服わぬ者
町を出てから7日、私は森を抜け人が通ったことによってできた小さな道を進んでいた。
それなりに余裕を持たせて進んできたので馬に疲れた様子はない。
なるべく急がせるのも考えたのだがな……だが、いくらかかるかわからない旅程だ。
馬を使い潰すような真似は控えた方がいいと判断した。
文句を言わず働いてくれる馬の首を撫で、また視線を前に戻す。
道の先にこちらに歩いてくる集団が見えた。
みな長い外套に身を包み、籠を背負っていかにも旅慣れているというふうに見える。
その姿を確認して私は馬を降りた。
降りた理由は旅人の習わしだ。
町の外を歩く時、人は集落という集団から離れた事に寂しさを感じるもの。
ならばお互い旅をする者同士、すれ違う時は言葉を交わして寂しさを紛らわせよう。
その時に互いが少し得をすることをするのがいい。
恩を感じればもしもの時に助けてもらえるかもしれないから。
だったか。
いつの誰が言ったかはわからないが、確かそんな意味が込められていたはずだ。
今となってはその意味を覚えている者は少ないが、それでも未だ続いている事から察するに多くの旅人がそれに賛同したのだろう。
「おお久しぶりじゃな、我が息子よ」
先頭を歩く白髪の老人はそう言いながら抱き締めてきた。
息子?
流石にそこまで言うのは初めて聞いた。
どう返すべきか迷っていると、その後ろの茶髪を長く伸ばした女性が補足してくれた。
「気にしないでください。この道ですれ違う人みんながお父さんの子供なんです」
「阿呆め!この道は先祖代々我が一族が歩き通した、我が家のようなもんじゃ。そこを歩く旅人が家族でないわけあるか!」
こんな調子です、と言うかのように女性が肩を竦める。
この老人は後ろの女性の親か。
たしかに顔をみればどことなく面影があるように見える。
それは更に後ろにいる人達も同じだった。
という事は、これは全員家族か。
「久しぶりです、お父さん」
手を差し出しながらそう返す。
息子扱いなど長らく無かったが、たまにされてみるのもいいものだ。
それに、その方がお互い心地よい。
「ガッハッハ! うむ、主は我が息子じゃ! この先生涯病に悩まされる事は無いじゃろう!」
ちょっと目を丸くした老人だったが、すぐに差し出した手を握って豪快に上下に振った。
気に入られたのか、手を離しても肩をばしばしと叩いてくる。
とても老人とは思えない力強さだった。
「それで、あなた方は何をされているのですか?」
「うむ。ワシらは先祖代々、この道ができた時からこの道を歩き、薬を調合しては町と村を売り歩いておるのじゃ」
つまり、この道専門の薬の行商人、という事か。
小さな村になると、流行病というのはずいぶんな脅威になる。
その薬草が周辺で採れるならまだいいが、もし採れなければそれで村は壊滅だ。
その時にこの一家のように薬を運んでくれる商人がいるのなら、被害は出ようが全滅はしない。
小さな村にとっては不可欠な仕事だろう。
「確かに、この道の家主のような物ですね。一所に留まらない苦労はあるでしょうが、無くてはならない役割です」
「その通り!して、古きしきたりを守る一家でもある。息子よ、なにか困り事はあるか?」
ささやかな得を、という事か。
言い方からするにその意味すら知っていそうだ。
言葉こそ本当に我が子を心配するようなものだが、それだけで目が商人の目になった。
少しくらい遊んでもいいか。
「どうやらこの先病には悩まされないようなので、薬以外の物をお願いしたいところですね」
先程の老人の言葉を使った言葉遊びだ。
老人も商人なのだから、この程度で怒りはしないだろう。
思った通り、老人がニヤリと笑う。
「主のような物が心配すべきは病ではない。戦の刀傷じゃ。そうじゃろう?」
恐れ入った。
やはり商人というのはそうそう口先で騙せるような物じゃない。
それに加えてこの老人は経験も積み重ねているのだ。
私が遊ぶなどと言っていいものではなかった。
「然り、ですね。では傷薬を頂けますか?」
「うむ。我が一族に伝わる秘伝の軟膏じゃ。塗ればどのようなキズであろうとたちまち癒すじゃろう。それとこれじゃ」
老人が言う通りなら大層な効能のある傷薬の後に、もう一つ薬瓶が付け加えられる。
振ると水の音がするので、軟膏ではなさそうだだが。
「これは?」
「主のように豪胆な物にはいらんかも知れぬが、
「お義父さん!子供に変な事聞かせないでください!」
ニヤニヤと笑う老人に、後ろの男性が声を荒らげる。
先程の女性の夫だろうか?
彼の顔は老人にも女性にも似ていない。
多分そんな所か。
という事は小さな子供は娘夫婦の子か。
「ありがたいですが、ご心配には及びません。どうせ相手もおりませんから」
こう答えながら、別れの時のアインの行いが頭をチラつく。
あれには意味があったのだろうか?
