第2話:これが私の仕事です

 四日間ぶっ通しで雨が降っていた。

 そして昨日の夜から、烏丸アイリは私の部屋で居候を始めた。


 別にそれはいい。たいした問題じゃない。どうせ昼間は仕事に出ているし、部屋の中に金目のモノなんてほとんど置いてない。元より放っておいても問題ないのだ。

 ただし。それでも近所の目というものは流石に気になるので。あまり目立ったり騒がしくなるようなことはするなと厳命しておいた。

 

「わかった。あんまりうるさくしないよう大人しくしてる」


 眠そうな目をしていたが、アイリは、そう答えてはくれたので。

 信じてやる。一応は。


 とはいえ。今日も仕事だ。まだ火曜日で、一週間は始まったばかりなのだから。

 私が働いている工場では、合成ソーセージを作っている。合成とは言うが、タンパク質やビタミンが豊富に含まれており、この街では誰もが食べている栄養食だ。

 まあその。味については。あんまり褒められたものではないけれど。

 それでも価格は安いし、保存性も良い。いろいろ料理にも使えなくもないので、貧乏人には有難い食材だ。


 衛生管理も徹底している。作業もほとんどが機械任せであるから、私の仕事は指定された材料を必要な量だけ機械に投入し、パッケージングされたモノを出荷するだけだ。

 ただし。長年使い続けているせいか、機械もだいぶ古くなっている。最近はトラブルで停止してしまうことも多くなってきたし、機械が止まれば当然に生産は遅れる。すると生産管理を担当する上司がこちらに嫌味を言ってくるのだけど……まあ、よくあることだ。

 

 修理やメンテナンスにもっと時間をかければマシになるのだろうけど。現実としては難しい。

 それをしたからといって、トラブルが全くのゼロになるとは保証できないし。

 それならば、とりあえず壊れるまで機械を回して、後のことは壊れてから考えれ良いというのが経営側の判断であるらしい。


 ある意味ではおおらかではあるし。

 問題を先送りにしているだけとも言える。

 知らないけど。


 それでも。それでも最近は特に作業がしんどい。ここ最近は工場も人手不足に陥っており、にもかかわらず機械の稼働率を下げるわけには行かず、一人一人の作業量が多くなってきている。

