29.知るものと知らないもの

 私は町の中の丘に来ていた。

 露店市は良かった。

 色々あったし。

 傭兵が多いだけあって心躍る武器防具が多かった。

 他にも古着屋や薬売り、果物や食べ物など色々な店もあった。

 ただ、酷く疲れた。

 人混みのせいというのもある。

 元々嫌いだし。

 だがそうじゃない。

 原因は他にある。


 それは、商品の前に置かれた値札だ。

 当然のことだか、そこに書かれているのは異世界語だ。

 日本語とは全く違うし、英語でもない。

 地球で見覚えのある言語とは似ても似つかない、未知の言語だ。

 当然読めるはずがない。

 そう思っていた。


 だが違った。

 読む事ができた。

 何ら困ることなく、まるで母国語かのように読む事ができた。

 見覚えがないのにも関わらず、だ。

 見えている文字に覚えはない。

 だけど読める。

 意味が分かる。

 その認識の差に脳が追いつけていない。


 頭が混乱する。

 何がどうなってるんだ?

 という事は、私が今まで当然のように聞いて理解し、言葉で返していたのはどこの言葉だったのだ?

 まさか文字だけ異世界語で発音は日本語、なわけがあるまい。

 私が口にしていたのは異世界語。

 それも当然のように日本語として認識していた。


 隠さず言おう。

 それが怖い。

 自らの認識のズレが、考えれば考える程に怖い。

 私が信じてるものはどこまで正しい?

 私がそう思っているだけで、本当は違う物はなんだ?

 私が見ているものはなんだ?

 触れている感触はなんだ?

 感じているものは?

 匂いは?

 私は本当に死んだのか?

 突然脳梗塞かなんかで意識不明になり、今も病院のベットで寝てるだけなのでは?

 いや、そもそも私は本当に存在しているのか?

 誰かの想像の中の住人で、自分が実在していると信じ込んでいるだけの可能性は?

 私が以外の全てが私の妄想の可能性もある。

 本当な私は何も無い真っ暗な空間で、想像の世界に頼っているという可能性も───────。


「や」


 ぽんと、頭に手を置かれた感覚。

 顔を上げると、謎男がいた。

 いつも通りよく分からない笑いを浮かべている。


「どうしたの」


 思わず耳を塞ぎたくなった。

 この言葉はどこの言語なんだろう。

 日本語か?

 異世界語か?


『喋るの怖いの?これでどう?』


 そう言う謎男の声が頭の中に直接響いた。

 念話か。

 そういえば最近使ってなかったな。

 だけど、どっちみち理解できないズレがある事に変わりない。


『念話は言語じゃなくて考えてる事のやり取りだから、変な心配しなくていいと思うけどなあ』


 それが本当か私に確かめる方法がないだろうが。


『面倒臭いな。ちょっと読ませてもらうよ』


 は?

 お前何……がっ!?


 頭の中を撫でられる感触。

 気色悪い気色悪い気色悪い気色悪い気色悪い気色悪い気色悪い気色悪い気色悪い気色悪い気色悪い気色悪い。


『ぐっ……お前、何を!』

『仕方ないでしょ。喋ろうとしないんだから』


 謎男が悪びれもせず言う。

 何をされた?

 分からない。

 ただ不快で、気持ち悪かった。

 絶対に碌でもない事だ。


『ふーん。だいぶぐちゃぐちゃしてるね。何があったか知らないけど取り乱し過ぎ』


 なんか一人で納得してる。

 その前に説明しろ。

 何したお前。


『ん? 簡単に心の中見させてもらった。安心してよ、そんなに深いところまで行ってないからさ』


 は?

 心を?

 こいつが?

 鳥肌が立つ。

 何がどうとか関係ない。

 心とは不可侵でなければならない。

 誰が触れるでもなく、誰に見せるでもなく。

 それを無理矢理覗く?

 それは私への侵犯だ。

 許されることでは無い。


『言ったでしょ。表面を軽く撫でただけだって。数分の心理状態を見ただけだし、そこまで過剰にならなくてもいいと思うけどなあ』


 ……いや、落ち着け。

 取り乱すな。

 こいつに喧嘩ふっかけてもいいが、まず勝てない。

 余計惨めな結果になる。


『そうそう。余計な事しない方がいいよ。で、何起きてたんだか……おや、君光龍から言葉教わってなかったの?』


 教わってない。

 念話が通じてたからそんなもんだと思ってた。


『いくら龍とは言え無責任なやつだなあ。念話の障害を知らない訳でもないだろうに』


 謎男が私にベンチを勧めつつ自分も座った。

 特に反抗する理由もないので私も座る。

 できるだけ距離を空けて。

 なんか謎男は苦笑いしてた。


 で、なに障害って?


