顔を洗いながら、フェイスタオルが無い事に気付く。
しまったな、まさかYシャツで拭うわけにもいかないし、ズボンのポケットにハンドタオルが入っていたっけか……?
「――これ、使って?」
俺が濡れた手でポケットをまさぐろうとする前に、背後から声が掛けられた。
びしょびしょの顔のままで振り向くと、制服姿のミオナ先輩がタオルを持って佇んでいた。
「三保先輩……? どうしてここに?」
「保健室から出ようとしたら、志摩君が出て行くのが見えたから。多分、タオル持ってないんじゃないかと思って」
見透かされてる……
「これは、お恥ずかしい……」
俺は素直にタオルを受け取ると、顔を拭った。
拭い終わると、俺はタオルを首からかけてからミオナ先輩に向き直った。
「改めて、おはようございます。それから、タオルありがとうございました」
「おはよう。昨日はよく眠れた?」
「えぇ、まあ、お蔭様で。三保先輩は?」
「ワタシもぐっすりだったわ。志摩君が職員室にいてくれたから、すごく安心出来たみたい」
そんな女神のような笑顔で言われると、何もしてないのに罪悪感を覚えるのは俺の心が汚れているからでせうか。
「タオルはそのまま志摩君が使ってもらって構わないわ」
「そりゃ有難いんですけど、どうしたんです、これ?」
「保健室にあったの。必要ならまだまだ予備はあるから、好きな時に持って行って構わないわ」
「はぁ……」
女子が寝泊まりしていた部屋に入るというのは、保健室とはいえ抵抗がある――なんて考えてしまうのは、俺が小心者だからでせうか。
「あぁ~? もしかして今、いやらしい事考えてた?」
ミオナ先輩はずいっと俺に顔を近づけて来る。
女子特有の良いかほりが漂ってきます……
昨日、風呂に入ってないから余計にそう感じるのかもしれない。
「今だけじゃありませんよ。男なんて年中いやらしい事考えてるんですから」
「そんな威張られても……って、志摩君はそういう事言う子なの?」
「三保先輩こそ朝からいやらしいとか、そういう事を言う人でしたか」
そして、どちらからともなく、吹き出してしまった。
「ふふっ、考えてみればこうして2人だけで話すのって、初めてよね?」
「まあ、昨日は色々ありましたから」
「そうね……でも、複雑だわ」
ミオナ先輩は頬に手を当てながら言っていた。
「複雑?」
「朝起きたら、全てが夢だった――そんな期待もしていたの。でもね、こうしてまた昨日の皆と会えるのを喜んでいる自分もいる」
「それは、俺も同感です」
こんな悪夢は早く終わって欲しい。
けれど、悪夢が終わればひまりとはもう会えない。
何というジレンマ。
「いつまで続くのかしらね、こんな状況が……」
あと4日で終わりますよ、イヤでもね――とは言いづらい。
けど、いつかは言わなければならない。
「あ、そうそう。奈月ちゃんとひまりちゃんが朝食を作ってくれてるの。準備が済んだら食堂に来てくれる?」
「朝食……?」
ちょっと待て。
俺の知ってるなっちゃんは料理が壊滅的に下手だったぞ?
以前、肉じゃがと称した炭の塊を食べさせられた事がある。
それとも、こっちの奈月先輩は料理上手なんだろうか?
いやでも、ひまりの手作り料理は食べてみたいな……
怖くもあり、楽しみでもある。
くそぅ、こんな所でもジレンマが……
「――わかりました。すぐに向かいます」
「お願いね」
そう言って、ミオナ先輩は食堂の方へ向かって行き――
――すぐに戻って来た。
「忘れ物ですか? まさか、おはようのチュウを忘れたとか言いませんよね?」
「それはもう済ませたわ」
「へっ!? だ、誰にですか?!」
「ひまりちゃん」
…………うらやましい。
「せ、先輩はそっちのご趣味が……?」
「違うわよ。寝起きの彼女があまりに可愛かったので、ついやっちゃったの」
ついやっちゃったって……そんな事が許されるなら、俺も今すぐついやっちゃいたい。
「……それで、一体何用で戻ってこられたのでせうか……?」
「ワタシの呼び方。苗字じゃなくて、名前って呼んで欲しいなぁって」
「は、はぁ……」
「ワタシ、自分の名前が好きなの」
「そ、そういう事でしたら今後はそのように致しまする……」
「ありがと。ワタシも今後は『朔真君』って呼ぶわね♪」
「お、おおぅ……」
先輩の癒し系ボイスで自分の名前を呼ばれると、破壊力が凄まじい。
もはや癒しなのか、破壊なのかわからんが……
「じゃあ、食堂で。またね、朔真君」
「押忍……み、ミオナ先輩……」
直接口にすると、これほど恥ずかしいものはない。
先輩は微笑を浮かべると、再び食堂の方へ歩き出した。
俺は無意識に、しばらくその後ろ姿を目で追っていた。
ふと、俺は視界の端で人の気配を捉える。
「見ーちゃった、のである」
屋上から降りて来たらしい野間が、廊下の角からひょっこりと顔だけ出して、こちらを覗き見ていた。
「……てめぇ何してんだ、んなところで……」
「浮気とは感心しないのである」
言いながら、俺の方へ近づいて来る。
コイツも制服に着替えており、身なりは小奇麗に整えてあるから、事前にタオルなどは準備していたんだろう。
「う、浮気なんてしてねーよ」
「なら、移り気であるか?」
「意味ほとんど同じじゃねえか」
「では、男気」
「もう意味わかんねーよ!?」
「今のは空元気であるな」
「……言葉遊びはもういい。食堂へ行くぞ」
「今度は食い気であるな」
「だからもういいって!」
あとにして思えばこの日は、この時が最も平和な時間だったんだと痛感する事になる――
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