 いいや、正直それでも足りないくらいで、生産量を維持するために残業も行わないといけない始末だ。

 もう夏至だというのに。結局今日も、日没後まで働いてしまった。

 暗く分厚い雲から、しとしと降り注ぐ雨が流石に恨めしい。

 空が晴れていたとしても、別に残業が減るわけでもないし、疲れが消えてなくなるわけでもない。

 それでも傘に雨を受け、水たまりにつま先を濡らしながら家路につくのは、流石の私でも気が滅入ってくる。


 工場からアパートまでは、歩いて十五分程度。

 山を切り開いて作られたニュータウンで、街灯も多くて治安もそう悪くない。静かに過ごすには良い所だとは思う。


 途中で、遊水地が見えてくる。

 ここら辺は少々水はけが悪いので、山の方から流れてくる雨水を一時的に溜めていく池が存在する。連日降り続ける雨によって、その遊水地も泥水でいっぱいになっていた。

 もちろん。危険なので近付いたりはしない。周囲も暗いし、フェンスの向こうからなんとなく眺めて、通り過ぎるだけだ。


 雨はまだ止まない。

 このまま雨が降り続けたら、洪水にでもならないかしら。

 そこに何かしらの希望を抱いているわけではない。ただ、憂鬱な状態が続くと、そんなくだらない考えも頭の片隅に浮かんで来るものだ。

 いっそすべてが破滅して、崩れ去ってしまえば。工場もアパートもこの街も、全部水に流されてしまえば。あるいは痛快な気持ちになれるだろうか? とか。

 知らないけど。


 そんな妄想とも愚痴ともつかない思考を巡らせたまま歩いていたら、いつの間にか自分のアパートに着いていた。

 三階建ての軽量鉄骨造。白くて四角いだけの箱。その二階の西側の角部屋が私の部屋だ。


「よお。おかえり」


 慣れない。

 一人暮らしをしていた時期が長くて、こういう時なんて挨拶をすべきか忘れてしまった。

 私はなんとなく、ああとかうんとか頷くだけにして、靴を脱いで部屋に上がる。


 部屋に。烏丸アイリがいた。

 窓際で膝を立てて座っていて。その手に缶ビールなどぶら下げていた。

 いいや。既に二本は空けている。銀色の空き缶を適当に床に転がしていて、片付けもしていない。


「……いいけどさあ」


 元より。それほどビールが好きだというわけではない。

 ただ、なんでもいいから手っ取り早く酔いたいという時に、ビールは役に立つ。そういう日がいつ来てもいいように、冷蔵庫で冷やしていたモノだ。

 当然に飲まない日も普通に在るし、飲むとしても一本飲めばすぐに眠くなってしまう。用意はしていても、結局は余らせがちなのだ。


「カーテンは閉めなさいよ。外から見えるでしょう」

「雨を見ていたんだ。窓は開けてないし、湿気も入ってこないよ」

「そうじゃなくてえ……」


 ワンルームのアパートで、ベランダの物干し台に面した窓。

 アイリはそのカーテンを開けてしまっていた。

 いいや。開けていること自体は構わない。外に出ず、ただビールを飲んでいるだけなら近所の迷惑にはならないはずだ。


「なんで全裸なのよ」

「……? 服を着てないからだが……」


 これである。

 私はわざとらしく、アイリにも聞こえるようにため息をついた。


 本人の言う通り、アイリは今服を着てない。文字通りに一糸まとわぬ姿だ。

 血色が良くも白い肌。手足が長く均整のとれたプロポーション。太腿も肩もしなやかな筋肉によって膨らんでいて、腹筋なんかはぼこぼこに割れている。

 それでいて、胸やお尻は女性らしいやわらかさと丸みを備えている。というか普通に大きすぎる。世界のどんな果実にも形容しがたいほどにそれは大きく、豊かに実っている。

 美術彫刻のような美しさを保ちながら、鋼のように鍛えられた肉体。 

 

「アイリって、今なんの仕事をしているの?」

 

 あんまり直視しているとむしろ目の毒だ。

 私はキッチンに向かって、石鹸で手を洗い始めた。

 アイリの太腿と比べると、それこそ五本あっても太さが追いつかないんじゃないという細さの、私の手を。

「ポルノ女優」

「…………」

「に、なってみたかったが、オーディションには受からなかった。大衆には、オレの美しさを理解できる奴がいないらしい」

「そりゃ残念だったね」

「不本意ではあるが、相変わらず今も違法廃棄物の処理を業者から委託されてるよ」

「大変ね。知らないけど」

「……ああ、後は、先生もやってたりするかな」

「先生って、学校の教師?」

「いいや。どっちかというと家庭教師かな……」

「ふうん……」


 爪の間から、指の股、手首から肘まで丁寧に、私は手を洗う。

 食品関係の仕事についていると、なんとなく普段の手洗いも丁寧にしなければ落ち着かなくなってしまうものだ。

 爪も短く切ってしまったし、髪もショートヘアにしている。

 

 だから。アイリが普段どんな仕事をしているか、よくわからない。

 廃棄物の処理と言われても、具体的にどこで何をする仕事なのか聞いたことはない。彼女の体格を見れば、ある程度の肉体労働でも難なくこなせるとは思うのだけど。『処理を委託されている』という言い方が曖昧過ぎて、実態が掴めない。

 おまけに、今は先生だとも言う。

 

 とはいえ、まあ、そんなことはどうでもいいのだけど。


「少なくとも家政婦ではないわけね……」

「家事をやって欲しかったのか? 生憎だけど、そういうのはやってなくてね」

「こっちは残業で遅くまで働いて、腹ペコになって帰ってきているって言うのに……」

「かはは。何だそんなことか。メシの用意ならもうできているよ」


 私は首を傾げる。

 改めて。アイリが居る部屋の真ん中にあるテーブルを見る。

 当然そこには何も乗ってはいない。ゲームのコントローラーとかメモスタンドがあるっきりだ。

 さてはと思い電子レンジも開けてみるが、やはりそこには何も入っていない。冷凍庫の中には何食分かの冷凍食品TVディナーが入っていたハズだけど、それを解凍していたというわけでもなさそうだ。

 ならば炊飯器で米を焚いているのかと確認してみるが、こちらは電源すら入っていなかった。


「ちょっと……デタラメ言わないでよ。血糖値が下がってるしちょっとイライラしてるんだから」

「まあまあ落ち着けって。そろそろ来ると思うから」

「来る……?」


 要領を得ない言動に困惑していると。

 呼び鈴ピンポンが鳴るのが聞こえた。


「はーい。今出まーす」

「いやいやいやいや! あんた全裸でしょう! 出ちゃダメ! 出るな!」

「おお。つまり『私以外の人間に肌を見せて欲しくない』という意味か? ただそれだけナッシングモアにしろと?」

「そういうのはいいから! ドア閉めて! 閉める!」


 無理矢理に私は会話を打ち切り、部屋のドアを閉める。

 そして玄関へ向かい、今度はドアスコープを覗きこみ、そして諦め、玄関を開けた。

 しばらくやりとしてて、モノを受け取って、部屋に戻ってくる。


「ほらな。メシの用意ができた」

「……Lサイズじゃないのよ。これ……」


 私が抱えていたのは、アツアツのピザ。

 生地のふっくらした、マルゲリータピザだ。トマトもチーズもたっぷり乗っている。


「デラ美味そうじゃねえの。良かったなあ!」

「現金支払いだったんだけど。これ……」

「ああ。それが何か?」

「……いいけどさあ」

 

 ピザは高いし。雨が降ってる中注文するのは気が引けていたのだけど。

 言いたいことはいろいろあったが、とりあえず今は、飲み込むことにする。


「ともかく。全裸の女の前じゃ食べにくいわ。せめてパンツくらい履いて」


 なんか疲れた。

 私は席について、ピザの箱の蓋を開いて、アイリからの視線を切った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る