第5話:踊れよ、相棒
七日間ぶっ通しで雨が降っていた。
一週間だ。
その間、ずっと雨が降り続けている。止むことすらなく。
けれど。それ自体は今は問題ではない。
「今日はジャッジメントギアをやろうぜ。十試合先取で」
「……いや。退いてよ。これから仕事なんだけど」
所詮ワンルームのアパートであり、ウサギ小屋のような狭さの私の部屋。
当然に廊下も狭くて、身長180cmのアイリの『脚』にかかれば、左脚だけで廊下を通せんぼして余りある。よく鍛えられた、鋼のような強さを感じる白い脚が、私を阻んでいた。
「仕事なんか行かなくていい。今日はオレと一日中ゲームで遊ぶんだよ。ここは今からそうするまで出られない部屋になったんだ」
「あのねえ……」
そういうわけには行かないだろ。常識的に。
少し前に私は借金があるという話をした。いくつかコレクションも手放したという話もした。その上で部屋とか、私の服を見れば経済事情はなんとなく理解できるだろう。
合成ソーセージ工場での仕事は愉快ではないし、残業も辛い。だが働かなければ、収入がなければ、借金を返すことも生活を続けていくこともできなくなるのだ。
みんな。程度の差はあれど、そんな風に生きている。
フーテンではないから。アイリのようには生きられないから。
「いいや。どうしてもダメだね。それでもお前がここを出ようとするなら、こっちは最終手段の用意もある……」
「な、何よ。腕ずくで言うこと聞かせようっての?」
アイリが脚を外して、私の前に立ちはだかる。
腕を組んで。まるで巨大ロボットの出撃シーンのように。
そして。
「やだやだやだ遊んでくれなきゃやだ! 結局月曜からずっとずっと残業してて疲れてて全然遊べてないじゃないか! 遊んでくれなきゃ構ってくれなきゃやだやだやだ!」
突如仰向けに廊下に寝っ転がり、手足をジタバタさせて喚き始めた。
端的に言って、駄々をこねていた。
「うわあ……」
いい歳した、デカい女が駄々こねてる姿を見せられている。
どうしよう。滅茶苦茶いたたまれないし、恐怖も感じるし、あるいはそれを通り越して一種の憐れみすら感じてしまう。交渉とか取引とかこいつの頭には無いのだろうか。
それさえもアイリの計略とするならば、ひどく効果的だったと言わざるを得ない。
「……すみません。預かってる親戚の子が泣き止まなくて……私も頭痛が腹痛で……ごめんなさい」
携帯電話で、工場に連絡を入れた。
勿論工場は忙しい時期である。何事かを意見してきたが、私は半分無視する形で無理矢理通話を切った。同時に、携帯電話の電源も切ってしまう。
さて。
これでもう。今日の所は開き直るしかなくなった。
「うぇーい! 久しぶりにケリつけようぜ!」
電話が終わるや否や、アイリはケロリとした様子で。
ゲーム機をテレビ台から引っ張り出して、配線やらコントローラーのセッティングを始めた。
つくづく。とんでもなく。面の皮が厚い。
「アイリ」
そんな彼女を、私は一度呼び止める。
「……私だってね。流石にね。今、ここで『何か』が起こってることはわかってる。一週間も雨が降り続けているんだもの」
「ほう……」
「そしてあんたが。『何か』しようとしていることも。わかってる」
アイリの眠たそうな目が。ほんの少し。鋭く細まる。
「……変なラノベの読み過ぎだぜ? そんな中二病異能バトルアクションみたいなこと、この
「あら。異能バトルアクションなの? 私はあんたが強盗でも企ててるんじゃないかと気になっただけよ」
街に洪水が起きて、ほとんどが水没してしまって。しかしその騒ぎに乗じて現金輸送車を強盗が襲う映画を見たことがある。
そういうろくでもないことを考えているのかと、心配していたのだけど。
どうやらアイリが想定していたのは、別の可能性であるらしい。
「……かはは」
「笑って誤魔化してもいいけど。私が勝ったら言うこと聞いてもらうわよ」
アイリが準備したゲームパッドを、私は受け取る。
そして、ゲームを起動させた。
ジャッジメントギア。数年前に流行った対戦格闘ゲームだ。ジャッジメントギアは特に細かくバージョンアップが繰り返されたゲームソフトではあるが、これは最終バージョンをさらに家庭用ゲーム機向けに調整したコンシューマ版だ。
要するに。マニア向けにガチガチに調整された本格的な格闘ゲーム。
私もアイリも一時期やり込んでいて、ゲーセンに通っていたこともある。
「私はフレッドを使うけど……」
キャラ選択画面で、私はフレッドを選択した。
炎の剣を携えた、屈強な戦士のキャラだ。見た目通り、接近戦が得意とされている。必殺技の判定が強い故に防御面での性能も高く、自分から能動的に優位な状況を作って行くタフな戦闘スタイルだ。
「じゃあオレもフレッドで行く」
アイリも同じキャラクターを選択した。
私のフレッドが1Pカラーの赤いジャケットを着ていて、アイリのフレッドは2Pカラーの黒いジャケットを着ている。
私は。ジャッジメントギアではフレッドを特に使い込んでいた。いわゆる『持ちキャラ』と言うやつだ。
