自由を求めて

 例の黒龍撃退の後、私はギルドの執務室を離れ、皇帝がいる東の城塞の一室にいた。

 皇帝自体が帝国の最高戦力と言える帝国の性質上、非常時には皇帝は国の東西南北それぞれに建設された砦へと居を移すことがある。

 東の王国との開戦の兆しが高まっている今、より王国に近い東の城塞へと移るのは当然と言えた。


 現在、私は当てられた部屋で机のロウソクに火を灯した僅かな灯りだけをつけている。

 考え事がある時には、程よい暗さが丁度いい。

 視界から得る情報が少ない分、より深い思考へと集中できる。


 黒龍撃退の式典?

 それはいい。

 儀礼的な物だ。

 これも開戦を目前として臣民の意識を高揚させるための一種のプロパガンダ。

 そこに英雄がいればいいだけの簡単な話だ。

 問題は件の黒龍の事。


 あの黒龍は今までの龍の常識を覆すものだった。

 人間に対する、いや、私に対するか?

 ともかく誰かに対する激しい殺意もそのひとつだが、それよりも人へと姿を変えて潜入するという狡猾さ、

 殺す為なら油断している所さえも容赦無く狙う卑劣さ。

 高潔で誇り高いとされる龍種にしてはいささか妙と言う他無い行動だった。


 いや、我々人間が龍について勘違いしていただけだろうか?

 それが黒龍だけのものか、それとも龍種全体に体する思い違いなのかはわからないが、少なくともあの黒龍に限って言えば狙った獲物を何をしてでも殺すという意思があった。


 そんな黒龍が、ただ敗走しただけでそれで終わりとなるだろうか?

 私はそうは思わない。

 必ず私、あるいはあのエストハイゲンの町へと復讐に戻るだろう。

 更なる力を付けて。

 私の手の内は龍に対する怨念が篭った龍殺し、それにあの霧魔の盾だけだ。

 手の内を全て晒してしまった私に対し、黒龍は万全の対策を立ててやってくるだろう。

 対策を立てられてしまっては私といえど勝てる保証は無い。


 もちろん鍛え上げた剣技も合わせて易々とやられるつもりは無いが、それも私の力が衰え、剣もまともに握れなくなってしまえばそれで終わり。

 長命な龍にとってたかだか40年にも満たない短い間だ。


 そうなったら勝てる筈など無い。

 人間いくら鍛え上げようとも老いと死神には勝てないのだから、それならばいっそ私の方から出向いて止めを刺してしまえば確実ではないだろうか。

 前に相対した時には逃がしてしまったが、1度は確実に止めを刺しかけたのだ。

 次に戦えば確実に勝つ。


 と、考えていたら扉をノックされた。

 こんな夜更けに?

