黒髪の少女②
私はギルドの執務室へと戻っていた。
今回の件が知られればまた諸々の式典が待っているのだろうことは想像に難くないが、暗澹たる気持ちになる。
若い頃は名誉こそ至上と考えていた事もあったが、今では名誉など食える訳でもなく、それどころか足枷にしかならない事を知ってしまった。
と、こんな事を考えていては皇帝陛下に叱られてしまうかな。
何にせよ、それらが始まってしまう前にソファで眠る黒髪の少女には目覚めてもらいたいものだな。
今は穏やかな顔で眠っているが、彼女の状態は酷いものだった。
腹に風穴が空き、右腕はなく、白い首筋には深い切り傷があるという惨たらしい状態。
やったのは私なのだが。
その時彼女は街を襲撃する龍へと姿を変えていたので、そうとも知らず斬りかかってしまったのだ。
寸でのところでの彼女が人の姿へと戻り、上級冒険者数人がかりでの治療によって一命は取り留めたが、失くした腕までは再生させることは出来ずにいる。
その事についても謝らなければな。
「入れ」
「失礼します」
ノックをした来客に許可を出し、それに続いて声が聞こえた。
「アインか。どうした?」
「その少女が龍へと姿を変えられていたという少女ですか?」
アインは私の補佐をしてもらっている女性だ。
実質的に副ギルドマスターと言ってもいい。
仕事一筋の真面目な人物だが、あれで別に情が無いわけではない。
なのだが、その自他に厳しい態度から勘違いされやすい、難儀な人物だ。
そのアインが私の問いは無視して質問してきた。
まあ、用件はそれなのだろう。
「そうだ」
「右腕は?」
「私が落とした」
アインの目が細められた。
なにか言うかと思ったが、なにも言わない。
「この少女は牢へと移した方がいいのでは?」
ギルドには、重大な違反を犯した冒険者を拘束するための地下牢がある。
どの国にも属さないという冒険者の特性上、裁くのはどの国でも行えず、代わりに冒険者ギルドで行うことになっている。
そのための牢だ。
が、そこに少女を入れる意味が分からない。
「理由は?」
「この少女は不確定に過ぎます。龍へと姿を変えられる術など聞いたことがありません」
「魔物へ姿を変えさせる術はある。広義で言えば龍も魔物の一種だ」
「龍が人へ姿を変えたかもしれません」
「かもしれんな。牢へ入れたところで龍へと姿を戻してしまえば簡単に脱獄出来るだろう。それなら私が監視した方がより安全だ」
「…もしや腕を失わせたことに責任を感じているのでは? それで牢へ入れるのに反対されているのですか?」
「否定はしない」
そう、確かに負い目がある。
だが、私が監視した方が被害が少なくなるというのは確かだ。
目の前で龍に姿を変えようとも、滅龍剣は常に手の届く範囲にある。
変な動きさえさせなければ問題ない。
「…はあ。娘にするとは言わないでくださいよ」
「言わんよ。苦労をかけるな」
「あなたがお人好しなのは今に始まったことではありません。慣れました」
長年補佐をしてもらっている間柄だ。
知らず知らずのうちに苦労をかけてしまっていたらしい。
「ん、ううん…」
少女が声を上げながら目を覚ました。
右手で目を擦ろうとして、しかし肘から先がないことに気づき、目を見開く。
「え…手が…なんで…」
「落ち着いて。大丈夫よ」
少女がパニックを起こす前に、アインが抱き締め背中をさする。
「あ、あああ…」
「大丈夫、落ち着いて。息を深く吸って、吐いて。大丈夫だから。ね?」
アインの落ち着いた声に釣られるように、徐々に少女の乱れた呼吸が落ち着いてきた。
胸が痛くなってくる。
「落ち着いた?」
「…ありがとう、ございます」
「どういたしまして。さ、起きてすぐで辛いだろうけど、聞きたいことがあるの。話してもらえる?」
「はい…」
「ありがとう」
少女をソファに座らせて、アインが私の隣に立つ。
ここからはギルドマスターの私の仕事だ。
「君の名前は?」
「私の…名前? 名前は…わかりません」
そう答えた少女を注意深く観察する。
嘘をついているようには見えない。
隣のアインにちらりと視線を送ると首を振って返される。
アインも嘘をついているようには感じられないようだ。
「生まれた場所は?」
「…わかりません」
「どうして龍へと姿を変えていた?」
「それは…えっと、暗くて狭い…部屋? 箱? すみません、それしか覚えてません…」
答えていく度少女も段々不安が増したようだ。
なにかに怯えるように視線を彷徨わせ、短くなった腕を握りしめる。
これ以上は酷か。
心なしか震えているようにも見える。
「そうか。ありがとう。アイン、なにか温かい飲み物を持ってきてくれ」
「わかりました」
アインにそう頼み、彼女の退室を見届ける。
今の応答から考えると、少女は記憶を失っている。
その全てを失っている訳では無いようだが、それでも大部分が抜け落ちてしまっていると見た方がいいだろう。
「あの、あなたが私を助けてくれたんですよね?」
「私が斬ったことで君が人へと戻ったのなら、そうかもしれないな」
唐突な少女の言葉にそう返す。
私は彼女が人であったなどと考えてもいない。
殺すことだけを考えていたので、特別彼女になにかしたという訳では無いのだ。
「その、お礼が言いたくて…」
「私は君に腕を失わせている。それに、君の腹を剣で貫いた。礼を言う必要はない」
「それでもです」
もし助けたとしても、それだけされれば普通なら感謝の念も薄れそうなものなのだが、どうやら少女の場合はそうではないらしい。
いや、少女の体験した事は普通とは言えないか。
なにせ龍へと姿を変えられていたのだ。
それならばどんな犠牲を払ってでも人の姿に戻りたいと考えるのが自然か。
「私からは謝罪を。すまなかった」
立ち上がり、少女の前まで歩いて頭を下げる。
許してもらえるかどうかではない。
知らなかったこととはいえ、まだ先がある少女に重荷を背負わせてしまった。
記憶も失ってしまった彼女には辛い障害だろう。
少女が立ち上がった気配がした。
「そんな! 頭を上げてください! 私はただお礼を…腕を斬り落とされて、切り裂かれて、お腹に穴を開けられたお礼を…」
違和感。
すぐさま頭を上げる。
すると、直前まで私の頭があった場所を少女の爪先が通過した。
「なっ!?」
少女を見れば、その背中には先程まではなかった翼があった。
腕のような形をした、黒い翼が。
「本当に痛かったんですよ?」
その翼を引き、少女が言った。
慌てて横に飛ぶと翼が床板を割った。
「チッ!」
人の姿になったのはフェイクだったか!
