第7話:新世界秩序

 長く長く。雨降り続けている。

 いいや。雨なんて最初から降っていなかった。ただの曇り空が、ずっと空を塞いでいただけで。

 この雨は、音も感触も、全て幻覚だった。


 けれど。

 遊水地には、確かに『水』がたまっていた。


 ――水を隠すなら雨の中に。不死イモータルとなった者は、自分自身の血肉を使ってオチミズを精製することができます。私はこの遊水地を借りて、自身のオチミズを貯めこみ『端末』の製作をしていました。


 遊水地にたまっていたのは、しかし雨水ではなかった。それはからの色をしたオチミズであり、生命と物質の中間にある、原始の海の構成物だったものだ。

 そしてさらに目を凝らしてみれば、確かに。遊水地の中には無数の『手』が、絡まったり結ばれたり、あるいは分かたれたりしながら、それぞれに泳いでいるのが見えた。


 ――オチミズにはすべての生命の記憶が宿っています。不死イモータルである私は、その情報を読み取り使うことができる。特に私は手を作るのをとても気に入っていて。より良い手を作り、多くの人を救うのが喜びなのです。


 男の手も、女の手も。長い手も短い手も。歪んだ手も美しい手も泳いでいる。

 しかしそれしかない。腕を、手を、指しか作っていない。それで十分なのだと、このカエルは語っているのだ。


 そして、私が遊水地に至るまでにも、無数のレインコートを着たカエル頭とすれ違った。

 都市まちにはもう、カエルの『端末』が溢れている。レインコートで隠しているだけで、その体は手の集合体でしかないのに。足ではなく手で歩いているというのに。誰もそれに気付かない。


 そればかりか。普通の人間ですら自身の指でカエルを作って、その囁きを聞き始めている。

 雨音に紛れてカエルが囁いたとしても。人はそれをカエルが発したものと認識できない。レインコートのカエルが部屋の中に入ろうとも。その存在自体に気付けない。

 雨が降り続ける限り。カエルはこの街のどこにでも存在できて、雨音が聞こえるあらゆる人に囁くことができる。


 ――あなたの答えはどうですか? 小鳥遊ユウ。


 今一度。カエルが私に問いかける。


 ――あなたが失った以上のモノを。私が与え直しましょう。左手をもっといいものに。お望みであれば、体の他の部分も作り替えることができます。私は、あなたの人生を救いたいのです。


 そうなのだろう。 

 不死イモータルであれば。その力があれば。左手のみならず、身体の全てを変えられる。顔も体も、髪も指も。全部を良いものにして、やり直せる。

 生まれ変われる。


「なぜ。そんなことをしてくれるの?」


 だからもう一度、私もカエルに問いかけた。

 

 ――世界を救うために


「違う」


 そして私は断じる。切り捨てる。吐き捨てる。

 それこそ欺瞞なのだ。この不死イモータルの、人間でいることに耐えられなかった者の、惰弱で醜悪な部分だ。

 

 ――何を……


「あんたは肝心なことを言っていない。私に左手を与えて、代わりにあんたは何を得るの? ボランティア? 違う。あんたが欲しいのは……信仰でしょう?」


 不死イモータルの力を手に入れ、人間を超えた者が。どうして私のような雑草に今更関わってくるのか? 

 結局それは、こいつ自身が一人でいることに耐えられなかったからだ。不死イモータルであっても超人シューパーマンにはなれず、自身の能力を誰かに認めて欲しいと願っているからだ。

 そのために人にすり寄り、盗み聞きして、こうして囁いてくる。

 そういう風に、人を、都市まちを支配していく。


 ――そのようなことは……


「ついでに言うとね。ジミ・ヘンドリックスは左利きよ」


 彼の左手を貰えたとしても、フレットを抑えるのには使えない。私は右利きなのだから。

 いくらすべての生命の記憶を元に、神の手すら再現できると言われても。結局それは私の手ではないし、指でもないのだから。


 ――どうやらあなたはもう、思想侵略を受けすぎたようだ。


 すぐにレインコートどもが私を取り囲み、その中の一人が両手で私の首を掴んだ。

 幻影の雨でもその手はぐっしょに濡れていて、気味の悪い冷たさがある。


 ――やはり人間は不完全だ。不要なことを考える頭があるし、うるさく鳴る心臓があるし、救いから逃げる脚がある。必要なのは手だけだ。手があれば十分なのに。手だけだったら、完璧なのに。余計な部品が多すぎる……


 狂気。

 カエルは、私の『余計な部品』を除くべく、首を掴む手に力を込める。

 頸動脈が閉まる。視界が暗く閉ざされていく。意識が遠のく。

 ああ、やっぱり余計な事いわなきゃ良かったか。ジミ・ヘンドリックスの左手でも、貰っておくべきだっただろうか。いやでもやっぱり要らないな。私は。


「待ちな。彼女を離せ」

  

 そこに現れたのは、烏丸アイリ。

 いいや。アナトリアの騎士。レイヴン。

 靴も履かずに、スカートも履いていない。流石にパンツは履いていたし、ワイシャツも羽織ってはいてくれたから、言い訳程度はできそうだ。


 脚や腕に、レインコートのカエル頭が何体か絡みついている。こいつらを無理矢理引きずって、ここまで私を追いかけてきたのだ。

 若干。汗をかいているし、息が上がっているように見える。


 ――見逃してやると云ったのに。ノコノコ現れましたか。どうやら死にたいようですね


 合図も無しに。私を取り囲んでいたレインコート達が、一斉にアイリに襲い掛かる。

 もはや人間の動きを模す必要はない。各々が袖から裾から手を繰り出し、伸ばし、振り回してアイリに襲い掛かる。もはやそれは暴風雨と呼ぶにふさわしい密度と速度だった。


 ――さらに私の異能イレギュラー海へ還るものアクアタルカスによる『雨』の幻影を強めましょう。激しい雨の感触と音がノイズとなり、あなたは私の『端末』の姿すら認識できない!