 ノックをするという事は不審な輩ではないだろうが……いや、そもそもここには皇帝がいるのだ。

 当然警備も厳重になる。

 忍び込むなど出来るはずもないか。


「誰だ?」

「我だ」

「皇帝陛下? 何故このような夜更けに私の部屋になど」


 返事と共に入ってきたのは現ガルドリア帝国皇帝、マリウス・フォン・ガルドリア皇帝陛下だった。

 こんな夜更けに共も着けずに誰かの私室を訪れていいような方ではない。

 顔にこそ出さないが私とて心底驚いた。


 思わず立ち上がる私に皇帝陛下は手を振って座るよう促し、ご自分は私のベッドに座った。


「よいよい。今宵は皇帝ではなく友と酒盛りをする一人の寂しい男だ。のう?我が友にして龍殺しの英雄、ライオス・ヨハン……おっと、家名は捨てたのであったか?」

「……はあ。マリウス。立場を考えてくれ」


 実は私とマリウスは幼少期は同じ師を仰ぎ共に過ごした仲なのだが……私は家を捨て帝都を飛び出し、マリウスは家を継いで皇帝となったのだ。


 私が所用でマリウスの城へと顔を出すと、毎回の様に私室に呼ばれて酒盛りをさせられる。

 まあ、それならば多少は言い訳も立つが……まさか皇帝自らが足を運ぶなどあっていいはずもない。

 それも含めた言葉なのだが、当のマリウスはどこ吹く風と言った顔でワインの栓を開けている。


「ふむ、グラスはあるか?流石に持ち出す余裕は無かったものでな」

「おい……」

「わかっておる。それよりもグラスだ、グラス。良いワインは瓶から飲んでは風味が落ちる」

「あると思うか?私とて急に呼び出された身だ。丁度部屋を抜け出す小僧みたいな皇帝陛下にな」


 皮肉たっぷりに言い返してやったのだが、マリウスと言えばまた聞こえないかの様にしている。


「ならば回し飲みか。風味は落ちるが……仕方あるまい」


 そう言うなり瓶に口を付け、豪快に煽る。

 これが由緒正しき皇帝陛下?

