黒髪の少女①

 今頃光龍アーレイは無事討伐されただろうか。

 絶え間なく押し寄せる書類仕事の合間に、ふと思う。

 あの依頼は帝国に属しなくなった光龍を、敵国たる親竜王国に利用されるくらいならと、帝国が冒険者ギルドに出した依頼だった。


 どの国にも属さない集団というのが冒険者ギルドの通説だが、しかしその本部が帝国領土内に置かれることによって実質的に帝国傘下に置かれてしまうのは仕方の無いこと。

 故に今回の依頼は失敗を許されず、その時点で自由に動かせる冒険者の中でも最高位のパーティに依頼を回した。


 彼らには知らせていないが、光龍は帝国の策略により大幅に力を弱らせている。

 彼らならやってくれるだろう。


 さて、そろそろ報告が届いてもいい頃だと思うが。


「ギルドマスター!」

「ノックくらいはしろ。遂に光龍がその身を横たえたか?」


 いっそ飛び込んで来たと言ってもいいくらい勢いよく入室した職員に聞く。

 この慌てよう。

 あまりいいことがあったとは思えんな。


「光龍ではありません! 南東、フィオナの森より未確認の龍が飛来してきます!」

「未確認の龍?」


 という事は、生まれたばかりの幼龍か、そうでもなければまだ成龍になったばかりの個体か?