だが。アイリの方は特定の『持ちキャラ』を決めたりはせず、いろんなキャラを満遍なく使っていた。対戦相手によって使用キャラを変えて戦うこともしょっちゅうだった。
その上でアイリが対戦相手と同じキャラを選ぶ場合。それは『キャラ性能ではなく実力で勝負する』という意思表示でもある。
つまりは。真剣勝負だ。
お互いにキャラを選択、決定して、いよいよ対戦が始まる。
「そもそもあんたさ。何歳なのよ。マジでダダこねるなんてさ」
「はー? 十七歳ですけど?」
「嘘つけ!」
開幕して、序盤は互いに距離を測りながら、ジャブを振ったり剣を突き出して牽制し合う。
お互いの実力は知れているし、いきなり突進してぶつかっていくのも色気が無い。私はバックステップを使って距離をとりつつ、アイリの次の行動に備えていた。
「オレのことは好きか? ユウ!」
先に仕掛けてきたのは、アイリの方。
アイリのキャラが炎の剣を地面に突き立て、火炎が地を這いこちらへ襲い掛かる。いわゆる飛び道具だ。
必殺技であるため、ガードをしても削りダメージを受けてしまう。ジャンプで避けるのもアリだが、それでは近付くことができない。
だが私のキャラは、既に相手の予備動作を見切って、炎を飛び越して空中から突撃していた。
「つまんねーこと聞いてんじゃねーわよ!」
飛び道具は牽制として有効だが、技を出した後の硬直にスキがある。このようにジャンプで飛び越して空中から強襲すれば、こちらにとっては大きなチャンスになる。
対戦格闘ゲームの基本は、牽制→飛び込み→対空の三すくみだ。
牽制をジャンプで躱して飛び込み、飛び込んできた相手を対空技で撃ち落とし、対空技を透かしてリーチの長い牽制技を当てる。
相手の技の性質を理解し、次の行動を予測し、試合をコントロールする。それが対戦格闘だ。
「そもそもなんでこの都市に来たの? 何の用なの? 私に会うためではないでしょう?」
私は空中からアイリに攻撃をヒットさせ、さらにコンボを続ける。最初の一撃を命中させれば、コンボ中はガードや反撃されることなく攻撃を続けることができる。
もちろん。アイリもただ殴られ続けているわけではない。コンボの切れ目やこちらのミスを狙い、反撃のチャンスを伺っている。
「そうだな。この都市に来たのは別の用事があったからだ。それを片づけるため、居候させてもらった」
「それって。雨が止まないことに関係するの?」
「さて、どうだったかな!」
画面端に追い詰められたアイリ。私は攻勢を緩めることなく、足払いや飛び込み攻撃も交えて追撃する。 だがアイリのガードは難く、追い詰めてはいても有効打が出せない。そこでついに私は痺れを切らし、大振りの攻撃を出してしまった。
もちろんアイリはこれをガードして、さらにその隙を見逃すハズも無い。
アイリのキャラが私のキャラの首を掴み、乱暴に地面に叩きつける。
「しかしこれだけは信じて欲しい。オレはユウを守るためにこうしているんだ」
「私を。何から守るって? そもそもあんたが厄介を持ち込んでるように見えるのだけど!?」
「半分は当たっている! 耳が痛い!」
地面に叩きつけられ、バウンドしたキャラをアイリは追撃。そのまま自身もジャンプして空中コンボへ以降。正拳を叩きつけ、私のキャラを画面の反対側まで吹き飛ばしてしまった。
「だが『あいつ』はそんなこと思っちゃいないだろうな! ぶっちゃけかなり怒ってる! オマケに毒マムシみたいに陰湿だから、ユウを巻き込んでも平気なんだろうな!」
「なんて迷惑な……結局アイリが虎の尾を踏んづけたからいけないんでしょうが」
「いやあ……本当にこれは申し訳ない。もっと早く『あいつ』を見つけられるハズだったんだが、予想以上に面倒な能力でな!」
画面端に叩きつけられた私のキャラは、またバウンドしてアイリのキャラの方へ戻ってくる。
アイリのキャラは再び空中で正拳を出し、私のキャラを画面端まで吹き飛ばす。
ループコンボだ。
「じゃあコンビニで私が見た『カエル人間』も、何か関係があるの?」
「アレは単なる端末だ。だが……しかし……」
三度の正拳突きの後、さらにアイリは空中コンボで私のキャラを広い、アッパーカット後のカカト落としで地面に叩きつけた。
ここからは追撃する方法はない。私はアイリを迎撃するために、起き上がりに必殺技のコマンドを準備する。
瞬間。
轟音と。閃光。
近くで落雷があったらしい。
いつの間にか、雨は激しく強くなっていた。昨日までのしとしとした雨とは違い、バケツをひっくり返したような豪雨が街を包んでいた。
「…………」
けれど。私の手が止まったのはそれが原因じゃない。
落雷くらいで勝負を中断するワケが無い。
それとは、全く別の原因で。
「……来たか」
どういうことか。
レインコートを来た人間が、私の部屋に入ってきている。一人や二人ではない。私とアイリを取り囲むように、みっちりと、ぎっしりと、詰まっていた。
レインコートも、長靴も、みんなびしょびしょに濡れていて。
そしてやはり。その顔は。『指で作ったカエル』だったのだ。
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