 そんなわけがない。

 ガタイの良さと髭が合わさってむしろ山賊の頭領かなにかのようだ。


 もういい。

 諦めた。

 目の前にいるのが山賊の頭領なら酒盛りをするくらい大したことではない。

 別に検挙する義務がある訳でもないしな。


 突き出された瓶を受け取り、同じようにしてワインを煽る。

 瓶を突き返すと、マリウスがニヤニヤと笑っていた。


「……なんだよ」

「いやなに、まだ小僧だった頃を思い出したのだ。師匠の目を盗んで秘蔵のワインを盗み出した事があったであろう。いつも気取っている貴様の潰れた顔がまた見事でな」

「……そんな昔の話は忘れたな。だいいち盗んだのはお前一人だろう。高い酒を買ったと騙されて共犯者にしたて挙げられたんだぞ」

「クハハ、稽古と言われて木剣で骨が折れるほど殴られたのはよい酔い醒ましになったな」


 思い出したくもない記憶だ。

 完全なとばっちりで同じ目にあったのだから、私はむしろ被害者だと言っても聞き入れて貰えなかった。

 まあ、酒臭い息を吐きながらでは当然であろうが。


 マリウスは万事がこのような感じだ。

 今では多少収まったが、本質はイタズラ好きなただの小僧。

 それを上手く抑え威厳ある皇帝として振る舞ってはいるが、こうして二人きりになるとそれも剥がれる。

 私のような部外者に気安く話しかけず、もう少し皇帝らしい振る舞いというものをして欲しいものだ。


「なあ、お前はもう少し威厳という物を考えたらどうだ」

「ふむ?」

「歴史こそ浅いが帝国は今や東の王国や北の神聖皇国とすら肩を並べる大国だ。その帝国の皇帝が、軽々しく下の立場の元へと通ってるとなれば臣下の不信は免れない」

「まあ、その通りよな」


 一国の王。

 帝国においては皇帝だが、それはつまり国の行く末を定め民を導く者。

 国とはそこに属する民の求心力によって維持され、それが失われればたやすく崩壊してしまう。

 歴史を紐解いてもかつて世界を一つにするほどの強大な国力を持った大国ですら、最後には他国ではなく民の内乱によって滅びた。

 その名残りが今では南で一つの小国を形成するほどの都市群となっているが、ひとまずそれは置いておく。


 とにかく、民のいない国は国ではなくなるのだ。

 王だけがいる国になんの価値があろうか。


「ふははは。貴様はよく頭が回り知識もあるが、王の何たるかを理解してはおらんようだな」

「……言ってみろ」


 マリウスがワインを煽り、差し出された瓶を受け取る。


「王とは真に自由な者だ。力を付け他者を寄せつけず己の欲するままに振る舞う。民が求める王のまま振る舞えばそれは偶像よ。そこにおるのは王ではない。ただの器だ」

「器か?」

「器だとも。民が求める王それ即ち民の欲よ。その欲を受け止めそのままに写す物を器と呼ばずとしてなんと呼ぶ。鏡、などはそれらしいかも知れんがな」


 真に自由な者……いや、私には理解できないな。

 王は責任を負う。

 一つだけの、途方もなく重い責任。

 それは国で暮らす全ての人間の保護という責任だ。


 他国との戦であったり、魔物の襲撃であったり、時には他国に市場を席巻されないよう知恵を巡らせる必要がある。

 それらを直接行うのは皇帝本人ではなくとも、その責任は間違いなく皇帝へと集約する。


 責任という名の鎖に縛られて自由であるはずがない。


「ふむ、そうよな、分かりやすく例えてやろう。貴様は自由を求めて家を捨てたな」

「ああそうだ。貴族の慣習は窮屈だったからな」

「それが、今では冒険者を束ねるギルドの支部のギルドマスターだ。違うか?」

「間違いない。それがどうかしたのか?」

「それよ。貴様のやってることは王とさして変わらん。龍殺しの英雄として数ある冒険者の羨望を一身に受け止め更にギルドマスターとして纏めあげておる。貴様とて自らを縛り上げておるのだ」


 ワインを一口煽り、考える。


 何となく理解はできた。

 だが、やはりそれとこれとは別な物のような気もする。

 私は私が出来る範囲で必要な事をやっているだけだ。

 そこに不自由など無い。


「人は生まれながらにして大なり小なり責任を負う。生まれたという責任だ。そして責任に縛られ自らの使命だ天啓だと限界を決めその内側で縮こまる。くくく、我から見れば貴様の方がよほど不自由な人間よ」


 語り終えると喉が乾いたのか、マリウスが私の手からワインをもぎ取って口を付ける。

 私が不自由……か。

 私は自由を求めて外へ出た。

 その結果好きに生き好きな所で好きな事をする、今で言う冒険者の立場を作り上げてきた。

 その私が、知らず知らずのうちにマリウスの言う縮こまった人間になっていたらしい。


 ならばやはり、この辺りで好きな様にするのもいいのかもしれないな。


「マリウス」

「なんだ? 酒盛りに合わん話をした事なら詫びよう」

「いや、そういう事ではない。まさかお前に説教される日が来るとは思わなかったな」

「既に皇帝となり3年は過ぎるからな。講釈を垂れる必要もある。ある程度は慣れるわ」


 何でもないことの様に言うマリウス。

 奴はやはり皇帝として私とは違う物を見てきたのだろう。

 剣を教わっていた小僧の頃のようにはいかないのだ。


「私はしばらく国を空けるぞ」

「ほう?」

「済ませなければならない用事がある。私のギルドの力が借りたければ本部のアインへ使者を出すといい。できる限りの援助はしよう。兵力としてもな」

「兵など要らぬ。我が軍を甘く見るでない」

「それは期待しているがな」


 軽口を叩きあい、お互いに軽く笑う。

 奴が私の考えている事を汲み取った上で言っていたとは思えないが、奇しくも背中を押される形となった。

 私は、あの黒龍を討伐する旅に出る。

 そのついでに、真の自由と言う奴を探すのもいいかもしれんな。


「旅に出るとなればもしかすると今生の別れとなるやもしれん。どうも貴様は頭ばかりでかくなったようだからな?」

「お前の考え無しは相変わらずなようだがな」

「して、いつ旅立つ?」

「明日にでも」

「ふははは!せっかちな奴だ! よかろう!凱旋は中止だ! 我が友が自由を求めるのならこの我が捕まえておくわけにもいくまい!」


 豪快に笑ったマリウスがベッドサイドの机にドンと音を立てて酒瓶を置く。

 その勢いのまま立ち上がり、私に拳を突きつけた、


「我が友の行く末に軍神の加護のあらんことを!」

「親愛なる皇帝陛下に知恵の加護のあらんことを」


 そしてお互いに拳をぶつけ合った。


 別れの酒宴は、夜更けまで続いていく。

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