第20話 なっちゃん

 体育館から戻った俺は一度2年3組の教室へ行き、ジャージに着替えてから職員室へ来ていた。


 誰もいない職員室ってヤバいよなぁ……


 職員室にある担任のデスクを漁りながら、俺はそう思った。


 学校には俺達以外は誰もいない事がほぼ確定していたが、万が一にも人が戻って来た場合、俺の成績を加筆修正しておけば補習を受けたという事実を無くせるかもしれない――


 そんな浅はかな考えの元、デスクの書類をかき分けているのだが、一向に見つからない。


 くそぅ、別の場所に金庫とか設けて、そこで管理しているだろうか……


 そんな事を思い始めた時。


 ――ん?


 これは、生徒の個人情報用ファイルか?


 成績はないのに個人情報はあるなんてウチの高校、セキュリティ管理はどうなってんだ?


 俺がクラスメイトの情報を見ていると、廊下から誰かが近づいてくる足音がする。


 音の主は職員室の扉前で立ち止まり、ノックをして来た。


 俺は慌ててファイルをしまうと、鍵を開けて来客を出迎える事にした。


「――すまんな、夜分遅くに」


 ドアを開けて姿を現したのは、ジャージ姿の奈月先輩だった。


「どうしたんですかい、姐さん? まさか夜這い?」


「誰が姐さんだ。夜這いでもない。ちょっと、お前と話がしたくてな」


「はあ……じゃあ、まあ、その辺のデスクにでも」


 俺は職員室のデスクにある椅子を引いて、奈月先輩を座らせた。


 俺もその隣の椅子に座る。


「――それで、話というのは?」


「いやな、


 あー、やっぱその話かぁ……


 先ほど、崎山と話したばかりだから心の準備は出来ていたけれど、相手が奈月先輩というのが何ともやりづらい。


「……そっちも、こっちでは随分とじゃねーの」


「ふふん、まあね~」


 急に奈月先輩の口調が変わった。


「やっぱり、アンタも記憶が戻ってたんだ? 黙ってるなんて水臭いじゃん」


「いつからだ? 夕方、会議室で目が合った時か?」


「だね」


 って事はやはり目と目が合った瞬間が記憶を取り戻すトリガーって事か。


「その割には、平然としていたようだったけどな」


「そういうキャラだから。こっちの真鶴奈月って子は」


 まるで他人だとでも言わんばかりの言い草だ。


「俺への呼び方がずっと『お前』だったのが気にはなってはいた。いつも『朔真』って呼んでたからな」


「アンタだって、あーしの事を『なっちゃん』とは呼んでくれなかったじゃん?」


「呼べるか。俺の知ってる『なっちゃん』はギャルギャルしい女子だっつの」


「あっはは、そりゃあねえ。しかも今のあーしは、こんなに綺麗な肌をしちゃってるし……」


 奈月先輩は左手を窓辺の月に向かって高く伸ばしていた。


「あの事故は本当にあったんだな……」


「へえ? やっぱりアンタ、あーしの声が聞こえてたんだ?」


「朧気ながらでも、意識はあったから」


 今から3年前――といっても、こっちではなくあっちのだが――俺はとある事件の影響で、意識昏迷状態に陥っていた。


 全く意識がないわけでもないが、普通に呼びかけるだけでは反応せず、強い刺激などを与えて、ようやくそちらに意識が向くかどうかという状態。


 事件のおかげで兄と両親はいなくなっていたから、目の前にいるの両親――伯父夫婦が預かってくれる事になった。


 当時中学生だった俺は当然勉強なんて出来る状態ではなく、病院と家とをただ車椅子で往復するだけの日々。


 ほとんど廃人同然だった。


 それが今から1年と少し前、世話になっているなっちゃんの家が火事になってしまった。


 火事の原因はなっちゃんだった。


 こっちにいる彼女はしっかり者だが、俺の知ってるなっちゃんはとにかくグータラで、「呼吸するのも面倒」とかのたまう、だらしのないギャルだった。


