栄光の別れ

 マリウスとの別れから三日後。

 陽も落ちきろうかという時間にエストハイゲンへと辿り着いた私は、冒険者ギルドの私室で副ギルドマスターのアインと向き合っていた。


「それで、話とは?」


 私が帰るなりいきなり呼び出されたアインが、もっともな事を聞く。


「ああ。私は旅に出ることにした」

「旅?」


 私の答えに形のいい眉を顰める。

 当然だろう。

 凱旋の為にしばらく空けると言っていた人物がたった数日で舞い戻り、更に旅に出るなどと言えば普通なら何かまず耳を疑うのも無理はない。


 だが、支部とはいえギルドマスターたる私が長い間ギルドを空けるとなると、その皺寄せは全て副ギルドマスターであるアインが負うことになる。

 かと言って止めろと言われて止めるほど決意は軽くないのだから、説得しなければならないのだ。


「なんの為に? まだ見ぬ世界へ、なんて青臭い事を言うのなら殴ってでも止めますが」


 既にパンチが効いているがな、という軽口は寸でのところで飲み込む。

 アインは元凄腕の冒険者だ。

 私とてまともに殴られれば無事では済まない。


「この間の黒龍がいただろう」

「はい。目撃情報は東の森を越え親龍王国へと向かうのを最後に途切れています」

「そいつを追いかける」

「……はい?」


 思わず、といった様子でアインが聞き返す。


「東へ逃げた黒龍を討ち取る旅に出る」


 再び目的を口に出すもアインはいまいち理解できていないようだ。

 まあ、それもそうだろう。

 黒龍は逃亡を計り、既に帝国外へと逃げ出している。

 わざわざ追いかける必要など、本来ならないのだから。


「何故わざわざ?」

「あの黒龍が普通の龍ならば私とて深入りはしない。もっとも、普通だったのならあの場で殺せていただろうがな」


 そう、あの黒龍は普通ではないのだ。

 だからこそ、不確定要素は潰しておくに限る。

 そして、比較的自由に動ける中で殺せる可能性があるのは私しかいない。


「その理由も分かりません。説明して下さい」


 普段は冴え渡っているアインも、今回ばかりは理解が追いつかないらしい。

 まあ、無理もないのだが。


「あの黒龍は私に対する明確な殺意を持っていた。たった一度の敗走で諦めるようには思えない。諦めないのならばより力をつけ確実に私を殺そうとするだろう」

「それは……あの黒龍ならあるかもしれませんが」

「もし私がこのまま町に留まっていたとしよう。そこには何人もの守るべき市民がいる。そして、相手は人に化ける狡猾さを持つ黒龍だ。どうなるのかは容易に想像できるだろう」


 人質、囮、肉壁。

 やりようはいくらでもある。

 その時は戦う術を持たない一般人が犠牲になるのだ。

 それだけは避けなければならない。


「そうかもしれません。ですが」

「それにだ」


 何か言おうとしたアインを遮る。

 まだ話は終わっていない。

 理由はそれだけではないのだ。


「私とてギルドマスターである前に一人の冒険者だ。栄誉と自由への渇望は今尚尽きることはない」

「……」


 私の心情を隠さず伝える。

 そしてこう言われてしまえば彼女は否定できない。

 できるわけがない。

 彼女もまた、元々は冒険者として溢れんばかりの名誉を得たいと願った事があるのだから。


 しばらく悩むように口元に手をやっていたアインが、やがて諦めたように息を吐く。

 その顔は呆れたような笑みを浮かべていた。


「そこまで言うのなら仕方ありません。貴方は貴方の望むままにして下さい」

「ありがとう」

「ただし条件があります」


 頭を下げた私にアインが条件を突きつける。

 さて、どんな条件だろうか。

 あまり厳しくては困るな。


「難しい事ではありません。黒龍を討伐するまで帰還は禁止です。黒龍を討伐した証を持ってこなければこの町には入れないと思ってください。もし入ろうとするならば、換金の手数料に不満を持つ冒険者が貴方を叩きのめすでしょう」


