第9話 夢か現か

 崎山が抜けて意気消沈するかと思われた会議室内だが、野間の突拍子もないタップダンスのおかげか、雰囲気は決して暗くはなかった。


 コイツ、これを計算でやっていたんだとしたら、やっぱり侮れねえな……


「それじゃあ、現状確認の続きをするけれど」


 ミオナ先輩が仕切り直し、と言わんばかりに少しだけ声を張り上げていた。


「痛みを感じないという現象については、さっきの野間君の様子を見ていてよく分かったわ」


 床に顔面を打ち付けて平然としていたからな。


 野間の額はまだ少し赤くなってはいたが。


「その件で私からも1つ、気付いた事がある」


 そう言ったのは奈月先輩だった。


「今、時刻は19時半を少し過ぎた所だ」


 奈月先輩が会議室にある時計を目で指した。


「とすると、本来であればあるはずのものが、ここには無くなっている」


「本来あるはずのもの?」


 俺は首を捻って考えたが、答えはわからなかった。


「――食欲、ですか?」


 ひまりがそう言うと、奈月先輩は満足そうに頷いた。


 言われてみれば、この時間は自宅で夕飯を食べていてもおかしくはない時間だが……


「痛みを感じないのと同時に、空腹も感じない。私は普段からよく食べる方だからわかるが、昼ご飯以降に何も食べていなくて腹の虫が鳴らないなんて事は、ありえない」


 そんな事、自慢げに言われてもな……


「確かに奈月ちゃんはよく食べる方だとは思うけれど――」


 ミオナ先輩はそう前置きしてから、続けて言った。


「――それじゃあ、睡眠欲も無くなっちゃったのかしら?」


「そこまではわからないが、おそらくそうだろう。尤も、尿意はあるようだから漏らしたりする心配はないとは思うが」


 いきなり生々しい話になったな。


 これまでは見えない壁とか、人が消えたとか言うオカルトじみた話をしていたハズだったのだが。


「そして、私はこういう状況に身に覚えがある」


「え、マジですか?」


 俺が問い返すと、奈月先輩は俺の方を見てニヤリと笑った。


「あぁ、それはな――」


 奈月先輩は十分にもったいつけてから、こう言い放った。


「――夢だよ」


「………………夢?」


 生々しい話をしたかと思ったら、またオカルトに逆戻りか。


「そうだ。痛みを感じない、お腹も空かない、おまけに見えない壁だの人が消えただの、こんな非常識な状況は夢以外に考えられないだろう」


「ちょ、ちょっと待って下さいっス!」


 下津井が前のめりになって叫んでいた。


「夢って言うっスけど、自分、意識はかなりハッキリしているっスよ?! これが夢だなんて――」


 言いたい事はわからんでもないがな。


「下津井、キミは明晰夢という言葉を知っているか?」


 やっぱり、そう来るか。


「めいせきむ……?」


「夢だと自覚して見ている夢、ですよね?」


 下津井が答えあぐねていると、ひまりが助け船を出した。


「そうだ。これが明晰夢だとしたら、全てに説明がつく」


「い、いや、おかしいっスよ! 仮に明晰夢だったとして、自分ら全員が同じ夢を見てるって事っスか?!」


 そこは俺も引っかかっていた。


「集合的無意識という言葉に聞き覚えはあるかしら?」


 今度はミオナ先輩が言った。


 どうやら、彼女は奈月先輩と同じ考えに至ったらしい。


「しゅうごう……って何スか?」


「集合的無意識。人間には意識の階層があって、最も深い層では他人と繋がっている――と考えられている意識の事」


「……よく、わからないっス」


 下津井は顎に手を当てて、首を傾げていた。


「例えば、世界には様々な神話と呼べる物語があるんだけれど、それぞれの神話は言語や文化が異なっているにも関わらず、話の展開や登場人物の特徴に多くの共通点が見出せるの」


「は、はあ……」


 まるで心理学の授業を受けているかのようで、下津井は当惑した表情を見せている。


「では、その共通点はどうやって生まれたのかしら? 昔は電話やインターネットのない時代だから、自分達の神話を別の言語圏や文化圏の人達に伝えるのは大変に困難だったはずよ」


「……それで、人は集合なんちゃらで繋がっているから、色んな神話にもその繋がりで共通点が生まれたって事っスか?」


「そういう事。だから、ワタシ達が見ているのが夢だとしたら、現実世界で眠っているワタシ達の意識が集合的無意識で繋がってしまった――そういう風に考える事も出来る、って事でいいのよね?」


 ミオナ先輩は奈月先輩に確認をしていた。


「そのとおりだ。そんな事が本当に起こり得るのかはわからないが、現にこうした異常事態に遭遇しているんだ。明晰夢を見ている私達が集合的無意識で繋がっていると解釈すれば、一応の筋は通る」


 3年の先輩達の迫力に押されてか、俺達下級生は沈黙するしかなかった。


 こういう時は野間がしゃしゃり出て来るかと思ったが、ヤツも黙っている。


 果たして、この沈黙を破ったのは意外にも高輪だった。


「――で?」


「? で、とは?」


 奈月先輩が答えた。


「それで、これが明晰夢だとして、これからどうするんですか? 現実世界で眠っているであろうあたし達が起きるのを、ここでひたすら待っていればいいんですか?」


「それはこれから考える話だ。私はあくまで、現時点でわかる情報から推論をしたに過ぎない」


「ああ、そうですか。だったら、さっさと話を進めて下さいよ」


 相変わらずいけ好かない後輩だ。


 こんな状況でなきゃ、絶対に関わりを持ってないぞ。


「そうだな。じゃあ、我々はこれからどうするべきか。それを考えようか――」

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