この龍は人の姿を取り、内部へと潜り込んで隙を伺っていたのだ。
なんという狡猾さか。
気づくのが一瞬遅れていれば先制の一撃を貰い、今の翼の一撃を避けるのは困難だっただろう。
「ギャァァアァァァオォォ!!」
少女の喉から、人とは思えない咆哮が出る。
それに呼応するかのように腕や顔を黒い鱗が覆い、尻尾も生えて人と龍のあいだに見える姿に変わった。
「厄介だな」
人と戦う術は知っている。
龍を殺す術も知っている。
だが、その2つが合わさった黒龍を相手にするのは、ただそのふたつを合わせればいいだけではない。
蹴りや殴打に気をつけつつ、尻尾や翼、更には魔法まで警戒する集中力が必要だ。
常に最適な動きをしたければあっという間に追い詰められてしまう。
「さぁ来い! 相手をしてやる!」
滅龍剣と霧魔の盾は机の側に置いてある。
距離はさほどないが、その隙を黒龍が見逃すはずもない。
隙を作るまでは素手で対応するしかないか。
挑発に乗った訳では無いだろうが、黒龍が黒髪をなびかせながら腕で殴りかかってくる。
速さに任せたお粗末な殴打を避け、後ろから殴ろうとして、尻尾が迫るのを察知して身を引く。
目の前で風を切る音がして尻尾が振り抜かれた。
翼だけでなく尻尾にも注意しなければならない。
唯一の救いは、黒龍が人の姿で戦うのに慣れていなさそうなことか。
技術がないのなら避けるのは容易い。
振り向きざまに振るわれた翼をしゃがんでよけ、死角に入る。
案の定、翼の影になってこちらを見逃したようだ。
その態勢から飛び上がるように拳を振り抜き、無防備な腹にめり込ませた。
一瞬浮かび上がって動きを止めた黒龍の横面を殴り、大きく態勢を崩した黒龍を蹴り飛ばす。
床を滑った黒龍に追撃しようと駆け寄り、しかし体を回すように起き上がった黒龍の蹴りを食らって床に転がった。
「ぐっ!?」
すぐさま起き上がり、追撃を避けるため大きく後ろに跳ぶ。
直前まで私が倒れていた場所に黒い槍が2本刺さる。
更に黒い槍が飛んできた。
室内という至近距離で放たれたそれをほぼ勘を頼りに避け、黒龍の元へと踏み込む。
迎撃に振るわれた翼の一撃目を避け、二撃目が来る前に首を掴み握りしめる。
「カッ…カハッ!」
翼の内側に入り込んでしまえばなんの脅威でもない。
尻尾は構造上前までは届かず、腕だけでは常人よりも少し強い程度。
足も同様。
あとはこのまま息絶えるのを待つだけだ。
「お願い…ケホッ、止めて…」
顔の鱗を無くし、涙を流して黒龍が嘆願する。
そうすればまるっきり痛みに怯える人間の少女だ。
しかしやつは龍。
いくら人の真似をしようと人ではない。
故に、手を止めることはない。
「ライオス!? 大丈夫ですか!?」
「大丈夫だ!」
急いで戻ってきただろうアインの言葉に、黒龍から目を離すことなく答える。
もがいていた黒龍の動きが止まり、力なくだらんと垂れ下がる。
まだだ。
油断できない。
人に化けるほど狡猾な龍だ。
息の根が止まったのを確認したするまではこの手は離さない。
突然、黒龍の全身を鱗が覆い始めだ。
人と龍の間に見えた姿が段々と龍へと傾いていく。
まさか、ここで龍に戻る気か!?
「アイン! 退避! 巻き込まれるな!」
アインを退避させ、私も黒龍から距離をとる。
遂に部屋に収まりきらなくなった黒龍が天井を突き破り、部屋が崩壊した。
2階だったため部屋が崩れるだけで済んだのが救いか。
「グルルルル…」
そのまま戦いを続けるかに思われた黒龍が、低く唸ると翼を広げた。
その翼を羽ばたき、空へと飛び上がる。
「まさか、逃げるのか?」
私の言葉を裏付けるように黒龍は高度を高め、あっという間に街の上空から飛び去った。
方角はやつが初めに来たのと同じ方向。
「龍が逃げるなど…」
アインの呟きが聞こえた。
人間が今まで龍に滅ぼされずに済んだのは、龍が滅多に人里まで降りてこないというのもあるが、ひとえに戦いから逃げないということが大きい。
逃げることを知らないが故に、不利な状況だろうとその場に残り戦い続ける。
そんな龍の性質があるからこそ数少ない龍の襲撃を退けることができたのだ。
「不利を悟り逃げを選ぶ龍。二度と人里に降りてこなければいいが…」
しかし、やつはまた必ずこの街に来る。
そんな予感がして、体が震えた。
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