第6話:キミノミカタ
長い間ぶっ通しで雨が降っていた。
あるいはもう、雨は止まないのかもしれない。
だってこの雨は『部屋の中』でも降っているのだから。ここはアパートの二階で、このアパートは三階建てだ。雨漏りなんてあるはずがない。
なのに。降っている。テレビもカーペットも、ベッドすらもびしょびしょ濡れている。
――きたれり。きたれり。きたれり。
そして侵入者は。レインコートを着たカエル頭は。口々にそんなことを云った。音声として発したのではない。激しい雨音と雷鳴とは別に、私の中の何かがそれを受信し、理解したのだ。
そこからアイリの動きは速かった。
座ったままの姿勢から跳躍し、背後のカエル頭に対して回し蹴りを浴びせる。そのまま立ち上がり、もう一人のカエル頭の胸に肘を撃ち込む。
屈んだカエル頭の背中を蹴飛ばして跳躍し、複数のカエル頭を次々に踏みつけにする。
しかし。それまで。
空中のアイリに向かい、カエル頭達は頭を『開いた』のだ。
そりゃ当然だ。カエルの頭は、右手と左手を組んで作った模倣でしかないのだから。喋ることも視ることも本途ではない。
手とは捕まえるモノで、指とは弾くものだ。
だからカエル達は頭を開き、これを空中を跳ぶアイリへ向かって伸ばした。
関節とか骨格とか筋肉ではなく、植物のツタのように、タコの触手のように伸ばされた手と手と手が。アイリの手足を首を捕らえ、乳房を潰して天井へ押し付けた。
「……ち! おい! なんて触り方しやがる! 童貞か貴様ら!」
アイリは唾を吐いて見せるが、ただのそれだけだ。天井へ持ち上げられて、捕まれていては、ほとんど身動きが取れない。
私は、アイリを助けるためレインコートの一人に手を伸ばそうとした。
しかしその伸ばした右手も、手首を捕まれ、阻まれる。
私自身の左手によって。
「……え?」
私の左手は、私の意志に関係なく私の右手を捕らえ、そして指を絡ませ始めた。
左手と右手が絡んで。
薬指で目を。中指でまぶたを。人差し指が上顎で、親指が下顎。
指のカエルが、私の目の前に現れた。
――初めまして。お姉さん。
喋った。
いいや、カエルが動かす口の動きが、そういう風に私には見えただけだ。
けれどきっと。これはそういうことで間違いない。
――私は、あなたを救いに来ました。
いきなりそんなことを。このカエルは伝ってきた。
「ダメだユウ! そいつの言うことを聞くな!」
アイリが声を張り上げるが、すぐにその口に指を突っ込まれて、塞がれてしまった。
いいや。わかってる。私だって、いきなりこんなカエルの戯言に耳を貸すほどノンキではない。これは明らかに異常な状況だし、このカエルもおかしい。
「私は救われる必要なんかないよ。そんなの知らない」
――そうでしょうか? 私なら。あなたの左手をもっと良くすることもできますが?
勝手に動く私の左手が、そんなことを云ってきた。
私は息をのみ、それを見たカエルはさらに続ける。
――元のあなたの手を取り戻すことはできませんが。ギターを弾くなら、ジミーとかヘンドリクスとか。そういう左手を与えることができます。そうすれば、再びギターを弾くこともできるでしょう? あなたが失ったものを、ずっと良い形で再び得ることができるのです。左手以外でも。足でも顔でも。なんでも。
「なんで。あんたにそんなことができるの。どうしてそんなことをするの」
――私も元は人間なのですよ。オチミズによって治療を受けた。そして……生命の、宇宙の根源に触れたのです。
万能再生薬。オチミズ。
それは端的に言えば『生命と物質の中間の存在』なのだという。生命も物質も。その存在を究極に還元していけば、いずれオチミズに至るのだと。
だからオチミズは私の左腕をまるっと再生してくれたし。
時には、死者をも蘇らせることもあるのだという。
このカエルも。きっとそれだ。
――そう。私は今や
異能の力をもって、再びこの世に生まれる者。
――この
唐突に明かされる事実。
その話を聞いた瞬間。私は気付いた。この部屋も、私自身も、雨が降っていても濡れていることはない。ただ雨が見えるだけで、それが床を叩く音が聞こえているだけだ。
これは雨ではなく。私の意識に映る『ノイズ』なのだ。
――
なんとなく。話が見えてきた。
ずっとこの都市に降り続けた雨はこのカエルの仕業であり、雨はカエルの姿を隠す。雨が見えて、聞こえる場所なら、カエルは何処へでも入ってこれるのだ。
そして今や、私自身の手もカエルの『端末』にされてしまった。
しかし。それなら。
「欺瞞だ。苦しんでいる人を救うという者が、どうして身を隠す必要がある!」
アイリが、口の中に入り込んだ指を噛みちぎり、これを吐き棄てながら叫んだ。
――それはお互い様でしょう。アナトリア女王騎士団第九位。ナッシング=レイヴン。
カエルが、天井のアイリを一瞥する。
しかし。一瞥しただけ。目を合わせて会話するようなことはしない。
――
その通りではある。
アイリは、自分がアナトリアの騎士であることすら言わなかった。そもそも。烏丸アイリという名前自体、本当の名前ではないとわかってる。
アイリは。そういうやつだった。
――ええ。答えましょう。私は
「ふてぶてしいな。
――救世主は時代から歓迎されないものですね。理解も無い、蒙昧な者が救いを否定し叩き潰す……愚かなことだ。おかげで。こちらは一週間も身動きが取れなかった。とはいえ。時間は私に味方してくれた。おかげでこうして多くの『端末』とパワーを用意することができた!
唐突に、レインコートたちは、その裾から無数の手を繰り出す。
その指が再びアイリの口にねじ込まれ、黙らせる。その手の一つ一つが私を捕らえ、神輿を担ぐみたいに持ち上げた。
あるいはライブ会場で、客席にダイブするバンドマンみたいに。私は持ち上げらられたまま、レインコートたちに送り出されていく。
――このまま私や彼女を追わないのであれば。あなたの命は見逃してあげましょう。レイヴン。
レインコートの列は私の部屋の外まで続き、さらにその先へも私を送っていく。幻影の豪雨と雷が降り注ぐ中で私はレインコートのカエル頭達に持ち上げられたまま、荷物みたいに運び出される。
――しかし尚も私を殺そうとするなら。彼女を救いから遠ざけようとするなら。決着をつけましょう。お互いの存在理由のために。
カエルはそれだけを、アイリに云って。
私を。何処かへと連れ去っていった。
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