どこかには頬を合わせる挨拶があるとは聞いた事があるが、あんな挨拶は聞いた事がない。
まあ私も全てを知っている訳では無いのだ。
そういう挨拶もあるのかもしれない。
「なんじゃ、そうなのか? 惜しいな、娘に婿がいなければ嫁にやった物を」
「ちょっとお父さん!私はこの人が好きだから結婚したのよ!」
「冗談じゃ冗談」
「冗談でもやめてください!」
「う、うむ。すまんかった」
娘に反論され、更に婿養子に追い打ちをかけられて老人が謝る。
それだけ愛の深い夫婦のようだ。
きっと末永く幸せになるだろう。
「それで、私からは何を差し出せばよろしいでしょうか。見ての通り戦うしか能のないもので」
銀貨なら多少はあるが、それを差し出すのはタブーとされる。
旅の途中で金を巻き上げるのは山賊や盗賊のやる事だし、それに金を対価として払ってしまえば恩はそれっきりになってしまうから。
それでは意味が無いのだ。
「ワシとしては愉快な一時で十分、と言いたいのじゃがな。ご先祖さまが許すまい。はて、何にしたものか」
老人は豊かなあごひげを弄りながら考え込む。
急かす必要はない。
私としても愉快な出会いだった。
別れまで気持ちよくありたいものだ。
「あの、一つよろしいですか?」
老人の娘が、自分の後ろに隠れる子供を前に押しながら聞いてきた。
「もちろんどうぞ」
断る理由もない。
大抵の事は快く引き受けよう。
「この子、剣が見てみたいんです。薬草が鉄を嫌うので私たちは持たないのですが、やはり男の子なので」
ああ、なるほど。
たしかに小さいうちは英雄が使う剣に憧れるものだ。
私も覚えがある。
しかもこの子は、本来なら同年代の子供たちと棒切れを振り回すところを家族と共に薬を売り歩いている。
そのくらいなら何度でもだ。
「それくらい、お安い御用です」
剣帯から愛剣を外し、剣を抜く。
普通の剣なら白く光を反射する所を、呪詛の篭ったこの剣は赤く鈍く反射する。
呪詛とはいえそれは使い手次第だ。
子供に見せようが心配はない。
「触ってもいい?」
「刀身は危ない。柄を握ってみるか?」
目を輝かせる少年に柄を差し出し、しっかり握ったのを確認して手を離す。
一瞬耐えたように見えたが、流石に少年の筋力では耐えきれずすぐに刃先が地面に埋まってしまった。
「だろうな。その剣は重い」
剣というのは大概重量があるが、あの剣はその中でも一際重い。
慣れなければ少年でなくとも支えきれないだろう。
「なかなかの業物じゃな」
「わかりますか?」
「うむ。歪な魔力も篭っておる。その剣を打った者は余程の心を込めたらしい」
脱帽としか言いようがない。
私は魔力に関してはからっきしだが、魔力を見る事自体は比較的簡単だと言う。
だが、老人のように見ただけで謂れや形まで分かるのは誰でもできることではないだろう。
「お孫さんに危険な物を持たせてしまいすみません」
あの剣に込められているのは言わば呪いだ。
そして、当然ながら呪いに対していいイメージを持つ者は少ない。
機嫌を損ねてしまったかもしれない。
「構わん構わん。毒を持った草も使いようによっては薬草にもなる。一度毒に触れねば覚えまいよ」
薬師らしい考え方で言われ、胸をなで下ろす。
いい人だ。
武の道にいれば彼を慕うものは大勢いただろうことは想像に難くない。
「おお、やりおるな」
老人の言葉に振り返ってみれば、少年が腰に柄頭を当て、震えながらも刃先を地面から浮かせていた。
「これは凄い」
私の見立てだと少年には持ち上げられないだろうと思っていたのだが、予想に反して彼は少しだけとはいえ剣を浮かせていた。
少年の体格で持ち上げるか。
剣を握らせ訓練を積めば、名のある剣士になれるかもしれない。
それは、私が口を挟むことではないだろうが。
その時、震えながらも保っていた少年は遂にバランスを崩した。
慌てて剣を握り、少年を支える。
「はは、流石に難し──」
「頑張ってね、おにーさん」
ぞわり。
背骨を引きずり出されるような悪寒。
すんでのところで少年を投げ出す事は無かった。
が、その必要は無かった。
少年が消えた。
見えなくなったとかそういう話ではない。
本当に、消えてしまったのだ。
腕になんの重さも感じない。
突然に事に呆然とし、素早く辺りを見回してみれば、いなくなったのは少年だけではなかった。
老人も、その娘夫婦もいない。
突然人が消えた事に驚いたのか、馬が落ち着かなさげにしているが、他に生き物の影はなかった。
慌てて腰の袋に入れた薬瓶に手をやる。
コレまで無くなっていれば、なにか良くないものに騙されたと言うことになるが……。
しかしその心配は杞憂だった。
袋の中には確かに、薬瓶が2本入っているし、何かを掠め取られたようでもない。
首わ傾げながらなんとなしに薬瓶を袋から出し、眺める。
なんだったんださっきのは……。
薬瓶がこうして残っているという事は、彼らは幽霊や幻覚では無い。
かと言って、ならなんだと聞かれれば答えに困る。
それくらい、彼らは生きていた。
ふと、薬瓶の中身が気になった。
まずは傷薬だと言って渡された瓶を開ける。
中に入っていたのは軟膏だった。
少し匂いはキツいが、それだけ。
確かに薬だ。
問題はそういう事に使うと言われて渡された方。
先程は水の音がしていたのが、今は振ってもなんの音もしない。
いくらなんでもおかしい。
割れてもいない瓶から水が消えるなど、有り得ないのだ。
何が起きても対応できるように身構えつつ、封をあけて口を下に向ける。
落ちてきたのは1枚の紙だった。
警戒したのが馬鹿らしくなるくらい、あっさりと落ちた。
いや、触れればどうなるかわからない。
あの老人の実力は見えないが、呪いにも詳しいようだった。
警戒は緩めるべきではないな。
抜き身のままの剣先を使い、畳まれた紙片をゆっくりと開く。
開かれた紙片には、こう書いてあった。
『龍を殺す者。僕に従え。意のままに動け。君の背後には常に僕がいることを知るがいい』
そして、紙にはあの黒龍の居場所を示す地図が浮かんだ。
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