 どちらにせよわざわざ私に報告に来るほどとは思えないが。


「監視所からの報告は? 足止めはできているのだろうな」


 フィオナの森は危険な魔物が多数生息する特級危険区域に指定している。

 それらの魔物の変化にいち早く対応する為に、ギルドの職員の中でも腕の立つ者達を監視員として配置しているのだが。


「未確認の龍を発見という文を伝書鳩が運んで以来なんの応答もありません。 送った伝書鳩も引き返してきます」

「ふむ…そうか」


 フィオナの森といえば光龍が最後に縄張りとしていた場所だ。

 奴の子だろうか。

 この分だと、光龍討伐に向かわせたパーティに何かあったと考えるのが妥当だ。

 彼らの生存は絶望的だろう。


「中位龍…あるいは上位龍にまで達しているかもしれんな。今ギルドホールにいるBランク以上の冒険者に呼びかけろ。伝説に名を連ねる好機だと」

「はっ!」


 私の指示に職員は踵を返して部屋を出る。

 Bランクでは少々不安だが、いないよりはマシだろう。

 そもそも、強力なブレスを持つ龍とやりあう時は相手が自由に動けない閉鎖空間で、少人数で戦闘するというのが定石だ。

 私はそうして氷龍を倒した。


 相手が既にこの街に向かっているというのなら、閉鎖空間で戦うなどできるはずもない。

 それなら人数は多い方がいい。


「とは言え私も出た方がいいだろうな…。これ以上優秀な冒険者の損失は避けたい」


 元々、私が1人で出た方が人的被害が少なくて済む。

 自惚れるようだが、人類の中でも一二を争う程の強者に位置する。

 私と肩を並べるのは皇帝か現勇者、魔王くらいか。

 今更龍に遅れをとるとは思えない。


 しかし、そうできないのにも理由がある。

 まず、人を助ける事を至上とする勇者とは違い、私にはギルドマスターという立場がある。

 それがいきなり矢面に立てばいらぬ不安を煽る事になる。

 それに加え、冒険者というのは血気盛んな輩が多い。

 彼らにも手柄を立てる機会がなければ何をしてかすか分からない。

 もし名誉目的で噂に聞く魔王とやらに戦いを仕掛けてしまえば、それはすなわち魔族と人類の全面戦争となりえる。

 それだけは避けなければならない。


「嬉しいか、龍を憎む古き鍛冶師よ」


 私の手に握られるのは飾り気のない、深紅に輝く古の魔剣。

 滅龍剣と呼ばれるそれは、龍に故郷を滅ぼされた鍛冶師が、ひたすら呪詛を吐きながら鍛え上げたと言われる。

 そこには鍛冶師の怨念が宿り龍に対してその鋭さをます。

 最近はギルドマスターという立場上戦場で振るう機会はなかったが、長年振るい続けた私の愛剣だ。

 今回もその憎しみを存分に晴らさせてやろう。









 街を取り囲む外壁の外で私は待っていた。

 もちろん検問は封鎖。

 念の為城門付近の住人はギルド職員を使って避難してもらっている。

 ここで龍を仕留めれば被害は軽微に済むはずだ。


 私の前方には冒険者の集団が、それぞれのパーティ事に秘録散らばっている。

 士気は高く、皆これ以上ない名声を得る機会に色めきたっている。


 出来ることなら彼らだけで討伐までかこつけてもらいたいところだな。


 と、そこで角笛の音が鳴り響いた。

 遠眼の魔法を持つ職員が、迫る龍を視界に捉えた合図だ。

 それに反応して冒険者達はそれぞれ武器を抜く。

 敵が空を飛んでくるのであれば、まずは魔法を使える者達が魔法で狙撃してこちらに意識を向けさせるべきだろう。

 街の中に入られてはひとたまりもない。


 徐々に龍の姿が見えてきた。

 それに合わせて魔法使いが魔法の準備を始める。

 やはりまずは注意を引くようだ。

 どんな魔法を構築しているのかはまだ分からないが、彼らも上級冒険者。

 とてつもない威力の魔法が放たれるであろう。


 遂に未確認の龍が完全に姿を見せる。

 陽の光を浴びてなお全てを呑み込みそうなほど深い漆黒の鱗。

 広げた翼の内側は紫色に薄く発光し、翼膜の縁は波打つ様に揺れまるで死神の外套のよう。

 一目見ただけで邪悪さと禍々しさを感じさせる龍だ。


 そんな恐ろしい龍に、しかし狼狽えることなく冒険者が魔法を放つ。

 上空を狙い撃つことを目的とする、射程を重視した魔法。

 それらが一直線に黒龍に飛ぶが、如何なる力によってかそのほとんどが黒龍に辿り着く事無く中で霧散してしまう。

 直撃した魔法も大して痛手にはなっていないように見える。


 これは厄介な相手だな。

 ただ、そんな魔法でも気を引くことはできたみたいだ。

 黒龍の首が下にいる我々を捉え、急降下してくる。

 狙い通り城門の前での戦闘に持ち込めた。

 あとは如何にして討伐するかだな。


 黒龍が地響きを立てて地に降りる。


「ギィャァァァォォォ!!」


 ビリビリと、距離があるにも関わらず咆哮が届く。

 不吉な咆哮だな。

 まるで悲鳴のようだ。


 その声に弾かれるように冒険者が黒龍に殺到した。

 彼らのほとんどは組んだ事のない相手だろうが、そこは流石上級冒険者。

 それなりに連携は取れているようだ。


 しかし、黒竜はそれをものともしない。

 押し迫る冒険者達に逆に突進し、強引に突破されてしまう。

 カウンターで剣を振ったものもいるようだが、逆に突進に巻き込まれて吹き飛ばされてしまった。

 その黒龍の周りに魔力が高まる。

 まずい。

 前衛の冒険者に追い討ちをかける気か?

 しかし、それは予め準備されていた後衛の魔法使いに妨害された。

 黒龍は早々に追い討ちを諦め、避けに徹する。

 が、ただ避けるだけではない。

 避けながらも魔法の構築を始め、ほとんど間を置かずに黒い槍が、何人かの魔法使いを貫いた。

 彼らの生存は絶望的だと思った方がいいか。


「動き回りながら的確に魔法を使うか…とんでもない手練だな」


 どうやら奴の認識を改めなければなるないようだ。

 黒龍は成龍になりたての個体ではない。

 成龍になり、今まで冒険者ギルドに悟られることなく力を蓄えた龍だ。

 ギルドが制定した危険度で言うならSランク。

 Aランクの冒険者では束になっても勝てる相手ではない。

 数少ないSランクの冒険者も光龍討伐で4人の安否が不明。

 他の冒険者もこの戦いには参加していない。


 彼らも彼我の戦力差は分かっただろうし、そろそろ私が出た方がいいか。

 こうして考えているあいだにも冒険者は次々と倒れていく。

 幸いというかなんというか、黒龍が進撃するに連れて街に近づき、今はすぐそこまで来ている。

 いや、幸いではないな。

 それだけ冒険者がやられたということなのだから。


 今まさに暴れ回っている黒龍の前に立つ。

 黒龍も私に気づいて動きを止めた。


「冒険者諸君! 君たちは奮戦した! 街を、住人を守る為その身を犠牲にする覚悟を決めて戦った! しかし、今君たちを犠牲にしてしまう訳にはいかない! この龍殺しの英雄ライオスが参戦しよう!」