 アインはいつもと同じく無表情だが、目の色はどこか面白がっているように見えた。

 珍しい。

 何かが彼女の琴線に触れたのだろうか。


「それは。手数料を決めたのはどこかの副ギルドマスターだった気がするのだがな」

「貴方がいない間私がギルドマスター代理です。印象操作なら貴方より上手く立ち回りますよ」

「否定できないのが恐ろしいな」


 ギルドマスターと言う立場上腹芸にはそれなりに自信はあるが、それもアインには及ばないだろう。

 アインが本気を出せばそれはたしかに実行されるだろう。


 ……彼女のようなタイプが一番権力を持ってはいけないのじゃないだろうか。

 そんな気がする。


「それでは、先程も言いましたが貴方がいない間は私がギルドマスター代理という事で構いませんね?」

「ああ。運ぶのが面倒なら業務は私の部屋でやってもいい。私がいない間は頼んだぞ」

「はい。おまかせください」


 これで、私の権限は全てアインに移った。

 今の私はギルドマスターでもなんでもない、龍を殺すというありふれた夢を持つただの冒険者となった。


「いつ出ますか?」

「明日だ。早い方がいい」

「わかりました。旅費や保存食などは明日の朝までに用意しておきます」

「頼む」


 旅先は恐らく親龍王国となるだろうが、心配はいらない。

 帝国とは不穏な空気感だが、国境全てを監視するなど元より不可能なのだ。

 抜け道はいくらでもある。

 通貨も共通な為帝国の人間だとバレることはない。


「それでは貴方はお休みください。長い旅路になるでしょうから」

「そうだな。そうするとしよう」


 アインの提案を受け入れると、アインは立ち上がって一度頭を下げた。

 そして、部屋の扉に手をかけてふと思い立ったように振り返る。


「幸運を。貴方が無事に帰還するのを祈っています」

「もちろんだとも」


 そして部屋を退出した。

 それを見届けてソファの背もたれに体を預け、ゆっくりと息を吐く。


 これで懸念は全て払拭した。

 旅から無事帰れば本部のギルドマスターだのに色々小言は言われるだろうが、大した事ではない。

 支部のギルドマスターの立場は便利ではあったが、無くても構わない。

 元々私から申し出て収まった立場ではないのだ。

 さして未練はない。


 問題は旅自体の事。

 アインは私が帰ってくると信じて疑わないようだったが、私はその確証は無いと思っている。

 全力となった黒龍には勝てないと、理解しているからこそ殺しに行くのだ。

 つまり奴が私を打倒しうる力を付ける前にトドメを刺さなければならない。

 それが遅れれば私は手ぐすね引いて待っている龍の口に飛び込む事になる。


 別に恐怖は無い。

 だが焦りはある。

 幸いなのは私さえ殺せれば黒龍の関心がこの町に向くことは無さそうだという事だろうか。

 勝っても負けてもそこで終わり。

 それならば後を気にせず戦えるというものだ。


「眠るか」


 アインの言う通りどれほど長い旅になるかはわからない。

 出発前にできるだけ体調を整えておくべきだろう。






 ──────────────────





 次の日の朝、まだ日が登りきる前の朝靄の中で私はアインと向かい合っていた。

 朝早くに出発するのは余計な騒ぎを起こさない為。

 アインだけは見送りに来てくれたのだ。


「権限の移譲は全て手筈通りに、数日かけて私が全権を把握する事になります」

「ああ」

「貴方は帰還した後本部がどこかに呼び出されて散々説教をされるでしょう。それでもまだしぶとくギルドマスターの地位に座るのなら権限は全て返却します。そういう事で構いませんね?」

「構わない。生きて帰ればだがな」

「帰ってもらわなければ困ります」


 ピシャリと言い返された。

 今日は一段と手厳しい。

 そうだ、そういえば一つ気になっていたことがある。


「そういえばアイン。君にしてはやけに素直に旅に出るのを了承してくれだが、何か理由はあるのか?」


 アインは、良くいえば真面目だ。

 悪く言えば堅物。

 それは副ギルドマスターとなってからは顕著であり、あまり融通の利く方ではなかったと思うのだが。


「それは……」


 アインは何事か言いづらそうに表情を曇らせる。

 答えづらいことを聞いたか。

 質問をとり消そうとしたら、その前にアインが答えた。


「貴方が懐かしく見えたのです。まだ一人の冒険者として活動していた頃のように見えて」


 懐…かしく…?


「ギルドマスターとなった貴方はどこか窮屈そうでした。やりたい事があるのに、やるべき事を考えて行動できずにいる。立場を考えればそれも仕方が無いことだと思っていましたが、昨日の貴方はそれも吹っ切れたようだったので。皇帝陛下の元で何があったのかは知りませんが、きっと何かきっかけなる事があったのでしょう」


 窮屈……か。

 マリウスといいアインといい、何故私が知らない私の事を知っている者が多いんだ?

 そしてそれが間違っていないと分かるのがタチが悪い。


「確かに、な。それが聞けて満足だ。さて、私はそろそろ出発するとしよう」

「ライオス」


 馬の鐙に足をかけ、上ろうとするとアインに名を呼ばれた。

 珍しい。

 名で呼ばれるのはただの冒険者だった頃以来だ。

 確かに、長い旅に出るのだ。

 お互い立場は忘れた方がいいかもしれん。


「なんだ、アイ」


 振り返って、予想よりもアインの切れ長な瞳が間近にあって驚く。

 その一瞬のあいだにアインの手が顔に添えられ、右の頬を湿った感触が撫でて行った。

 理解が追いつかず硬直した。

 これは……。


「ご無事で。生きて、帰ってきて下さい」


 穏やかに微笑む彼女の目尻が、朝日を受けて煌めいたように見えた。

 ……いや、よそう。

 口に出すべきではない。

 私は残す側で、彼女は残される側。

 ただ、これくらいならいいだろう。


 剣を鞘ごと剣帯から抜き、柄を逆手に持つ。

 そしてその鞘の石突で力強く石畳を打ち鳴らした。

 朝日の中に、ガァンと鈍い音が響く。


「約束しよう」


 これが最後。

 いつまでも残っていては後ろ髪を引かれる。

 剣を腰に差し直し、振り返ること無く馬に跨る。


 まだ旅は始まってすらいない。

 のんびりしている時間はないのだ。

 黒龍が力を付ける、その時が最後。

 その時にどうなるかはわからないが、楽な戦いでは無いのはたしか。

 そうなる前に奴を見つけ出そう。


 改めて目標を定め、私は馬の腹を蹴った。

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