『生まれた時から念話で会話してると、ちょっとした不都合が起きる。特に龍はね。何かわかる?』


 ……わからん。

 今の私と関係あるんだろうけど、そもそもなんで私がこの世界の言語を理解してるのかもわからないのだ。

 推察のしようがない。


『念話って言うのはさっきも言った通り感情のやり取りだ。伝えたいと思うと、それが口に出すという過程を飛ばして相手に伝わる。結果、そこに言語の壁は存在しない。できる訳がない』


 だから、生まれた時から念話に頼ってると言語を理解できない……って事?


『正解』


 そう言いながら謎男が指をパチンと鳴らした。

 どうでもいいけどそれウザイからやめろ。


『普通の生物なら、たとえそうなったとしても自分達が使う言語を聞かないってことは無いから自然と覚えてくんだけど、龍は魔力の吸収があるからね』


 待って。

 つまりあれか?

 念話だけに頼っていると言葉がわからなくなる。

 その状態で言葉を喋れる龍の魔力を吸収すると、それで急に言語を理解するから認識がズレるってことか?


『大体はその通り。魔力ってのは言うなれば水だ。持ち主の経験や思想が溶け込み、いつしかその持ち主特有の色を示すようになる。その中には積み重ねた技術とかも含まれてるから、もちろん言語能力とか魔法の技術も含まれてるね』


 そうか、そういう事か……。

 初めて会った時、謎男が言っていた。

 私の力は光龍から移った物だと。

 つまり魔力を通しての力のやり取りだ。

 その結果、この世界の文字なんか見た事もない状態の私が言葉を理解し、この世界の言語を見た事はないけど理解しているというよくわからん状態になった。

 それが、念話の障害の正体。



『特に君の場合、まだ経験が浅くて薄い魔力だったからより強く影響を受けたんだろうね。君からは光龍に近い魔力を感じる』


 今までそういうものだと思って何気なく使っていた魔法。

 どうやらお母さんが私に遺していってくれたもののようだ。

 ちょっとだけだけど、胸が熱くなった。

 お母さんは多分そこまで考えてないし、私が勝手に利用しただけだとは思うけど、それでも少しだけ。


『あ、でもそれだけじゃないよ。光龍の魔法技術は龍の中でも上から数えた方が早い。並の龍じゃほとんどを取りこぼしていただろう。ところが、君はそのほとんどを受け止めきった。元々の魔力の許容量が大きくなければできない事だ。それは君の才能の一つ。誇っていい』


 思わぬところで太鼓判。

 まあ、悪い気はしない。

 魔法の才能があるってだけでわくわくするし。


『でだ。どう?収まった?』


 うーん……よし。

 多分大丈夫だ。

 原因がわかればなんてことはない。

 人は未知のものを恐れるのだ。

 真実を知れば怖いものなど何も無い。

 私龍だけど。


『それは良かった』


 うーん、この……なんて言うか…むず痒いこの感じ。

 ええーい!

 プライドに拘っている場合じゃない!


「……ありがとう」


 言いました!

 ちゃんと口に出して言ってやりました!

 癪だけど!

 ものすごい癪だけど!

 感謝してない訳じゃないからな!

 言うときゃ言うよ私は!


 で、その謎男と言えばポカーンとしてた。

 なんだその鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔。

 私がお礼言うのがそんなに意外か?

 私だって礼儀を知らん訳でもないぞ?

 なんか腹立つし腹の風通し良くしてやろうか?


「どういたしまして。素直なお礼聞けるとか思ってなかった」


 一言多いわボケ!


 ギャースギャース心の中で散々罵倒した後、気になったことを聞くことにした。


「何故都合よくここにいた?」

「後つけてたから」


 きもい。

 お前も誘拐犯案件か?

 財布差し出したら許してやるぞ?


「何その目。君にもちょっとくらい手助けしないと不公平だからね。飛んできたらガタガタ震えてたから丁度いいやって」


 ガタガタ震えてたは余計じゃ。

 てか不公平ってなんだ?

 誰の話をしてる?


「知りたそうだねー。教えないけど」


 は?


「言ったでしょ。僕は道化師。掻き乱す者トリックスターだ。最高に面白い結果の為には労力を厭わない。そして今君に教えない方が面白そうだとも思った。だから教えない」


 あっそ。

 あれだわ。

 こいつやっぱ信用しない方がいい。

 てかできない。

 危険すぎる。


「酷いなあ。今の所君に危害加えるつもりはないんだけど」


 今の所、ってついてる時点で信用ならんわ。

 もう少し誠実そうな面になってから言え。


「無理おっしゃる。まあその辺はおいおい親睦を深めようよ。ほら、約束のリンゴのパイ。食べる?」


 わーい食べるー。

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