 1拍遅れて、歓声が上がる。

 あまり龍殺しの英雄とか自分で名乗りを上げたくはなかったのだがな…仕方あるまい。


 私一人に任せるように身を引いた冒険者を訝しんでか、黒龍が戸惑っているように見える。

 悪いが、すぐに終わらせてもらおう。


 黒龍の懐へ飛び込むべく駆け出す。

 黒龍は私を迎撃する為に、何度も見た黒い槍を三本、放った。

 が、それは私が掲げる盾の前で霧のように霧散する。

 当然だ。

 この盾は霧魔の盾。

 魔法は得意ではない私が魔法に対抗する為に貴重な魔物の素材をふんだんに使って作らせた盾だ。

 ほとんどの魔法はこの盾の前には意味をなさない。


 黒龍もそう判断したのだろう。

 魔法を私に当てることは諦め、その翼を広げた。

 あの翼、光龍に似ているな。

 まるで腕のようになった黒い翼。

 広げると翼膜がはためき、本当に黒い外套のようだ。

 あの翼の一撃は、流石に私でも行動不能になる威力がありそうだ。

 警戒しておこう。


 そうしているうちに黒龍の翼の間合いに入った。

 上から翼による一撃が降ってくるが、それを体を捻ってぎりぎりで回避する。

 それが地面に当たると、あろう事か地面が砕けた。

 わざとぎりぎりで回避したのだが、それでもヒヤリとする。



 続いて横薙ぎに振るわれた右の前脚を切断し、態勢の崩れた首に剣を走らせる。

 が、首を落とすことはできず深く切り裂く結果に留まった。


 あれで落とせないか。

 やはりこの龍はかなり力のある龍のようだ。

 それもここまでだが。


 そのまま首を飛ばすのは諦め、黒龍の腹の下に潜り込む。

 腹なら容赦なく裂けるだろう。

 潜り込んだ姿勢から、体を伸ばすように愛剣を突き上げる。

 龍を殺すことだけを目的としたその剣は黒龍の腹側の薄い鱗を容赦なく貫き、その内部に甚大な被害を与えた。

 それだけに留まらず捻って確実にとどめを刺す。

 ここまですれば、流石の黒龍と言えど無事では済まないだろう。


 と、腹に剣を刺したまま黒龍が息絶えるのを待っていると、突然黒龍の体が発光した。


「なんだ!?」


 何かする気か?

 いや、魔力は感じられない。

 なんだ?何が起こる?


 あらゆる事に対応しようと警戒しているうちに、みるみる黒龍の体が縮んでいった。

 私が刺した腹を中心に縮み、私よりも小さくなってそれが止まった。

 そこにいたのは、長い黒髪を垂らした、右腕の無い少女だった。


「あり…がとう…」


 その腹には滅龍剣が刺さっている。

 その傷口と失くした右腕から血を流し、今にも死にそうといった風体。


 龍が人に化ける?

 聞いたことがない。

 なら何故私が刺した龍が人になった?


 考えている場合ではない。

 剣を抜き治療せねば。


「回復魔法を使える者はいるか! この少女を治療してくれ!」


 私の叫びに私と同じように戸惑っていた冒険者達の中で、回復魔法を使える者達が弾かれたように駆け寄ってくる。


 その者達に少女を預け、私は顔にかかった返り血を拭う。

 そこに、ギルドの職員が駆け寄ってきた。


「治療をするのですか?」

「龍が人に化けたという記録はあるか?」

「…ありませんが…」

「人を魔物へと変貌させた呪術の記録はある。あの少女が何者かの手によって龍にされたという可能性の方が高い」

「だとしても、あの龍は被害を出し過ぎています」

「ならば恨むべくは彼女を龍にした者だ。彼女に罪はない」

「…わかりました。その少女の足取りを探ってみます」


 渋々ながら納得した職員がそう言う。

 助かる。

 人を龍にしようなどと考える輩、きっと良くないことを企んでいるに違いない。

 そのときはギルドの総力を持って対処せねばなるまいな。


「ギルドマスター、傷は癒せましたが、失くなった腕までは…」

「ありがとう。十分だ」


 すっかり傷の癒えた少女を見る。

 端正な顔立ちの少女だ。

 右腕がないのが痛々しいが、それをしたのは私だ。

 どう償うべきか。

 ひとまず、何も着ていない少女に上着を被せ、抱き上げる。


「冒険者諸君! 黒龍は討伐された! 動ける者はギルドホールへ迎え!そこで今回の報酬を受け取るといい!」


 私の言葉に、冒険者達が重い足取りで街の中へ戻っていく。

 短い戦闘だったが、彼らの疲労は計り知れないだろう。

 仲間を失った者達も多い。

 が、泣き喚く者がいないのは流石上級の冒険者か。


「さて、この少女はどうするべきか」


 腕の中の少女を見下ろす。

 今はギルドで保護した方がいいだろう。

 その後はこの少女の意向次第か。


 何にせよ、この少女が目覚めるまでは棚上げだな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る