 にわかに幻影の雷雨の勢いが増した。ざあざあと雨が私の体を叩き、雷鳴すら鳴り響く。世界を圧し潰してしまうかのような激しい雨が私とアイリを打ち付ける。


これ以外ないナッシングモアのか? つまらないな……」


 だが。

 すべての攻撃が終わった後に、立っていたのはアイリの方だった。

 攻撃を仕掛けたハズのレインコート共は、いずれも吹き飛ばされ、打ち倒され、崩れ落ちていた。


 ――バカな。視えていないハズ。聞こえていないハズだ。避けることはもちろん、攻撃を当てることすらできるわけがないのに……


「まあ確かに。視覚と聴覚と触覚と嗅覚を潰すって異能イレギュラーは強力だなあ……オレには通用しないというだけで」


 ――そんなハズは無い。貴様の霊力フォースやフォースフィールドは認識阻害を防ぐほど強力ではないし、特殊な零子外骨格アーキタイプを使っているわけでもない。効いているハズなのに!


「うん。だからまあ、それがオレの異能イレギュラーってことになるか。そうだな……並び歩くものドッペルゲンガーと呼んでいる」


 アナトリア女王騎士第九位。ナッシング=レイヴンの異能イレギュラー

 

「仕組みは単純だ。オレが接触した『対象者』を、現実と重ね合わせた虚数空間内でコピーする。現実での接触でオレが得た経験を元に、コピーの精度を高めて、その動きを予測する……そいつの身体能力や性格はもちろん。異能イレギュラーも含めてな」


 ――ただの、予想で……こんな芸当が?


「だいたいなお前。身を隠すための異能イレギュラーを持つ奴が。自分から姿を見せてるんじゃ……もうその時点で負けたようなモンだろうがよ。ホームラン級のバカかよ」


 言っちゃった。

 確かにこのカエルには、アイリを仕留めるチャンスはいくらでもあったハズだ。それこそ最初から暗殺を仕掛けていれば、アイリを対応させずに倒せたかもしれない。

 しかし、それができなかったのだろう。

 このカエルが欲しいのは信仰であり、畏怖なのだから。圧倒的な力を見せつけた上で勝てなければ、もはや何の意味もないのだから。


 ――ならばこれはどうだ! こんなものまで予測していたと言うのか!


 遊水地の、水面が割れる。

 そしてその水底から、巨大な影が這い出てきた。

 一対の、巨大な手。それ自体が無数の小さな手の集まりであり、良く見ればそれぞれに結ばれ、繋がって、蠢いている。


 その二つの手の指が組まれて、やはり現れたのは巨大なカエルの頭。


「……いや、追い詰められたからって、巨大化して決戦しようってそれこそパターンじゃない?」

「オレは特撮的で好きだけどな。悪くないぜそういうの」


 私とアイリで、顔を見合わせる。

 そしてアイリは私の前に立って、巨大化したカエル頭に立ち向かう。

 

 ――ほざけ! 二人まとめて潰れてしまえ!


 そして巨大なカエルが、口を開いて。

 それが発した力場が、私とアイリに迫ってくる。


「フォースフィールドか!」


 アイリはこの不可視の暴力的なエネルギーを、両手で受け止める。しかしそれでも、完全に勢いを押しとどめることはできない。手足が裂けて、血が吹き出る。

 

 ――不死イモータルが授かった祝福だ。異能者イレギュラー達のまがい物とは違う。これがあるからこそ、私は不死イモータルなのだ!


 あまりのエネルギーに、空間が軋むのを感じる。

 私とアイリの周囲のアスファルトが割れる。

 重力が乱れ、アイリの流した血が玉となって浮かんでいた。


「アイリ……!」


 力の差がありすぎる。

 このままでは本当に、二人まとめて圧し潰されてしまう。

 けれど。


「ほらよ」


 あっけなく。

 私たち二人を襲った。壊滅的な被害をもたらすハズの力場を。それ自体が無かったかのように、打ち消してしまった。

 なんにも、無くなってしまった。


 ――は?


 困惑するカエル頭。

 だが既にその頭には、アイリが飛びついていた。

 そしてその巨大な顔を攻勢する、小さな手の一つ。アイリはその無数にある中のたった一つを選んで、掴んで、引っ張り出す。


「え? え? え?」


 手の先にくっついていたのは。小柄な。酷く痩せた。髪の毛もなくなった。人間だった。

 もはや男女の区別もつかないが、おそらくそれが、カエル頭の『本体』と呼べるものだったのだろう。


「もうお前の解析は終わったんだよ。お前の霊力フォースのパターンも、もう完全に並び歩くものドッペルゲンガーで再現できる……オレはすでにもう、お前自身と同化しているんだ」

「な、何を……」

「いくらお前のフォースフィールドが強力だとしても、お前はお前自身を拒絶できない。そうだろう?」

「こ、こんなの嘘だ! 私はこんな醜い姿を、余計な部品を! 私は人間を超えた存在で……」

「有名な怪談だから知ってると思うが……並び歩くものドッペルゲンガーを二度見た奴はな……」


 アイリが捕まえて、投げ飛ばす。

 地面に叩きつけて、バウンドしたところをさらに追撃。

 空中で正拳突きを撃ち込んで、遊水地の壁面まで吹き飛ばす。

 さらに壁に跳ね返ってきたところを、またしても拳を構えて。


それっきりネヴァーモアだ」


 言った通りに。

 カエル頭は、『それっきり』でくたばった。

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