 そのだらしなさが災いして、石油ストーブに近くにうっかり着替えを置いてしまい、そのまま放置。


 彼女もその場に眠ったまま、気が付けば家が燃えていた。


 なっちゃんはその時の火事が原因で、左手に大きな火傷を負ってしまった――


 ――はずなのだが、こっちの奈月先輩は本人が言うとおり、綺麗な肌をしていた。


 火事の当日、俺は病院にいたので巻き込まれずに済んでいた。


 そして車椅子だった俺は、同じ病院に入院していたなっちゃんから、俺が反応しないから人形の代わりとでも思っていたのだろうか、事の経緯と罪の告白を何度も、ただただ聞かされていた。


 そういう経緯があったればこそ、彼女は言ったのだ。


 こっちの俺は随分とおしゃべりだ、と――


「一体、どっちの世界があーし達にとって幸せなんだろうね?」


 奈月先輩は左手を下ろすと、寂しそうに笑った。


「さあなぁ。こっちの世界もあんまり良い状況とは言えんからなぁ」


「……アンタ、どうやってこっちの世界に来たか覚えてる?」


「さっきパイセンとも話をしたけど、俺もパイセンも覚えてない」


「えっ、崎山も記憶が戻ってるん?」


「ついでに言うと、高輪もだな」


 俺は崎山とした会話の内容を――壁が迫っている事も含めて――かいつまんで説明した。


「そりゃ厄介だね~。それで、アンタはこれからどうするつもり?」


「どうもこうも、ここから脱出するっきゃねーでしょ」


「そうはいっても、戻ったらまた意識昏迷の朔真君になっちゃうかもだよ? マジありえなくない?」


「ここにいたってあと数日でペシャンコになるんだ。痛みがないとはいえ、圧し潰されて肉片が飛び散り、骨が砕ける様を味わうなんてご免だぞ」


「ぐ、グロい事言うじゃん……」


 だが、事実だ。


「それより、いつまでもこんな所にいて三保先輩やひまりに怪しまれないか?」


「それは心配ないよ。眠れそうにないから散歩してくる、って言って出て来たから」


 言いながら、奈月先輩は椅子から立ち上がった。


「まあでも、アンタが"あの朔真"だってわかってスッキリしたわ。明日からはまた下の名前で呼んじゃう?」


「やめとけ。こっちでは『学校ですれ違っても他人のフリをする事』って記憶になってんだ。どっかでボロが出る可能性もある」


「別に記憶の事は皆に言っても問題ないと思うんだけど。むしろ、この記憶こそがここから出る鍵になるとあーしは思うわ」


「根拠は?」


「女の勘♪」


 しっかり者の奈月先輩だったら、絶対にやらないようなウインクをしていた。


「……まあ、折を見て話すさ。壁の事も言わなきゃならんしな」


 途端に憂鬱になる。


「そっか。まあ、あんまり1人で抱えるなし。少なくとも、あーしはアンタの味方だから。何かあったら遠慮なく言いな、昔みたいに」


「俺はもう、迷子になったりお漏らする年齢じゃないっつの」


 奈月先輩はキシシッ、とイタズラっぽい笑みを浮かべた。


「それじゃ、あーしは帰るわ。おやすみ、また明日ね~♪」


「おやすみ……」


 奈月先輩は小さく手を振りながら、職員室を出て行った。


 はぁ……


 子供の頃の事を知られてるのって、やりづらいよなぁ。


 特になっちゃんは、イトコの中でも1番仲が良かったから……


 …………もういいや。


 これ以上の事は、明日考えよう。


 眠ったら、この悪夢からは覚めるのかもしれないしな。


 でも、そしたらひまりとはもう会えなくなるのか?


 あっちの俺は、夏泊ひまりという女の子の事を知らないんだから――

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